古代史探訪

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廣峯神社(ひろみねじんじゃ、姫路市)①

別称広峯牛頭天王
兵庫県姫路市広嶺山52   電079-288-4777   駐車場完備。
祭神  正殿に素戔嗚尊、五十猛命、
     左殿(向かって右)に奇稲田媛命(くしいなだひめ)、
       足摩乳命(あしなずち、晩生の稲)、
       手摩乳命(てなずち、早稲)(奇稲田媛命の親神)。
     右殿に18柱の神(宗像三女神、天忍穂耳命、天穂日命ほか)。

 創建は10代崇神天皇時(3世紀後半)、広峰山(ひろみねさん、260m)背後の白幣山(はくへいさん)に素戔嗚尊と五十猛尊が祀られた。
 45代聖武天皇(701年-756年)時に右大臣吉備真備(695年-775年)により白幣山に社殿が造営された。
 平安時代の972年に白幣山から直ぐ南の広峰山(広嶺山)へ遷座して大造営され、白幣山の跡地には吉備真備公を祀る社殿が建てられた。


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 全国にある牛頭天王の総本宮であるが、京都の八坂神社も牛頭天王総本宮を主張している。
 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社、天平の昔から名の見える古社である。境内の休憩展望台からは、姫路市街地、播磨灘を一望できる。

 牛頭天王に対する信仰は、御霊信仰の影響により、疫病や災厄を免れようとするもので、八坂神社の「祇園信仰」が有名であるが、当社においては主として稲作の豊饒を祈願した内容の信仰となった。これを「広峯信仰」と呼び、当社は古くから農業の神として崇拝された。

 876年(貞観時代)に廣峯神社から平安京の観慶寺祇園感神院(現在の八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分祠した。
 1223年(貞応2年)の文書にも「祇園本社播磨国広峯社」とある。それで廣峯神社は祇園社(牛頭天王社)の元宮・総本社とも言われているが、八坂神社とは今なお本社争いが続いている。

 また、廣峯神社から京都八坂神社へ祭神を分祠する際に通過して休憩したと伝えられる神戸の祇園神社や大阪の難波八阪神社、京都の岡崎神社などのような祭神の遷座の旧跡も存在する。三重の尾鷲神社などにも分祠している。

     大鳥居(鳥居の右下が駐車場)
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 鳥居から徒歩10分で入り口へ。社号標と石柱、階段の上は随神門。
 石柱は左に「神聖之霊域」とあり、右に「吾心清清為」とある。これは素戔嗚尊が斐伊川で八岐大蛇を退治し、奇稲田姫と結婚して出雲の須賀に宮を建て、「わが心清清し」と云ったことによる。
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     随神門(元禄年間に築造、姫路市重要有形文化財)
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     随神門から拝殿を望む。
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     拝殿、国の重要文化財、本瓦葺。1626年に姫路城主本多忠政が再建。
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     本殿の正殿(素戔嗚尊、五十猛尊)
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     本殿の左殿(奇稲田媛命、足摩乳命、手摩乳命)
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     本殿の右殿(素戔嗚尊の八王子神など18柱の神)
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 本殿を後ろから望む。千木は外切り、鰹木は7本の男神形式で国の重要文化財。出雲神系神社の千木は男神と女神の形式を違えることはほとんどない。
 桁行11間で神社本殿としては最大、桧皮葺。1444年(文安元年)の再建。
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    本殿背面の九星の飾り穴。自分の守護神の穴に祈願する。
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    展望台から姫路市街とその向こうの播磨灘を望む。
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by enki-eden | 2015-03-01 10:39