2014年 02月 20日
高津宮(こうづぐう、こうづのみや)
大阪市中央区高津(こうづ)1丁目1-29 電:06-6762-1122 駐車場はありません。
祭神 仁徳天皇(16代)
仲哀天皇(14代)、応神天皇(15代)、神功皇后
葦姫皇后、履中天皇(17代)
浪速(なにわ 難波)の地を都(高津宮 たかつのみや)と定め大阪の基を築いた16代仁徳天皇を祀るのが高津宮です。都心の小高い丘に鎮座。
仁徳天皇については2013年2月24日(日)投稿の「仁徳天皇」をご覧ください。
日本書紀によると、『仁徳天皇が高殿に登って遥かに眺めると、人家の煙が見られない。いま自分が政について3年になるが、褒め称える声も起こらず、百姓が窮乏している。今後3年間は課税をやめる。』と言われました。
神社の由緒によると、創建は56代清和天皇の866年の勅命によって、仁徳天皇旧都の遺跡を探索して社地を定め、社殿を築いてお祀りしたのが始まりです。以後浪速津の守護神として信仰され、その後700年を経た106代正親町天皇(おおぎまちてんのう)の1583年、豊臣秀吉の大阪城築城により、1.5km南西の現在地・比売古曽社に遷座しました。そして比売古曽社の下照比売命を地主神としました。
大阪市歌の1番
『高津の宮の昔より 代々(よよ)の栄(さかえ)を重ね来て
民のかまどに立つ煙 賑い(にぎわい)まさる大阪市 賑いまさる大阪市』
1945年3月の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しましたが、戦後の奉賛により1961年10月社殿が復興完成しました。
表参道入り口の鳥居
由緒
参道。両脇は高津公園になっている。
参道の梅の橋。江戸時代の橋の下は梅川が流れており、道頓堀川につながっていた。
当時の周辺は梅の名所だったが、現在は桜が美しく桜の名所になっています。夜桜も有名。
境内には70本以上の桜の木があり、4月には桜まつりが行われます。
献梅碑
手水舎
拝殿
立派な本殿(千木は垂直切り、鰹木は3本)
本殿左に摂社・比売古曽神社(下照姫命)、右奥に仁徳庭園入り口があります。
境内の西に相合坂(あいおいざか 縁結びの坂)
本殿右に高倉稲荷神社
高倉稲荷神社の右に安井稲荷神社(東側には梅林があります。)
安井稲荷神社の谷下に谷末社(三社)が鎮座。
白菊社(草野姫命 かやのひめのみこと)、千年社(大市姫命)、常高社(大山祇命)
陰陽石
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
祭神 仁徳天皇(16代)
仲哀天皇(14代)、応神天皇(15代)、神功皇后
葦姫皇后、履中天皇(17代)
浪速(なにわ 難波)の地を都(高津宮 たかつのみや)と定め大阪の基を築いた16代仁徳天皇を祀るのが高津宮です。都心の小高い丘に鎮座。
仁徳天皇については2013年2月24日(日)投稿の「仁徳天皇」をご覧ください。
日本書紀によると、『仁徳天皇が高殿に登って遥かに眺めると、人家の煙が見られない。いま自分が政について3年になるが、褒め称える声も起こらず、百姓が窮乏している。今後3年間は課税をやめる。』と言われました。
神社の由緒によると、創建は56代清和天皇の866年の勅命によって、仁徳天皇旧都の遺跡を探索して社地を定め、社殿を築いてお祀りしたのが始まりです。以後浪速津の守護神として信仰され、その後700年を経た106代正親町天皇(おおぎまちてんのう)の1583年、豊臣秀吉の大阪城築城により、1.5km南西の現在地・比売古曽社に遷座しました。そして比売古曽社の下照比売命を地主神としました。
大阪市歌の1番
『高津の宮の昔より 代々(よよ)の栄(さかえ)を重ね来て
民のかまどに立つ煙 賑い(にぎわい)まさる大阪市 賑いまさる大阪市』
1945年3月の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しましたが、戦後の奉賛により1961年10月社殿が復興完成しました。
表参道入り口の鳥居
由緒
参道。両脇は高津公園になっている。
参道の梅の橋。江戸時代の橋の下は梅川が流れており、道頓堀川につながっていた。
当時の周辺は梅の名所だったが、現在は桜が美しく桜の名所になっています。夜桜も有名。
境内には70本以上の桜の木があり、4月には桜まつりが行われます。
献梅碑
手水舎
拝殿
立派な本殿(千木は垂直切り、鰹木は3本)
本殿左に摂社・比売古曽神社(下照姫命)、右奥に仁徳庭園入り口があります。
境内の西に相合坂(あいおいざか 縁結びの坂)
本殿右に高倉稲荷神社
高倉稲荷神社の右に安井稲荷神社(東側には梅林があります。)
安井稲荷神社の谷下に谷末社(三社)が鎮座。
白菊社(草野姫命 かやのひめのみこと)、千年社(大市姫命)、常高社(大山祇命)
陰陽石
by enki-eden
| 2014-02-20 00:08