2015年 08月 17日
曽根天満宮(高砂市)
兵庫県高砂市曽根町2286 電079-447-0645 無料駐車場あります。
祭神 菅原道真公、天穂日命(菅家祖神)、
菅原公達命(きんだち、菅原淳茂、道真の四男)
神徳 学業、智能、文芸、正直の神、冤罪・謗りを救う神。
曽根天満宮の宮司は19代目曽根文省(ふみよし)氏です。社名と宮司名が同じですね。曽根天満宮の西を流れる川は天川(あまかわ)で、昔は両岸に塩田が営まれていた。川の水が砂などを運んできた海辺の扇状地・堆積地を磯根(いそね)→曽根と云う。
神社の由緒
60代醍醐天皇の御代(901年)、菅原道真公(845年~903年)は冤罪を蒙り、大宰府へ左遷された。その途次、伊保港に船を寄せ、当社の西6kmの日笠山に登り播磨灘の風光を眺めた。道真公は先祖の天穂日命に「我に罪なくば栄えよ」と祈念した。
道真公は日笠山の小松を現社地に植えた。これが「霊松曽根の松(れいしょうそねのまつ)」で、1798年に枯死したが、その幹は現在も霊松殿に保存されている。2代目の松は1952年に枯死した。 現在は5代目の松になっている。
後に道真公四男の菅原淳茂(あつしげ、878年~926年)が当地に至り、社を建てお祀りしたのが当社の創始と伝えられる。淳茂は父に連座して播磨国に左遷されたが、罪は赦され京に戻った。
10月の秋祭りでは、4台の子供屋台に続いて11台の大人屋台の宮入りが始まる。各町の反り屋根型布団屋台が練り出し、豪快に練り競う祭りです。夜には屋台に電飾が灯され美しい。屋台は「やっさ」と呼ばれるらしい。子供屋台も上に乗るのは子供で捧げるのは大人です。屋台は豪華で担ぎ手も多い。
拝殿内では4人の一ツ物と1人の行事が盃を交わす「一ツ物神事」が行われる。一ツ物とは男児が袖長の狩衣に山鳥の羽を立てた花笠を被り、化粧をして額に「八」の字を書く。宵宮は青年の肩車で宮入り、本宮は馬に乗って宮入りし、行事は烏帽子を被り白い狩衣を着る。拝殿内で一ツ物が行事と盃を交わす神事が執り行われる。
一ツ物の神童には神が宿り(神の憑依)、神の意思を伝えるのに対し、行事はその聞き取り役である。一ツ物神事は兵庫県指定重要無形民俗文化財になっている。
立派な神門
神門の左に手水舎と藤棚。
神門の右手に霊松殿。
霊松殿の横に心池(こころいけ)、霊松曽根の松が植えられていた。
心池は「心」の形の池になっている。橋は竜山石製で市の指定文化財。
拝殿、大きな注連縄。注連縄は氏子青年会の手作り。
東から拝殿・幣殿・本殿を望む。
西から本殿を望む。
境内の梅林には150本の梅、3月の「梅まつり」には美しい梅の花でいっぱいになる。
「ほうその神様」、当社最古の石像物で鎌倉時代末期に造られた。江戸時代中頃から難病や流行病の予防・治癒を祈願するようになった。特に疱瘡の神様として信仰を集めた。
境内の東北にあるが、風化が相当進んでいる。
本殿背後に戎神社(えびすじんじゃ、商売繁盛)、祭神は事代主命。
塩竈神社(しおがまじんじゃ)、祭神は塩土翁(しおつちのおぢ)。
塩田が早くから開けていた曽根では、塩田の神様として祀られた。
境内の西北に木下稲荷神社
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
祭神 菅原道真公、天穂日命(菅家祖神)、
菅原公達命(きんだち、菅原淳茂、道真の四男)
神徳 学業、智能、文芸、正直の神、冤罪・謗りを救う神。
曽根天満宮の宮司は19代目曽根文省(ふみよし)氏です。社名と宮司名が同じですね。曽根天満宮の西を流れる川は天川(あまかわ)で、昔は両岸に塩田が営まれていた。川の水が砂などを運んできた海辺の扇状地・堆積地を磯根(いそね)→曽根と云う。
神社の由緒
60代醍醐天皇の御代(901年)、菅原道真公(845年~903年)は冤罪を蒙り、大宰府へ左遷された。その途次、伊保港に船を寄せ、当社の西6kmの日笠山に登り播磨灘の風光を眺めた。道真公は先祖の天穂日命に「我に罪なくば栄えよ」と祈念した。
道真公は日笠山の小松を現社地に植えた。これが「霊松曽根の松(れいしょうそねのまつ)」で、1798年に枯死したが、その幹は現在も霊松殿に保存されている。2代目の松は1952年に枯死した。 現在は5代目の松になっている。
後に道真公四男の菅原淳茂(あつしげ、878年~926年)が当地に至り、社を建てお祀りしたのが当社の創始と伝えられる。淳茂は父に連座して播磨国に左遷されたが、罪は赦され京に戻った。
10月の秋祭りでは、4台の子供屋台に続いて11台の大人屋台の宮入りが始まる。各町の反り屋根型布団屋台が練り出し、豪快に練り競う祭りです。夜には屋台に電飾が灯され美しい。屋台は「やっさ」と呼ばれるらしい。子供屋台も上に乗るのは子供で捧げるのは大人です。屋台は豪華で担ぎ手も多い。
拝殿内では4人の一ツ物と1人の行事が盃を交わす「一ツ物神事」が行われる。一ツ物とは男児が袖長の狩衣に山鳥の羽を立てた花笠を被り、化粧をして額に「八」の字を書く。宵宮は青年の肩車で宮入り、本宮は馬に乗って宮入りし、行事は烏帽子を被り白い狩衣を着る。拝殿内で一ツ物が行事と盃を交わす神事が執り行われる。
一ツ物の神童には神が宿り(神の憑依)、神の意思を伝えるのに対し、行事はその聞き取り役である。一ツ物神事は兵庫県指定重要無形民俗文化財になっている。
立派な神門
神門の左に手水舎と藤棚。
神門の右手に霊松殿。
霊松殿の横に心池(こころいけ)、霊松曽根の松が植えられていた。
心池は「心」の形の池になっている。橋は竜山石製で市の指定文化財。
拝殿、大きな注連縄。注連縄は氏子青年会の手作り。
東から拝殿・幣殿・本殿を望む。
西から本殿を望む。
境内の梅林には150本の梅、3月の「梅まつり」には美しい梅の花でいっぱいになる。
「ほうその神様」、当社最古の石像物で鎌倉時代末期に造られた。江戸時代中頃から難病や流行病の予防・治癒を祈願するようになった。特に疱瘡の神様として信仰を集めた。
境内の東北にあるが、風化が相当進んでいる。
本殿背後に戎神社(えびすじんじゃ、商売繁盛)、祭神は事代主命。
塩竈神社(しおがまじんじゃ)、祭神は塩土翁(しおつちのおぢ)。
塩田が早くから開けていた曽根では、塩田の神様として祀られた。
境内の西北に木下稲荷神社
by enki-eden
| 2015-08-17 00:10