古代史探訪

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太宰府天満宮の飛梅(とびうめ)ちぎり

 菅原道真公(845年-903年)を慕って、京より一夜にして太宰府に飛んできた白梅のご神木「飛梅」が本殿の手前(左近)にあるが、樹齢は千年以上で梅の実は少ない年で20個ぐらい、多い年で200個ぐらいできる。品種は「色玉垣」、極早の八重咲きで境内にて一番早く咲き始める。
 6月1日に飛梅の実を集め、ご神前に奉納する「飛梅ちぎり神事」があります。(一昨年の動画ニュースです。)

 ご神木の前には「飛梅」と書いた札が立っているが、文字の一部が鳥の形になっている。道真公がそのような「鳥点(ちょうてん)文字」を残しているのを真似たようです。
 古代中国の春秋戦国時代には鳥や魚の筆画を組み込んだ書体「鳥書」が流行した。その後、BC221年に全土を統一した秦始皇帝が法・度量衡・文字の書体などを統一した。
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 道真公が都を偲んで、鳥に託して詠んだ漢詩(菅家後集冒頭)です。
    離家三四月 落涙百千行 萬事皆如夢 時時仰彼蒼
 この漢詩の文字に鳥の形をうまく取り入れており、18羽もいます。
 写真は「minaminooka」さんのブログなどで見ました。

 この飛梅の実は一生一代のお守り「飛梅御守」として奉製され、種は立派な漆塗りの箱に入っており初穂料は10万円もしますよ。
 境内には6,000本の梅の木があって、その種を入れたお守りであれば1,500円ですけどね。



 梅ではなく飛松伝承もあります。京より大宰府へ向かう途中の道真公が攝津国(神戸市須磨区板宿町)の辺りで休まれていた時に、道真公が可愛がっていた松が空を飛んでやって来たというものです。
 この松は巨木となったが大正時代の落雷で枯れてしまい、板宿(いたやど)八幡神社の境内に飛松社として松の株が保存されています。「大宰府の飛梅」に対して「板宿の飛松」と呼ばれています。松の木が飛んできた所を「飛松岡」と呼んでいます。

 梅の木が京から太宰府まで実際に飛んできたのでしょうか? 道真公に仕えて太宰府に同行した味酒安行(うまさけ やすゆき)が菅原道真邸の梅の苗木を持ってきたとも云われている。
 903年に道真公が失意のうちに亡くなると、「遺体を京に送ってはいけない」という遺言を守った味酒安行は道真公を宝満山(御笠山、829m)の麓に埋葬し安楽寺として墓を守った。
 安楽寺は明治政府の政策により廃寺とされ、太宰府天満宮として残ったが、本殿の下に道真公の墓があるという。天満宮の200mほど北の安行神社で味酒安行(景徳大明神)が祀られている。

 味酒安行の42代目の子孫・味酒(みさけ)安則氏が太宰府天満宮の禰宜で総務部長を務めておられます。天満宮の1.2km南にある福岡女子短大の教授も兼ねておられるようですね。
 道真公の子孫で39代太宰府天満宮宮司の西高辻信良氏と味酒安則氏は同年令で、千年以上経っても代々師弟の関係が続いているのですねぇ・・・驚きです。
 お二人は九州国立博物館の誘致開館に尽力され、2005年に太宰府天満宮のすぐ南に開館しました。天満宮の敷地14万㎡が博物館に寄贈されています。

 太宰府天満宮境内の心宇池に架かる太鼓橋の横に境内社「志賀社(国指定重要文化財)」が鎮座。福岡市東区志賀島の志賀海神社(しかうみじんじゃ)から勧請された。太宰府天満宮と志賀海神社は密接に繋がっている。
 志賀海神社は阿曇氏が代々宮司を務めてきたが、7年前に阿曇磯和宮司が急逝し、後継者が育つまでの間は太宰府天満宮の西高辻信良宮司が志賀海神社の宮司代務者を務めておられるようです。
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by enki-eden | 2016-04-07 00:15