2013年 10月 21日
行者塚古墳(兵庫県加古川市)
兵庫県加古川市山手2丁目、 1973年に国の史跡になりました。
国の史跡の西条古墳群にあり、全長99m、径70m、高さ9mの大型前方後円墳。
築造は4世紀終わりから5世紀初め頃で、15代応神天皇、16代仁徳天皇の頃でしょうか。大和・河内では巨大古墳の時代です。
行者塚古墳の西方2.3kmに播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ、12代景行天皇の皇后、日本武尊の母)の陵墓(日岡御陵)と日岡山古墳群、日岡神社があります。播磨稲日大郎姫と行者塚古墳の主は50~60年ほどの年令差です。両者は同族なのでしょう、加古川周辺の大豪族でした。日岡山古墳群から西条古墳群に墓域を移動したと考えられています。
西条古墳群(行者塚・人塚・尼塚の3古墳)は住宅街の中にあるので、こんもりとした森がはっきりと見えて迷わずにたどり着けます。
西条古墳群位置図
行者塚古墳説明板によると、三段の墳丘は竜山石の葺石で覆われていました。平面部には多くの円筒埴輪・朝顔形埴輪などが立てられ、総数は2,500本と推定されています。
造り出しが4つあり、周濠もありました。発掘の結果、多数の副葬品が出土、中でも中国製の金銅製帯金具が有名です。これは大和葛城の馬見古墳群(4世紀末~6世紀、葛城氏の墳墓)出土物と類似しているようです。大和葛城と播磨稲日(印南)の豪族も363年の神功皇后新羅遠征に従軍したと考えられています。
これらの副葬品は加古川総合文化センター(東加古川駅前)に展示されているので、別の機会に訪問したいと思います。
墳丘の裾の西側造り出し部分に埴輪と祭祀の様子が復元されています。
墳丘東側
墳頂には説明板があります。
当地周辺には古墳が多数あったそうですが、日本経済が高度成長期の宅地造成で小古墳は全部なくなり、行者塚・人塚・尼塚の3古墳だけになりました。当時、全国的に古墳は開発の犠牲になりましたが、最近は厳しく守られ整備されています。
東国原氏が宮崎県知事の時代に私は知事にメールを送り、生目古墳群が開発のために壊されているので開発よりも文化財保護に力を入れて欲しいと申しました。教育委員長からメールが届き、そういうこともありましたので現在は厳しく管理整備していますとご返事がありました。
人塚古墳
径60m、高さ9mの帆立貝式前方後円墳ですが、南西にある前方部は破壊されて長さが確定できないようです。5世紀前半の築造です。二段築成で葺石と埴輪があります。周濠も残っています。
現在、整備工事中で内部には入れませんでした。
尼塚古墳
人塚古墳の南200mに位置し、南東に出っ張りのある帆立貝式前方後円墳です。二段築成で上段だけに葺石があり、下段には埴輪がありました。周濠の痕跡もあります。
墳長は52m、径44m、高さ6mです。5世紀中頃の築造です。
造り出し
説明板
墳頂
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
国の史跡の西条古墳群にあり、全長99m、径70m、高さ9mの大型前方後円墳。
築造は4世紀終わりから5世紀初め頃で、15代応神天皇、16代仁徳天皇の頃でしょうか。大和・河内では巨大古墳の時代です。
行者塚古墳の西方2.3kmに播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ、12代景行天皇の皇后、日本武尊の母)の陵墓(日岡御陵)と日岡山古墳群、日岡神社があります。播磨稲日大郎姫と行者塚古墳の主は50~60年ほどの年令差です。両者は同族なのでしょう、加古川周辺の大豪族でした。日岡山古墳群から西条古墳群に墓域を移動したと考えられています。
西条古墳群(行者塚・人塚・尼塚の3古墳)は住宅街の中にあるので、こんもりとした森がはっきりと見えて迷わずにたどり着けます。
西条古墳群位置図
行者塚古墳説明板によると、三段の墳丘は竜山石の葺石で覆われていました。平面部には多くの円筒埴輪・朝顔形埴輪などが立てられ、総数は2,500本と推定されています。
造り出しが4つあり、周濠もありました。発掘の結果、多数の副葬品が出土、中でも中国製の金銅製帯金具が有名です。これは大和葛城の馬見古墳群(4世紀末~6世紀、葛城氏の墳墓)出土物と類似しているようです。大和葛城と播磨稲日(印南)の豪族も363年の神功皇后新羅遠征に従軍したと考えられています。
これらの副葬品は加古川総合文化センター(東加古川駅前)に展示されているので、別の機会に訪問したいと思います。
墳丘の裾の西側造り出し部分に埴輪と祭祀の様子が復元されています。
墳丘東側
墳頂には説明板があります。
当地周辺には古墳が多数あったそうですが、日本経済が高度成長期の宅地造成で小古墳は全部なくなり、行者塚・人塚・尼塚の3古墳だけになりました。当時、全国的に古墳は開発の犠牲になりましたが、最近は厳しく守られ整備されています。
東国原氏が宮崎県知事の時代に私は知事にメールを送り、生目古墳群が開発のために壊されているので開発よりも文化財保護に力を入れて欲しいと申しました。教育委員長からメールが届き、そういうこともありましたので現在は厳しく管理整備していますとご返事がありました。
人塚古墳
径60m、高さ9mの帆立貝式前方後円墳ですが、南西にある前方部は破壊されて長さが確定できないようです。5世紀前半の築造です。二段築成で葺石と埴輪があります。周濠も残っています。
現在、整備工事中で内部には入れませんでした。
尼塚古墳
人塚古墳の南200mに位置し、南東に出っ張りのある帆立貝式前方後円墳です。二段築成で上段だけに葺石があり、下段には埴輪がありました。周濠の痕跡もあります。
墳長は52m、径44m、高さ6mです。5世紀中頃の築造です。
造り出し
説明板
墳頂
by enki-eden
| 2013-10-21 00:06