古代史探訪

enkieden.exblog.jp
ブログトップ

石上神宮(いそのかみじんぐう)

 布留大明神
 奈良県天理市布留町384    電:0743-62-0900   無料駐車場あります
 布留山(266m)の北西麓に鎮座、物部氏の氏神。
 主祭神: 布都御魂大神(ふつのみたま)、 神体は布都御魂剣。布都は素戔嗚の父。
 配祀: 布留御魂大神 (ふるのみたま)、神体は十種神宝。布留は饒速日。
     布都斯魂大神 (ふつしみたま)、神体は天羽々斬剣。布都斯は素戔嗚。
     宇摩志麻治命 (うましまじのみこと)ほか。宇摩志麻治は饒速日の御子。
 創建: 崇神天皇7年(西暦300年頃に物部氏の伊香色雄が創建)
 志賀剛著「神名の語源辞典」によると、宇摩志麻治命は「まじないの上手な命」という意味になります。「物部神道」には「まじない、呪文」の要素が濃厚です。



 私見ですが、物部氏の系図を記します。(数字は西暦の出生年)
   布都(ふつ)-布都斯(素戔嗚)-布留(饒速日、大歳)-宇摩志麻治-
    125年頃   140年頃     165年頃        190年頃
 
   彦湯支(ひこゆき)-出石心-大矢口宿禰-大綜杵(おおへそき)-伊香色雄
    205年頃    220年頃  235年頃    250年頃       265年頃

 石上神宮の周辺には布留町、布留川、布留山と饒速日(布留)に因んだ名が使われています。物部氏は軍事と祭祀を司る名門で、石上神宮は武器庫の役目も果たしていました。
 10代崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が布都御魂剣を現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建になります。この頃(西暦300年頃)、伊香色雄と伊香色謎(8代孝元天皇妃・9代開化天皇妃)により物部氏の勢力が大きく拡大することになりました。
 石上神宮には元々本殿はなく、拝殿後ろの禁足地を祀っていましたが、禁足地には2つの神宝が埋納されていると伝えられていました。1874年の発掘で布都御魂剣や勾玉などの神宝が出土しました。1878年の禁足地再発掘でも天羽々斬剣が出土。出土した神宝を奉斎するために本殿が建造され、1913年に完成しました。
 境内には多くの鶏がいますが、人や猫にも慣れていて逃げません。「常世の長鳴き鳥」と思われるような長い鳴き声の雄鶏もいました。

 毎年11月22日に鎮魂祭が催されます。国宝の拝殿で午後5時から7時まで行われます。物部氏の祖神・饒速日命の御子、宇摩志麻治命が十種神宝を献上し初代神武天皇の長寿を祈ったのが始まりです。(先代旧事本紀による)
 鎮魂祭では十種神宝、玉の緒、神鈴の付いた榊が使われます。鎮魂(たまふり)の神業(かむわざ)により玉の緒が斎い結ばれ、天皇陛下の長寿をお祈りする神秘的な神事です。宮司が「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり」と唱えつつ、「ふるべ ふるべ ゆらゆらとふるべ」と「十種の神宝」を揺り動かし、神鈴を鳴らし、呪文を唱え、生命の長寿を祈ります。これが「物部神道」だと思いますが、6世紀末に物部氏の衰退、7世紀末に天皇家と藤原氏の隆盛により「大祓えの国家神道」へと変遷していきます。
 同じ11月22日に、宮中でも鎮魂祭が宮中三殿の後方にある綾綺殿(りょうきでん)で行われます。

 「玉の緒」とは「魂の緒」に通じて「魂をつなぐ紐」、転じて命そのものを指すようです。節分の前夜に「玉の緒祭り」の神事が行われるそうです。
 横道にそれますが、「玉の緒」から「へその緒」を思い出します。数年前に「玉の緒地蔵尊」にお参りしたことも思い出しました。兵庫県加古川市志方町東飯坂にある「お地蔵さん」です。子授け地蔵として有名で、かなり遠方からも祈願に来られていますよ。ちょっと山奥へ入って行くので場所が分かりにくいですがね。
   玉の緒地蔵尊地図


 石上神宮の鎮魂祭で用いられる「十種神宝」は沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)です。織田信長が石上神宮を焼き討ちにし、十種神宝が持ち去られたようで、実物はありませんので代用品で賄っているのでしょう。
 秋田県大仙市境字下台94の唐松神社には「物部文書」、「奥津鏡」、「辺津鏡」、「十握の剣」、「生玉」、「足玉」が所蔵されており、饒速日像もあります。
 大阪市平野区喜連6丁目1-38の楯原神社の境内に神宝十種之宮が鎮座。十種神宝が祀られています。
 饒速日から伝世の十種神宝は石上神宮の禁足地に埋納されたままなのか、戦国時代に滅失してしまったのか、唐松神社や楯原神社に分散しているのか、確認できません。

     石上神宮鳥居
d0287413_21452580.jpg

     鳥居の扁額(布都御魂大神)
d0287413_21455495.jpg

     柿本人麿の歌碑
  おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは
   (「袖振る」と「山」をかけている)
d0287413_21471090.jpg

     神杉
d0287413_21475395.jpg

     楼門(重要文化財)
d0287413_2148990.jpg

d0287413_21482259.jpg

     拝殿(国宝)
  
d0287413_214839100.jpg

     拝殿内
d0287413_2148565.jpg

     拝殿背後の神庫(ほくら、校倉造り)と禁足地
d0287413_21491582.jpg

     禁足地に本殿がかすかに見える
d0287413_2149412.jpg

     拝殿の屋根の上に本殿が少しだけ見える。千木は外切り、鰹木は5本。
d0287413_21501467.jpg

     境内に七支刀の写真(国宝、369年百済で製造)
d0287413_21503243.jpg

     境内社の天神社
d0287413_215048100.jpg

d0287413_220799.jpg

     摂社・出雲建雄神社(祭神は草薙の剣の御霊、拝殿は国宝)
d0287413_2203690.jpg

d0287413_21591928.jpg

d0287413_21593539.jpg

     境内図
d0287413_21545360.jpg

     境内の鶏
d0287413_215516100.jpg


 岡山県に石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)があります。祭神は素戔嗚尊、所在地は岡山県赤磐市石上字風呂谷1448です。
 布都御魂は素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣(十握剣)であると伝えられており、その十握剣を祀ったのが当社の創始です。布都御魂と言うからには、素戔嗚(布都斯)が父・布都の剣を所持していたのでしょう。この剣は10代崇神天皇の時代に大和国の石上神宮へ移された。それであれば、素戔嗚(布都斯)又は父の布都の出身地は吉備の国になるのでしょうか。明治時代になって、祭神も布都御魂から素戔嗚尊に変更されたようです。
 私見ですが、素戔嗚は弥生人の中でも楚人だと見ています。吉備国の人のY染色体に楚人系のO1aが平均値よりもずば抜けて高いことと、素戔嗚の出身地(吉備又は出雲)とは関係があるように感じます。

[PR]
by enki-eden | 2013-07-13 00:02