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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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穂高神社の御船祭

 テレビ報道で穂高神社(ほたかじんじゃ)の御船祭(おふねまつり)が放映されました。
 穂高神社は長野県安曇野市穂高6079に鎮座、祭神は穂高見神、綿津見神、瓊瓊杵神などです。宮司は代々穂高氏が受け継いでいます。穂高氏は安曇氏の祖である穂高見神の子孫なのでしょう。



  

 安曇氏(阿曇氏)は筑前国糟屋郡阿曇郷を拠点として、博多湾の志賀島を聖地としていた。志賀島には志賀海神社が鎮座。宮司は現在でも阿曇氏ですが、阿曇磯和宮司が5年前に亡くなられてからは太宰府天満宮の西高辻信良宮司が宮司代務者を務めておられるようです。太宰府天満宮には境内社の志賀社があり、志賀海神社との繋がりは深い。
 将来は阿曇磯和氏の甥(磯和氏の妹・平澤憲子権禰宜のご子息)が志賀海神社の宮司を継がれるようです。平澤権禰宜もテレビの取材に応じておられました。

 安曇氏(阿曇氏)は全国に拡がり、地名も渥美半島(愛知県)、安曇野(長野県)、美濃国厚見郡(岐阜県)、熱海(静岡県)、安曇川(滋賀県)など多くの関連地があります。安曇氏が全国に移住していった原因は、「磐井の乱」で敗北した磐井側に味方していたためという説があります。
 26代継体天皇は527年に朝鮮南部に軍を進めようとするが、筑紫君磐井がこれに抵抗して戦いになったので、継体天皇は物部麁鹿火を将軍として派遣し、528年に筑後国御井郡で磐井を討った。磐井の子・葛子(くずこ)は糟屋の屯倉を朝廷に献上し死罪を免れた。

 安曇氏が全国に移り住んだ原因はともかくとして、筑紫から信濃安曇野に移った安曇氏は穂高神社を建立。穂高(ほたか)氏が代々宮司を務め祖神の穂高見神、綿津見神(穂高見神の父神)を祀った。
 穂高神社は山奥にあるが、例祭として「御船祭」が9月27日に執り行われる。これは海人族としての誇りと伝統を表し、663年に白村江で戦死した将軍安曇比羅夫を称え追悼したものです。
 氏子が大きな船を造り、穂高神社の拝殿の前で2隻が船体を激しくぶつけ合います。船の前部は男腹(おばら)と言い、後部を女腹(めばら)と言います。片方の船の男腹ともう片方の船の女腹をぶつけるのです。男腹と女腹をぶつけて子孫繁栄を祈る。白村江の海戦を表しているとも云います。
 「穂高神社のサイト」をご覧ください。

 長野県安曇野市や新潟県に海藻加工食品があります。原料は日本海で採れる「えごのり」です。安曇野市や新潟県ではエゴ(イゴ)と言います。佐渡ではイゴネリ(エゴネリ)と言います。見た目はコンニャクのようで、食べるとトコロテンに似ているそうです。値段は結構高いですよ。
 同じ材料で作る海藻加工食品が福岡市にもあります。「おきゅうと」と言います。この共通した食品も海人族の安曇氏の繋がりでしょうね。
 出光興産の創業者・出光佐三氏は福岡県宗像市の出身ですが、「おきゅうと」の味が忘れられずに東京まで取り寄せたそうです。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp

by enki-eden | 2014-07-08 00:09