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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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伊和大神と天日槍(あめのひぼこ)

 兵庫県立考古博物館 特別講演会  京都大学名誉教授 上田正昭(86才)
 上田先生は京都府亀岡市の小幡神社の宮司(上田家に養子)でもあります。
 2013年5月11日(土)1時半より上田先生の講演を拝聴しました。上田先生は4月の終わり頃から体調を崩され、5月10日に営まれた出雲大社本殿遷座祭も欠席されましたが、何とか当講演に駆けつけてくださいました。
 出雲大社は60年に1度の本殿修復工事で「よみがえり」ます。伊勢神宮は20年毎に社殿を造り替える式年遷宮で「若返り」ます(常若 とこわか)。 今年は62回目の式年遷宮です。
       兵庫県立考古博物館(北側から撮りました)
伊和大神と天日槍(あめのひぼこ)_d0287413_21343911.jpg

       播磨国風土記展示会
伊和大神と天日槍(あめのひぼこ)_d0287413_21352269.jpg

       講演される上田先生
伊和大神と天日槍(あめのひぼこ)_d0287413_21345525.jpg

 和銅6年(713年)に官命により、日本最古の地誌「風土記」の編纂が始まります。下記の事項を記した報告書を提出せよと命じられました。
  ①好字(良い字)を用いて郡・郷の名を記す
  ②銀・銅・染料・草・木・鳥・獣・魚・虫などの物産(金は入っていない)
  ③土地の肥沃さ
  ④山・川・原・野などの地名の由来
  ⑤古老に相伝されている旧聞・異事
 現在我々が読むことのできるのは出雲国、常陸国、播磨間、豊後国、肥前国のわずか5ヵ国の風土記にすぎない。この内、完本で残っているのは出雲国風土記だけである。
 播磨国風土記が最も早くに提出され(715年頃か)、内容も上記の5か条が忠実に記載された形になっている。土地の肥沃さについては上中下を用いて上の上から下の下までの9段階でほとんどの里を評価している。また、伝承も神話・伝説・昔話・世間話・笑い話など多くが記されている。ただし、明石郡と赤穂郡の写本が残っていない。
 「風土記」という言葉は日本では奈良時代には使っておらず、平安時代から使用しだした。
 三種の神器(剣・勾玉・鏡)を天皇が身に着けている表記は播磨国風土記と日本書紀だけである。

 宍禾郡(しさはのこおり、宍粟郡)の条に、大汝命(大己貴命)と小比古尼命(少彦名命)が競争をした。大汝命は「糞をがまんして遠くまで行く」と、小比古尼命は「重い埴の荷を背負って遠くまで行く」と。数日後、大汝命は我慢できず糞をした。小比古尼命は重い荷を下ろした。それで、その地を埴岡と号く。(神前郡埴岡里) 「笑い話」である。
 播磨国風土記では、伊和大神と葦原志許乎命(大己貴神・大国主の別称)は同神としているが、大国主を祖と仰ぐ出雲の人々が播磨に移住して、地元の伊和君(いわのきみ)が祀る伊和大神と習合したのであろう。伊和大神は宍粟市の伊和神社に祀られる。
 播磨国風土記には、伊和大神が先に播磨にいたが、後からやって来た天日槍と国争いになり、非常に激しいものとして描かれている。争いを収めたのは、山頂から黒葛(くろかずら)を投げるという神占で、古代の争いを収める方法の一つだったのか。

 天日槍(あめのひぼこ)は新羅の王子で、古事記には14代応神天皇の時代、日本書紀には11代垂仁天皇の時代と記されている。上田説では、天日槍には須恵器職人が従者として来ているので、応神天皇の頃(5世紀)にやって来たとする。
 天日槍は逃げた妻を追って、新羅から大分県の姫島へ、そして総社市の姫社神社へ、それから摂津国へと移っている。そして播磨まで来て伊和大神と争いになる。
 天日槍は但馬国に落ち着き、豊岡の円山川流域を開拓した。亡くなって、出石神社(いずしじんじゃ)に祀られた。

 天ノ日矛はアメノヒボコと読めるが、天日槍はそうは読みにくい。昔、学生が上田先生に「アメノヒヤリ」について質問に来たそうです。よく聴いてみると「アメノヒボコ」のことだったので、先生はひやりとしたそうです。

 播磨国は交流の十字路になっており、東は河内・大和、西は吉備・安芸、北は日本海、南は瀬戸内の交流の中心地で、海外とも繋がっている。また、播磨と出雲は密接に繋がっている。都の大和と出雲を結ぶ官道があり、国造(くにのみやつこ)が都へのぼったり、国司が赴任する道の中間点の要衝地が播磨である。
 播磨国風土記には天皇に関する記述が多い。応神、仁徳、景行、欽明、成務、雄略、
安閑、推古、孝徳、天智天皇の記述がある。
 移住してきた人の記述もあります。讃岐、但馬、伊予、筑紫、隠岐、出雲、伯耆、因幡、
河内、大和、宇治、石見、日向など。
 渡来人の記述も多い。韓人、新羅人、漢人(伽耶)など。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp


by enki-eden | 2013-05-12 00:12