2014年 07月 17日
坐摩神社(いかすりじんじゃ、大阪市)①
通称 ざまじんじゃ、ざまさん
摂津国一宮は住吉大社ですが、当社も中世に住吉大社の末社になったことがあるので、その関係からか中世以降当社も摂津国一宮を称しています。
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号 電 06-6251-4792 無料駐車場あります。
社務所は大阪府神社庁を兼ねています。
祭神 生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、
阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)、
総称して坐摩大神(いかすりのおおかみ)という。
初めの三神は井水の神で、次の二神は竈神。
阿須波神は旅の守護神でもあり、東国から筑紫に向かう防人が無事を祈った。
坐摩大神は初代神武天皇の時から宮中で祀られており、皇居の守護神でした。坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られた。今でも宮中三殿の神殿で座摩巫祭神(いかすりのみかんなぎのまつるかみ)五座として祀られています。
大歳神と天知迦流美豆比売の子神に阿須波神と波比岐神があります。物部氏との繋がりがあるのでしょう。
坐摩大神は京都の上賀茂神社の摂社・須波神社でも居住地を守る神として祀られています。須波神社については2014年1月10日(金)投稿の上賀茂神社③をご覧ください。
神功皇后は新羅遠征(363年)から帰り、筑紫で誉田別皇子(15代応神天皇)を出産するが、その時に花を懸けて坐摩大神を奉斎したという。その由来により当社では4月に献花祭が執り行われます。
当社の創建は神功皇后が新羅遠征の帰りに坐摩神を淀川河口の「渡辺」に祀ったといわれる。現在の地名は大阪市中央区石町(こくまち)2-15で、坐摩神社行宮(御旅所)になっている。大阪府立労働センターの東向かいです。
大阪城築城の際に当社は現在地へ遷り、地名の「渡辺」も引き継がれた。当社の宮司職も渡邉紘一氏です。渡邉氏の祖神は天津彦根命で、先祖は都下国造(つげのくにのみやつこ)、元は凡河内国造(おおしこうちのくにのみやつこ)です。現在の渡邉宮司で58代目の宮司だそうです。
坐摩巫(坐摩神に奉仕する巫女)は都下国造の7才以上の童女が奉斎し、結婚したときは別人に替えた。
節分に斎行される特殊神事の「鎮魂祭」は、石上神宮の物部神道に似ているように感じます。神社の説明によると、『人は常に霊魂が安定して居れば元気で病苦や災いからも免れることができますが、安定を失うと病気や、不健康な状態になり、魂が遊離すれば死に至ります。
自らの魂を常に安定し、離れることのないように神様に祈願し、日々の生活の安らぎを求めるのが鎮魂祭の意義でもあります。
儀式の中で鎮魂筥(ばこ)に水晶の玉を結び、振り動かす事によって、自らの魂をふるい起こして身体の中に静かに鎮めて安定せしめ、心の平安と心身の健康・寿命の長久を祈念いたします。』とあります。
入り口の三つ鳥居(三輪鳥居)と社号標
三つ鳥居の後方(南)に社務所兼大阪府神社庁が見える。
由緒
夏祭りの案内
ご神徳と祭儀
入り口の狛犬(陶器製)
参道
手水舎、近づくと水が流れます。
明治天皇聖躅(せいちょく、足跡)、明治天皇は大阪に8度も行幸され、市内31ヵ所に聖躅の石碑が立てられたが、現在では21ヶ所が残っている。
拝殿、1945年の空襲で焼失し、1960年に鉄筋コンクリート造りで再建された。
社殿は東向きに鎮座。
本殿
*****
我が家の庭では先週から蝉が鳴き始めました。
朝起きると簾に蝉がとまっていたのでパチリ! メスなので鳴きません。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
摂津国一宮は住吉大社ですが、当社も中世に住吉大社の末社になったことがあるので、その関係からか中世以降当社も摂津国一宮を称しています。
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号 電 06-6251-4792 無料駐車場あります。
社務所は大阪府神社庁を兼ねています。
祭神 生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、
阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)、
総称して坐摩大神(いかすりのおおかみ)という。
初めの三神は井水の神で、次の二神は竈神。
阿須波神は旅の守護神でもあり、東国から筑紫に向かう防人が無事を祈った。
坐摩大神は初代神武天皇の時から宮中で祀られており、皇居の守護神でした。坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られた。今でも宮中三殿の神殿で座摩巫祭神(いかすりのみかんなぎのまつるかみ)五座として祀られています。
大歳神と天知迦流美豆比売の子神に阿須波神と波比岐神があります。物部氏との繋がりがあるのでしょう。
坐摩大神は京都の上賀茂神社の摂社・須波神社でも居住地を守る神として祀られています。須波神社については2014年1月10日(金)投稿の上賀茂神社③をご覧ください。
神功皇后は新羅遠征(363年)から帰り、筑紫で誉田別皇子(15代応神天皇)を出産するが、その時に花を懸けて坐摩大神を奉斎したという。その由来により当社では4月に献花祭が執り行われます。
当社の創建は神功皇后が新羅遠征の帰りに坐摩神を淀川河口の「渡辺」に祀ったといわれる。現在の地名は大阪市中央区石町(こくまち)2-15で、坐摩神社行宮(御旅所)になっている。大阪府立労働センターの東向かいです。
大阪城築城の際に当社は現在地へ遷り、地名の「渡辺」も引き継がれた。当社の宮司職も渡邉紘一氏です。渡邉氏の祖神は天津彦根命で、先祖は都下国造(つげのくにのみやつこ)、元は凡河内国造(おおしこうちのくにのみやつこ)です。現在の渡邉宮司で58代目の宮司だそうです。
坐摩巫(坐摩神に奉仕する巫女)は都下国造の7才以上の童女が奉斎し、結婚したときは別人に替えた。
節分に斎行される特殊神事の「鎮魂祭」は、石上神宮の物部神道に似ているように感じます。神社の説明によると、『人は常に霊魂が安定して居れば元気で病苦や災いからも免れることができますが、安定を失うと病気や、不健康な状態になり、魂が遊離すれば死に至ります。
自らの魂を常に安定し、離れることのないように神様に祈願し、日々の生活の安らぎを求めるのが鎮魂祭の意義でもあります。
儀式の中で鎮魂筥(ばこ)に水晶の玉を結び、振り動かす事によって、自らの魂をふるい起こして身体の中に静かに鎮めて安定せしめ、心の平安と心身の健康・寿命の長久を祈念いたします。』とあります。
入り口の三つ鳥居(三輪鳥居)と社号標
三つ鳥居の後方(南)に社務所兼大阪府神社庁が見える。
由緒
夏祭りの案内
ご神徳と祭儀
入り口の狛犬(陶器製)
参道
手水舎、近づくと水が流れます。
明治天皇聖躅(せいちょく、足跡)、明治天皇は大阪に8度も行幸され、市内31ヵ所に聖躅の石碑が立てられたが、現在では21ヶ所が残っている。
拝殿、1945年の空襲で焼失し、1960年に鉄筋コンクリート造りで再建された。
社殿は東向きに鎮座。
本殿
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我が家の庭では先週から蝉が鳴き始めました。
朝起きると簾に蝉がとまっていたのでパチリ! メスなので鳴きません。
by enki-eden
| 2014-07-17 00:11