古代史探訪

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天目一神社(あめのまひとつじんじゃ、兵庫県西脇市)

 兵庫県西脇市大木町648       車は鳥居の奥に停められます。
 祭神: 天目一箇神(あめのまひとつのかみ、製鉄・鍛冶の神、ふいごの神)
     合祀の平野神社祭神:
      大雀命(おおさざきのみこと、16代仁徳天皇)、日本武尊、天穂日命。


 12月第1日曜日に「ふいご祭り」が行われています。
 灯篭の屋根にある宝珠が矛の形をしていますが、この形は時々見かけます。 神社の周辺は水田になっており、社殿の背後には神奈備山が見えます。
     神明鳥居と社号標
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     趣のある狛犬
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     拝殿(瓦葺)と拝殿内
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 拝殿に掲示の由緒:(長いですから抜粋します。それでも長い。)
 『日野地区は、加古川の支流杉原川が作った沖積平野と段丘上に拓けた地域です。この地に人々が生活しはじめたのは古く、縄文時代後期(約4,000年前)の土器が発見されています。
 弥生時代(約2,300年前)になって稲作が伝わると、さらに開拓は進み、多くの集落跡が見つかっています。奈良時代(8世紀)には、託賀郡都麻里に含まれましたが、平安時代の中頃(10世紀)には、杉原川東岸地域は資母郷、西岸地域は那珂郷と呼ばれるようになりました。このころの開拓の様子を示す、条里という一辺109mの正方形の土地区画跡が道路や水路に残されています。
 平安時代後期から室町時代にかけては、東岸地域は這田荘、西岸地域は安田荘という荘園に含まれていたらしいのですが、戦国時代には富田荘というひとつの荘園になり、それぞれ富田郷、野中郷と呼ばれ、野間城(八千代町)に本拠を置く在田氏の支配下にありました。
 その後、豊臣氏の蔵入地を経て江戸時代には各村ごとに分割支配が行われましたが、大木、野中、市原、前島などの村々は姫路藩領、幕府領、古河藩領と移り変わりました。
 明治時代になって廃藩置県が行われ、明治9年にほぼ現在の兵庫県になりました。日野という地名は、明治22年の野村制の施行により十か村が合弁した時に、鎮守の春日神社の日と平野神社の野をとって日野と名付けたものです。
 大木町に鎮座する天目一神社の祭神は天目一命で、天久斯比止都命ともいいます。神話によれば、天照大神が弟の素盞鳴命の乱暴に怒って天岩戸に隠れた時、岩戸を開くための祭に使用する刃物や鉄鈴を作ったのが天目一命でした。それ以来、鍛冶の神、ふいごの神として崇拝されるようになったといわれています。また、天目一命は、播磨国風土記の託賀郡の条にも登場し、多可郡の地が古代から鍛冶に関する高度な技術をもっていたことも考えられるのです。
 社殿は地元をはじめ、播州や泉州の金物業者の援助を得て、大正12年に竣工し、鎮守である平野神社も平野山東山麓から移して合祀しました。竣工した本殿は神明造とよばれる特殊な形式を採用し、しかも近在では例を見ないほど大きく立派なものです。また、鳥居も本殿にあわせて神明鳥居が作られています。
 竣工以来、天目一神社は復興された式内社として有名になり、近在の鍛冶職人、金属加工職人たちの信仰を集めました。旧暦11月8日(現在は新暦12月第1日曜日に行われる「ふいご祭」には播磨をはじめ遠く丹波、但馬、美作、和泉からも参詣者があり、強風が吹くほどふいごの風が強くなると喜ばれました。
 戦後は金属工業などの機械化により、参詣者は減りましたが、現在では熱心な信者と地元大木町の努力によって、盛大にふいご祭が行われています。』

 平安時代の927年にできた、延喜式には延喜式内社と呼ぶ、全国で重要とされた神社が記載されていますが、その中の多可六座の一つに、この天目一神社が含まれています。
 天目一箇神は播磨国風土記の託賀郡(多可郡)の条に天目一命の名で登場します。土地の女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)が父のわからない子を産んだが、子に盟酒(うけいざけ)をつぐ相手を諸神から選ばせたところ、天目一命についだことから天目一命が子の父であると分かったというもので、この神話は農耕民と製銅者集団の融合を表しているという説もあります。
 道主日女命によく似た名前に、天火明命の妃・天道日女命(あめのみちひめ、あまじひめ)があります。そして宗像三女神は道主貴(みちぬしのむち)とも言われます。しかし、それぞれ時代と場所が違いますから、やはりこの道主日女命は播磨国託賀郡荒田村の女神でしょう。
 盟酒(うけいざけ)については、1月2日投稿の盟酒(うけいざけ・父親を占いで探す)をご覧ください。

 奈良時代に播磨国には、「忍海漢人(おしぬみのあやひと)」や「韓鍛首(からかぬちのおびと)」など、朝鮮半島から渡来してきた鍛冶集団が住みついており、その人々の一部がこの地で製鉄や製銅を行ない、天目一神社を祀ったようです。
 神社付近からは、鉄や銅を溶かした塊や祭器などの破片が出土しています。

     本殿、千木は垂直切り、鰹木は7本。
     神明造りの立派な棟持ち柱がいいですね。
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     本殿右の稲荷社(二社あります。)
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   本殿左の祠(小さな祠ですが、祭神がすごい。天之御中主大神、比留女之命、龍神)
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by enki-eden | 2013-10-09 00:09