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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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富士神社、厳島神社、神御前神社

富士神社、厳島神社
 奈良県桜井市茅原560   電:0744-43-0376
 大和国一之宮大神神社の境外末社

富士神社(祭神:木花咲耶姫命)
 木花咲耶姫命は大山祇神の御子神で、瓊々杵尊の妃です。
 富士の浅間神社にも祀られています。火山の富士山に、火祭りの三輪山、製鉄族の
木花咲耶姫命、やはり蹈鞴製鉄と密接に繋がっているのでしょう。

厳島神社(祭神:市杵島姫命)
 大神神社の鎮女池に祀る市杵嶋姫神社は当社の分霊です。
 市杵島姫命は素戔嗚尊と天照大神との誓約により生まれました。
  


 社殿の後ろに弁天社古墳がありますが、かなり崩れています。神社は古墳の上に建てられたのでしょう。神社のご神体が古墳でしょうか。
 茅原周辺には製麺所が多いです。「三輪そうめん」と「たたら製鉄」は関係ないと思いますが、「そうめん流し」と「鉄穴流し かんなながし」は関係あるのでしょうかねぇ…

  祠が並んでいる(古墳の上に鎮座)。向かって右が富士神社、左が厳島神社。
富士神社、厳島神社、神御前神社_d0287413_1330321.jpg


神御前神社(かみのごぜんじんじゃ)
 奈良県桜井市茅原   富士神社・厳島神社の東向かいに鎮座
 大神神社の境外摂社
 祭神: 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ、7代孝霊天皇の皇女)

 私見ですが、倭迹迹日百襲姫命はここに住んでいたと考えています。毎夜、大物主神が訪れてきますが、それは大物主神の子孫で大神神社の祭主である大直禰子(おおただねこ)命でしょう。大直禰子命は若宮社の所に住み、大神神社で大物主神を祀っていました。若宮社と神御前神社の距離は450mほどで、その延長線上に箸墓古墳があります。
 箸墓古墳は神御前神社から800mほどです。箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命の陵墓ですが、大直禰子命も合葬されている可能性があります。
 倭迹迹日百襲姫命が筑紫から東遷してきた二代目女王・臺與であれば、箸墓古墳は臺與の陵墓となりますが、臺與が東遷したという文献はありませんので、推測にすぎませんが…
 臺與は西暦235年頃に北部九州で生まれています。私見ですが、臺與は270年頃に大和へ来て、295年頃に大和で亡くなったと見ています。それが正しければ、10代祟神天皇は臺與の皇子ではないでしょうか。祟神天皇の生年は250年頃と見ています。
 祟神天皇の時代に銅鐸が禁止され、北部九州の「三種の神器」を採用。墓制も箸墓古墳の定形型前方後円墳により古墳時代に突入。この頃、三角縁神獣鏡が大量に流布する。
 9代開化天皇までは宮中で高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を祀っていましたが、祟神天皇は天照大神(卑弥呼と臺與)を祀りました。それで大和は大混乱となります。




 10代崇神天皇が八十万の神々を招いて占いをした「神浅茅原 かむあさぢがはら」は
現在の茅原だと言われています。倭迹迹日百襲姫命が神憑りして、神託を受けました。
後ろの山は三輪山です。
富士神社、厳島神社、神御前神社_d0287413_13533771.jpg

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       由緒
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纏向遺跡では「東西に中軸線を揃えた4棟の建物跡」や、大量の桃の種が見つかった祭祀土坑(さいしどこう)など、重要な遺構や遺物が多数確認されています。
 昨年の12月2日に兵庫県立考古博物館において、奈良県桜井市教育委員会の橋本輝彦氏の講演があり、纏向遺跡の発掘報告がありました。
 纏向遺跡居館配置図
 (建物ABCDの4棟が東西に揃っている。東にもう1棟推定される。)
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  居館模型(桜井市立埋蔵文化財センター)
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 この時期の遺跡で建物が中軸線を揃えたものは纏向遺跡だけです。東西に並んでいることから太陽信仰と関わりがあるのでしょう。
 全国の他の遺跡の建物はバラバラの配置になっています。今後の調査で他の遺跡でも中軸線が揃ったものが出土する可能性はあります。この纏向遺跡の建物Dは倭迹迹日百襲姫が神を祀る神殿であったのかもしれませんね。建物Dの南に大型土坑がありますが、ここに祭祀に使った大量の桃の種が出土しました。ヤマトトトヒモモソヒメの名前の由来かもしれません。名前の由来は諸説ありますが…
 橋本輝彦氏によりますと、建物Dの東(桜井線の線路の下)にも建物跡があると推定されるそうですが、そこは線路ですから発掘できません。そして、桜井市の北隣の天理市にまで遺跡は繋がっている可能性があるそうです。

 また6年前に、纏向遺跡の3世紀前半頃の井戸から木製の仮面が出土しましたが、これは農具である鍬を転用している点から、他の木製品とともに農耕に関連する祭祀の場で使われたものと推定されています。
 今年の5月、奈良県桜井市の大福遺跡で2世紀後半の仮面とみられる木製品の一部が見つかり、桜井市教育委員会などが5月30日発表しました。木製仮面では国内最古といい、祭祀に用いたと見られます。桜井市立埋蔵文化財センターに行って写真を撮ってくる予定にしています。
   
印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp



by enki-eden | 2013-06-02 14:03