古代史探訪

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伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)

 兵庫県淡路市多賀740   電:0799-80-5001   無料駐車場あります。
 淡路国一宮。現在は淡路市ですが、旧地名の「津名郡一宮町」は当社による地名です。
 祭神:伊弉諾尊(神世7代の7代目が伊弉諾尊)と伊弉冉尊。
 本殿は三間社流造檜皮葺、背後は大きな森になっている。

 境内には、33代推古天皇の時代に香木が流れ着いた記念の石碑があります。また、境内東に「伊勢皇大神宮遥拝所」があります。
    赤のアイコンが伊弉諾神宮、黄が五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡
     

     正面の大鳥居(狛犬も大きい。)
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     境内の鳥居
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     「太陽の運行図」の石碑(北緯34度27分23秒)
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     神門と扁額(一宮皇太神)
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     拝殿(銅板葺入母屋造)と扁額
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 本殿(幽宮 かくりのみや)は幣殿と繋がっている。祓殿とも高架の廊下で繋がっている。
 伊弉諾尊の宮跡に造られた御陵(禁足地)の上に、本殿が1882年に建てられた。
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     本殿裏側からの遥拝所
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     千木は垂直切りで鰹木は6本
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   境内社の根神社(素戔嗚命)と竈神社(かまどじんじゃ、奥津彦命と奥津姫命)
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 境内社の住吉神社(すみのえじんじゃ、住吉三前神)と鹿島神社(武甕槌神・経津主神)
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   境内社の左右神社(さうじんじゃ、天照皇大御神、月読尊)
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   夫婦大楠(樹齢900年の県指定天然記念物。横に岩楠神社があり、蛭子命を祀る。)
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     赤い神橋
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     国生み伝説(入口近くの説明板)
 
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 淡路島では大勢のバイクや自転車のツーリングに出会いました。淡路島は人気があるようです。
                ***

 私見ですが、伊弉諾尊は125年頃出生、160年頃に倭王兼7代目の奴国王となりましたが、180年頃から始まった長引く争乱や疫病のために失脚、皇子の綿積豊玉彦か大山津見神に後を託して淡路島の多賀に隠遁、185年頃に多賀で亡くなったと見ています。
 多賀の宮跡に御陵が造られ、淡路伊佐奈伎神社が創建され淡路国一宮となりました。1954年に現在の伊弉諾神宮に改称されました。
 北部九州の倭国では、奴国王族の巫女・卑弥呼(天照大神)が200年頃に倭王兼奴国王となり、争乱が収まって長期にわたって君臨しました。239年に親魏倭王となり、247年頃に亡くなりました。その後を継いだ臺與が248年頃に倭王兼奴国王となりました。
 伊弉諾神宮の北東10kmの淡路市黒谷にある弥生時代後期の竪穴式住居跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」が、国内最大規模の鉄器製造群落と確認されています。鉄器生産に特化した約1800年前の「ハイテク工業団地」と断定されました。
 兵庫県立考古博物館(兵庫県播磨町)の石野博信館長は「淡路は瀬戸内海と大阪湾をつなぐ要衝の地で、鉄の流入と製品の流通を考える上できわめて重要な遺跡。今後の検証と活用が期待できる」とのコメントを発表しました。
 石野博信氏の話の中に面白い情報があります。弥生時代の竪穴住居には円形と方形がありますが、弥生時代の後期(1世紀半ばから3世紀初め)では九州北部だけ方形の住居が多いそうです。ところが古墳時代早期(庄内式土器の時代、3世紀半ば)になると全国的に方形住居が多くなるそうです。
 私見ですが、これは北部九州から大和に東遷した倭王が全国的に支配を広めたことを示す一つの証拠ではないでしょうか。3世紀半ばの時代は、北部九州では臺與、大和では7代孝霊天皇の時代です。3世紀終わりになりますと10代祟神天皇が全国支配を進めていきます。
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by enki-eden | 2013-05-03 00:12