2013年 04月 07日
平城宮大極殿
所在地は奈良市佐紀町。平城宮跡第一次大極殿は、奈良時代に43代元明天皇が都を藤原京から平城京へ遷都した際に建てられた平城宮の中心建物です。和銅3年(710年)に建てられ、45代聖武天皇が天平12年(740年)に恭仁京(くにきょう、京都府木津川市)へ遷都されるまでこの地にありました。天平17年(745年)に都が奈良に戻ってからの大極殿は第二次大極殿と呼んでおり、第一次大極殿の東側にありました。
平城宮跡の整備は1978年に文化庁が策定した基本構想に基づいて行われています。第一次大極殿の復元は、奈良文化財研究所によって構造・材料等の調査や多くの模型作製などにより研究が積み重ねられました。
中央の第一次大極殿の周囲は南北320m、東西180mの範囲を築地回廊で囲まれ、この区域は大極殿院と呼ばれています。第一次大極殿は平城宮の正門である朱雀門の真北に位置し、第二次大極殿は第一次大極殿の東に位置し、朱雀門東の壬生門北になります。
2010年に平城遷都1300年記念事業が実施されました。それに合わせて、平城宮跡に第一次大極殿が竹中工務店により実物大で復元されました。東西44m、南北約19.5m、瓦は10万枚使ったそうです。大極殿中央には復元された高御座(たかみくら)が安置されています。平城宮正門の朱雀門も復元されました。
平城宮跡は1998年に世界文化遺産に指定されています。発掘調査ができているのは全体の3割ほどで、全部の調査にはあと100年位かかるようです。
奈良文化財研究所のパンフレット
大極殿
復元の高御座(たかみくら)
高御座は大礼の際に天皇の玉座が置かれます。高御座は組み立て式に
なっていたそうですから、北方遊牧民の習俗に習ったのでしょうか。
本物は京都御所紫宸殿に安置、春・秋の一般公開時に見ることができます。
今春の公開は4月4日(木)から4月8日(月)までの5日間です。
大棟中央の宝珠形飾りと同じもの(高さ約2m)
手摺りに玉飾り
南方に朱雀門
西方に生駒山を望む
平城宮跡資料館のパンフレット
平城宮跡資料館展示の隼人の盾
宮殿警備用。儀式の時は盾と槍を持って門前に整列します。
平城宮跡資料館展示の奈良時代の食事
平城宮跡資料館展示の奈良時代の書斎と居間
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
平城宮跡の整備は1978年に文化庁が策定した基本構想に基づいて行われています。第一次大極殿の復元は、奈良文化財研究所によって構造・材料等の調査や多くの模型作製などにより研究が積み重ねられました。
中央の第一次大極殿の周囲は南北320m、東西180mの範囲を築地回廊で囲まれ、この区域は大極殿院と呼ばれています。第一次大極殿は平城宮の正門である朱雀門の真北に位置し、第二次大極殿は第一次大極殿の東に位置し、朱雀門東の壬生門北になります。
2010年に平城遷都1300年記念事業が実施されました。それに合わせて、平城宮跡に第一次大極殿が竹中工務店により実物大で復元されました。東西44m、南北約19.5m、瓦は10万枚使ったそうです。大極殿中央には復元された高御座(たかみくら)が安置されています。平城宮正門の朱雀門も復元されました。
平城宮跡は1998年に世界文化遺産に指定されています。発掘調査ができているのは全体の3割ほどで、全部の調査にはあと100年位かかるようです。
奈良文化財研究所のパンフレット
大極殿
復元の高御座(たかみくら)
高御座は大礼の際に天皇の玉座が置かれます。高御座は組み立て式に
なっていたそうですから、北方遊牧民の習俗に習ったのでしょうか。
本物は京都御所紫宸殿に安置、春・秋の一般公開時に見ることができます。
今春の公開は4月4日(木)から4月8日(月)までの5日間です。
大棟中央の宝珠形飾りと同じもの(高さ約2m)
手摺りに玉飾り
南方に朱雀門
西方に生駒山を望む
平城宮跡資料館のパンフレット
平城宮跡資料館展示の隼人の盾
宮殿警備用。儀式の時は盾と槍を持って門前に整列します。
平城宮跡資料館展示の奈良時代の食事
平城宮跡資料館展示の奈良時代の書斎と居間
by enki-eden
| 2013-04-07 01:00