2013年 05月 31日
大神神社の若宮社と活日神社(いくひじんじゃ)
大神神社(おおみわじんじゃ)の二の鳥居前駐車場に車を停めて、近くの三輪そうめん店で先ず昼食です。「冷やしそうめん」を注文しましたが、やはり三輪そうめんはおいしいですねぇ。大満足です!
店内にそうめんが入った大きな木箱が並べてありました。180束入っていて、重さは9kg、値段は8,800円です。冬になると「にゅうめん」にすれば良いと思います。
大神神社のパンフレット
大神神社二の鳥居
参道を進むと左に祓戸神社が鎮座。祭神は祓戸四神(祓戸大神)です。
更に進むと左に手水舎の蛇が酒樽の上に鎮座。口から水が出ています。
酒樽には社紋の三つ杉、横には「志るしの杉」が鎮座。
拝殿前の注連柱、注連縄は向かって左が元になっています。神体山の三輪山が
大物主神の墳墓(磐座)だからでしょう。
大神神社拝殿
若宮社(大直禰子神社 おおただねこじんじゃ)
奈良県桜井市三輪字若宮 大神神社摂社
祭神:太田田根子命(おおただねこのみこと、大物主神の子孫で大神神社初代祭主)
配祀:少彦名命、活玉依姫命(大物主神の妃)
10代祟神天皇の御世(3世紀後半)、天照大神と倭大国魂神を皇居に祀った。すると疫病、争乱により多くの民が死亡した。そのため二神を皇居の外に出して祀った。
祟神天皇は神浅茅原(かむあさじがはら、現在の桜井市茅原)に八十万(やそよろず)の神をお招きして占いをした。神は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ、7代孝霊天皇の皇女)に神憑(かみがか)りして、大物主神を祀るようにと言われた。なお後日、天皇が祈っていると大物主神の子・大田田根子に吾を祀らせよと告げられた。
それで大田田根子を探し求めて、三輪山の麓で大物主神を祀る祭主とし、大神神社の創始となった。私は大田田根子が住んだ所が若宮社の地だと考えています。
また、高橋邑の活日(いくひ)を、大物主神にたてまつる酒を掌る人とした。活日は後に大神神社摂社の活日神社の祭神(高橋活日命)となる。
若宮社(大直禰子神社)鳥居
鳥居前に「おだまき杉」の古株が鎮座
社殿前の「御饌石」(みけいし)
社殿(明治の神仏分離までは、三輪明神の神宮寺「大御輪寺」でした。)
由緒
琴平社(鳥居の右、祭神は大物主神)
御誕生所社(祭神は鴨部美良姫命、鳥居の左)
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
御誕生所社ご神体の磐座
活日神社(いくひじんじゃ)
奈良県桜井市三輪活日川 大神神社摂社
祭神:高橋活日命
高橋邑(現在の天理市)の活日(いくひ)を、大物主神にたてまつる酒を掌る人とした。10代祟神天皇は大田田根子に大物主神を祀らせた。この日、活日は神酒(みき)を天皇に奉り、歌を詠んだ。
此の神酒は わが神酒ならず 大和成す 大物主の醸(かみ)し神酒
幾久(いくひさ) 幾久
(この酒は私が造った酒ではなく、倭の国を造られた大物主神が醸された神酒です。
幾世までも久しく栄えよ、栄えよ。)
祟神天皇も歌われた。
味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の 朝門(あさと)にも 押し開かね三輪の
殿門(とのど)を
(一晩中酒宴をして、三輪の社殿の朝の戸を押し開こう。三輪の戸を。)
「うま酒」は三輪の枕詞
由来によると、活日命は大和国添上郡高橋邑の人で、酒造りが巧かったので、崇神天皇の8年、大物主神へ奉る神酒の醸造人として召された。その御魂を此の地にお祀りしたものである。
大神神社の春の大神祭、醸造安全祈願祭(酒まつり)などで4人の巫女が舞う神楽「うま酒みわの舞」が奉納されています。
奈良は日本酒発祥の地です。活日命は杜氏の先祖と信仰され、新酒の仕込みの前、杜氏さん達が全国からこの神社に参拝し、勤めを終えて郷里へ帰る時、再びお参りをされます。
由緒
鳥居と石段
瑞垣と社殿
社殿(千木は垂直切り、鰹木は3本、注連縄は左が元)
店内にそうめんが入った大きな木箱が並べてありました。180束入っていて、重さは9kg、値段は8,800円です。冬になると「にゅうめん」にすれば良いと思います。
大神神社のパンフレット
大神神社二の鳥居
参道を進むと左に祓戸神社が鎮座。祭神は祓戸四神(祓戸大神)です。
更に進むと左に手水舎の蛇が酒樽の上に鎮座。口から水が出ています。
酒樽には社紋の三つ杉、横には「志るしの杉」が鎮座。
拝殿前の注連柱、注連縄は向かって左が元になっています。神体山の三輪山が
大物主神の墳墓(磐座)だからでしょう。
大神神社拝殿
若宮社(大直禰子神社 おおただねこじんじゃ)
奈良県桜井市三輪字若宮 大神神社摂社
祭神:太田田根子命(おおただねこのみこと、大物主神の子孫で大神神社初代祭主)
配祀:少彦名命、活玉依姫命(大物主神の妃)
10代祟神天皇の御世(3世紀後半)、天照大神と倭大国魂神を皇居に祀った。すると疫病、争乱により多くの民が死亡した。そのため二神を皇居の外に出して祀った。
祟神天皇は神浅茅原(かむあさじがはら、現在の桜井市茅原)に八十万(やそよろず)の神をお招きして占いをした。神は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ、7代孝霊天皇の皇女)に神憑(かみがか)りして、大物主神を祀るようにと言われた。なお後日、天皇が祈っていると大物主神の子・大田田根子に吾を祀らせよと告げられた。
それで大田田根子を探し求めて、三輪山の麓で大物主神を祀る祭主とし、大神神社の創始となった。私は大田田根子が住んだ所が若宮社の地だと考えています。
また、高橋邑の活日(いくひ)を、大物主神にたてまつる酒を掌る人とした。活日は後に大神神社摂社の活日神社の祭神(高橋活日命)となる。
若宮社(大直禰子神社)鳥居
鳥居前に「おだまき杉」の古株が鎮座
社殿前の「御饌石」(みけいし)
社殿(明治の神仏分離までは、三輪明神の神宮寺「大御輪寺」でした。)
由緒
琴平社(鳥居の右、祭神は大物主神)
御誕生所社(祭神は鴨部美良姫命、鳥居の左)
御誕生所社ご神体の磐座
活日神社(いくひじんじゃ)
奈良県桜井市三輪活日川 大神神社摂社
祭神:高橋活日命
高橋邑(現在の天理市)の活日(いくひ)を、大物主神にたてまつる酒を掌る人とした。10代祟神天皇は大田田根子に大物主神を祀らせた。この日、活日は神酒(みき)を天皇に奉り、歌を詠んだ。
此の神酒は わが神酒ならず 大和成す 大物主の醸(かみ)し神酒
幾久(いくひさ) 幾久
(この酒は私が造った酒ではなく、倭の国を造られた大物主神が醸された神酒です。
幾世までも久しく栄えよ、栄えよ。)
祟神天皇も歌われた。
味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の 朝門(あさと)にも 押し開かね三輪の
殿門(とのど)を
(一晩中酒宴をして、三輪の社殿の朝の戸を押し開こう。三輪の戸を。)
「うま酒」は三輪の枕詞
由来によると、活日命は大和国添上郡高橋邑の人で、酒造りが巧かったので、崇神天皇の8年、大物主神へ奉る神酒の醸造人として召された。その御魂を此の地にお祀りしたものである。
大神神社の春の大神祭、醸造安全祈願祭(酒まつり)などで4人の巫女が舞う神楽「うま酒みわの舞」が奉納されています。
奈良は日本酒発祥の地です。活日命は杜氏の先祖と信仰され、新酒の仕込みの前、杜氏さん達が全国からこの神社に参拝し、勤めを終えて郷里へ帰る時、再びお参りをされます。
由緒
鳥居と石段
瑞垣と社殿
社殿(千木は垂直切り、鰹木は3本、注連縄は左が元)
by enki-eden
| 2013-05-31 00:52