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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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伊香色雄命(いかがしこおのみこと)

 素戔嗚(すさのお)の第五子・饒速日(にぎはやひ)が西暦185年頃に九州から東遷して、「天の磐船」に乗って河上の哮が峰(たけるがみね)に天降った。そこは現在の大阪府交野(かたの)市と枚方(ひらかた)市で天野川が流れており、伊香色雄の子・多弁宿禰(たべのすくね)が天野川流域を開拓し、淀川と天野川の合流する地域を支配した。一族は肩野物部(かたのもののべ、交野市と枚方市)となった。
 肩野物部の神社は大阪府交野市私市(きさいち)に鎮座の磐船神社で、祭神は饒速日命、ご神体は饒速日の乗ってきた磐船です。磐船神社については、2013年1月14日(月)投稿の「磐船神社」をご覧ください。

 伊香色雄は肩野物部の祖で、天野川の南方の伊香賀(枚方市伊加賀)に住み、その地域を支配した。邸宅内に高龗神(たかおかみのかみ、水神・竜神)を祀った。系図を見ると伊香色雄は素戔嗚の8代目で、9代開化天皇と10代崇神天皇に仕えました。
素戔嗚―饒速日―宇摩志麻治―彦湯支―出石心―大矢口宿禰―大綜麻杵―伊香色雄

 現在の意賀美(おかみ)神社の地(大阪府枚方市枚方上之町1-12)は元の須加神社(素戔嗚尊)の地で、意賀美神社は近くの伊加賀村宮山に鎮座していたが、明治時代に宮山から現在地に遷座して素戔嗚尊を合祀した。当社は万年寺山に鎮座しており、万年寺山古墳も1904年に発見されました。主体部は粘土槨で青銅鏡8面と鉄刀が出土しました。築造年代は4世紀中頃で、伊香色雄の没年は4世紀前半ですから伊香色雄の墳墓かもしれませんね。
 枚方市史によると、「意賀美神社は9代開化天皇の頃、当地の豪族伊香我色雄命が淀川の水害排除と舟の航行安全を祈願して、その邸内に創建したのが始まり」とあり、淀川の水神(竜神)を祀ったのが最初と考えられる。
 伊香色雄の邸宅は、意賀美神社の元の鎮座地伊加賀村宮山(100m南)にあったと考えられます。

   




 志賀 剛著「神名の語源辞典」によると、
 アイヌ語の「インカラウシュ」は「インカラ」=見る、「ウシュ」=場所で、
 「見晴らしの良い丘」と言う意味です。
 言葉の訛りは、インカラウシュ→イガラシ・イカラシ→イカナシ→イカマシ→
 イコマ・イクマ→イカガシ→イカガ→イカグ→カグなどです。
 伊香色雄の本拠地は大阪府枚方市伊加賀で、淀川を前にして「見晴らしの良い場所」になっています。
 「カグ」も「見晴らしの良い丘」であるなら、天火明の子・天香語山や奈良県橿原市の天香久山も見晴らしが良いという意味になるでしょう。天香久山の見晴らしの良さに関して、万葉集に34代舒明天皇の国見の歌があります。現在の天香久山は木々が生い茂って見晴らしは良くありませんがね。
   大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
   煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は
 ここで「海原は かまめ(カモメ)立ち立つ」とあるのは、当時の奈良盆地は中央部が湖(大和湖)だったからです。

 また、「イカナシ」が「見晴らしの良い丘」であるなら、吉備の物部一族の磐梨(イワナシ)氏もそのような名づけ方なのでしょう。磐梨氏は現在は北九州市に移られています。磐梨氏については2013年10月18日投稿の「八幡神社(宗佐厄神八幡神社、兵庫県加古川市)」の最後に述べていますのでご参照ください。

 伊香色雄命の同母姉妹に伊香色謎(いかがしこめ)命がおり、日本書紀と先代旧事本紀によると8代孝元天皇の妃となり、後に9代開化天皇の皇后となり、10代崇神天皇の母となる。ちょっと複雑ですがねぇ・・・
 私見ですが、崇神天皇は邪馬台国女王の臺與と共に西暦270年頃に筑紫から大和に東遷して天皇家に婿入りした可能性があります。これは状況判断だけで、裏付ける文献資料はありません。

 崇神天皇は開化天皇の兄・大彦の娘の御間城姫を皇后にします。
 伊香色謎の子孫は、伊香色謎―彦太忍信―屋主忍男武雄心―武内宿禰―葛城襲津彦―磐之姫(16代仁徳天皇の皇后)
 伊香色雄と伊香色謎の時代に物部氏は天皇家と密接に結託して大躍進することになります。

 10代崇神天皇の7年(300年頃)に物部氏の祖・伊香色雄命が大和三輪に大物主神を祀り、大田田根子を神主にします。また、布都大神(素戔嗚の父・布都及び剣)が宇摩志麻治(うましまじ、饒速日の子)の時代(3世紀初期)に宮中で祀られていましたが、伊香色雄がご神体を石上邑に遷し、石上大神として祀って物部氏の氏神となりました。(奈良県天理市布留町の石上神宮、いそのかみじんぐう)
 石上神宮については2013年7月13日(土)投稿の「石上神宮」をご覧ください。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp

by enki-eden | 2014-07-29 00:19