2013年 04月 14日
多神社(多坐弥志理都比古神社 おおにますみしりつひこじんじゃ)
奈良県磯城郡田原本町多569 電:0744-33-2155
多は、太安万侶らをはじめとする古代氏族多氏の根拠地とみられます。神社の祭神は初代神武天皇・神八井耳命・神渟名川耳命(2代綏靖天皇)・姫御神(玉依姫・神武天皇の母)の四柱で、このうち神八井耳命が多氏の祖とされています。
「弥志理都比古」が本来の祭神で、これが神八井耳命のことです。神武天皇の長子・神八井耳命は、弟である神沼河耳命(綏靖天皇)に皇位を譲ったので、身を退かれたという意味で、「みしりつひこ」といいます。
当神社は奈良盆地の中央、北緯34度32分の「太陽の道」上にありますので、三輪山から登る朝日の遙拝所でもあり、太陽信仰の重要な神社です。飛鳥川の東、県道50号線の南にあって、境内は広くて美しく、四棟並んだ本殿も美しい。本殿後方に神武塚という小丘があり、祭祀遺跡か祖神の墳墓だと考えられています。
多神社本殿は、東西に1間社が並ぶ四殿配置の形式をとっています。東の第一殿が神武天皇、第二殿が神八井耳命、第三殿が神淳名川耳命、第四殿が姫御神をそれぞれ祀っています。四社とも南面した一間社春日造で、第一・二殿が1735年、第三・四殿が18世紀中頃の建造です。古事記を編纂した太安万侶も祀られています。宮司は今も多氏で太安万侶から51代目らしいです。
本殿は、昭和52年に檜皮葺から銅板葺に改められた以外は当初形式をよく残しています。また、春日造社殿としては類例の少ない手法もみられ、近世中頃の本殿建築としては注目されています。
私は近鉄八木駅近くの「かごの屋」で食事をし、多神社へ向かいましたが、神社の標識が見つからず、入り口が分かりにくかった。 鳥居の扁額は「多大明神」とある。
多神社二の鳥居と拝殿
鳥居の扁額
拝殿
本殿
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
多は、太安万侶らをはじめとする古代氏族多氏の根拠地とみられます。神社の祭神は初代神武天皇・神八井耳命・神渟名川耳命(2代綏靖天皇)・姫御神(玉依姫・神武天皇の母)の四柱で、このうち神八井耳命が多氏の祖とされています。
「弥志理都比古」が本来の祭神で、これが神八井耳命のことです。神武天皇の長子・神八井耳命は、弟である神沼河耳命(綏靖天皇)に皇位を譲ったので、身を退かれたという意味で、「みしりつひこ」といいます。
当神社は奈良盆地の中央、北緯34度32分の「太陽の道」上にありますので、三輪山から登る朝日の遙拝所でもあり、太陽信仰の重要な神社です。飛鳥川の東、県道50号線の南にあって、境内は広くて美しく、四棟並んだ本殿も美しい。本殿後方に神武塚という小丘があり、祭祀遺跡か祖神の墳墓だと考えられています。
多神社本殿は、東西に1間社が並ぶ四殿配置の形式をとっています。東の第一殿が神武天皇、第二殿が神八井耳命、第三殿が神淳名川耳命、第四殿が姫御神をそれぞれ祀っています。四社とも南面した一間社春日造で、第一・二殿が1735年、第三・四殿が18世紀中頃の建造です。古事記を編纂した太安万侶も祀られています。宮司は今も多氏で太安万侶から51代目らしいです。
本殿は、昭和52年に檜皮葺から銅板葺に改められた以外は当初形式をよく残しています。また、春日造社殿としては類例の少ない手法もみられ、近世中頃の本殿建築としては注目されています。
私は近鉄八木駅近くの「かごの屋」で食事をし、多神社へ向かいましたが、神社の標識が見つからず、入り口が分かりにくかった。 鳥居の扁額は「多大明神」とある。
多神社二の鳥居と拝殿
鳥居の扁額
拝殿
本殿
by enki-eden
| 2013-04-14 00:30