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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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神功皇后伝承と古代遺跡

 今日(1月12日)兵庫県立考古博物館で、館長の石野博信先生の講演がありました。演題はタイトルにある通りです。古事記(岩波文庫)と考古学との接点を探るお話でしたので、その一部をご報告いたします。

 1.その大后息長帯比売命は、その神を帰(よ)せたまひき。故、天皇筑紫の加訶志比宮に坐しまして、熊曾国を撃たむとしたまひし時、天皇御琴を控かして、建内宿祢大臣沙庭に居て、神の命を請ひき。(神功皇后の新羅征討)
    神託を伺う時には琴を弾いた。考古学的に琴らしき楽器は縄文時代からあった。
    弥生時代になると、かなり精巧なものになる。琴を弾く巫女の埴輪も出土して
    いる。
 2.すなはち火を挙げてみれば、天皇既に崩(かむあが)りたまひぬ。
    「火を挙げて見る」ということは、神託は夜に行われていたことになる。
 3.ここにその御杖を、新羅の国主の門に衝きたてて、すなはち墨江大神の荒御魂を、国守ります神として祭り鎮めて還り渡りたまひき。
    御杖は古墳から出る鹿角型儀杖であろう。
 4.ここに息長帯比売命、倭に還り上ります時、人の心疑はしきによりて、喪船を一つ具へて、御子をその喪船に載せて、まづ「御子は既に崩りましぬ。」と言ひ漏らさしめたまひき。(忍熊王の反逆)
    古代では遺体を埋葬する時に船に乗せて運び、残った船や備品は持って帰らず
    に、周濠に捨てた。そのような喪船の遺物が巣山古墳から出土した。
 5.速須佐之男命は勝ち誇った勢いで、天照大御神の作っていた田の畔を切り崩し、溝を埋めてしまった。また大御神が大嘗を召し上がる殿に、糞をしてまき散らした。
    世界中の神話にウンチを撒き散らす話がある。糞撒き儀礼ともいうべきか。日本の
    古代では浄水を貯めて木の樋で流す儀式があった。奈良県南郷大東遺跡の聖水
    をつくる導水施設で、清らかな水を流した後の地面から糞塊が出土した。
    石野先生はこれを見て、「上(かみ)と下(しも)はカミ一重」とつぶやいた。
    浄水の場所とトイレが隣り合わせだったのです。これも清らかな場所に糞を撒く儀
    式か。

 日本書紀の史官は西暦を知っていた可能性がある。神功皇后39年は西暦239年で、卑弥呼が魏に朝貢した年である。
 神社の境内社に本来の祭神が祀られ、本殿に後から来た神が祀られている事がよくある。これは本殿の乗っ取りであろう。

 他にもたくさんのお話がありまして、楽しい有意義なセミナーでした。
     石野先生
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     兵庫県立考古博物館
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     弥生住居復元
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     高野槇(こうやまき)高さ30 m以上、直径1 mに達するものがある。
     古代の船形木棺に使用された。
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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp








    
by enki-eden | 2013-01-12 17:44