古代史探訪

enkieden.exblog.jp
ブログトップ

河内國魂神社(かわちのくにたまじんじゃ、神戸市)

兵庫県神戸市灘区国玉通3丁目6-5  078-861-0587  駐車場なし。
摂津国莵原郡(うばらぐん)鎮座
祭神 大己貴命、少彦名命(国土経営、民生安定、医薬、酒造、縁結びの神様)、
   菅原道真公(学問の神様)。

 当社は菅原道真(845年-903年)の没後、霊を勧請合祀して五毛天神と称した。

 古地名「五毛」は胡麻生(ごまう)の当て字として使われていたが、当地は水田がなく胡麻を栽培していたので胡麻生と云った。その地名由来で当社は五毛天神とも呼ばれる。
 また、当地は摩耶山(702m)の麓の傾斜地にあり、女人守護・女人高野と云われる摩耶山天上寺の寺領として胡麻を絞って灯火用油を作っていた。
d0287413_11495191.jpg



 祭神の大己貴命は大国主命と同神と考えられる。大己貴命は西暦160年頃に出雲国で出生、素戔嗚尊(140年頃-200年頃)の末娘・須世理姫と結婚、素戔嗚尊が亡くなると大己貴命は素戔嗚尊の後継者となるが、高皇産霊尊に北部九州の出雲族支配地(葦原瑞穂国、葦原中国)を奪われ、高皇産霊尊の娘・三穂津姫と結婚して出雲国に戻る。

 大己貴命(大国主命)は八上姫、沼河姫、神屋楯姫、田心姫など多くの女性と結婚、181人の子ができたので、縁結びの神として信仰されている。
 また、大国主命は少彦名命と力を合わせて国土開発・病気治療を進めたが220年頃に亡くなる。

 河内国魂神社は河内国・和泉国・摂津国に勢力を有していた国造の凡河内氏(おおしこうちし)が奉斎していたが、当社の祭神は大己貴命と少彦名命で、凡河内氏祖神の天津彦根神や天御影命ではない。
 天津彦根命は素戔嗚尊と天照大神の誓約(うけい)により生まれた男神5柱のうちの1柱で、子の天御影命は西暦185年頃の饒速日東遷に従って大和にやってきた。
   天津彦根命――天御影命――意富伊我都命――彦己曽根命(凡河内国造)
 凡河内氏は大和朝廷の港湾管理や海外との外交を担っていた。
 28代宣化天皇(6世紀前半)の妃に大河内稚子媛(おおしこうちのわくごひめ)があり、火焔皇子(ほのおのみこ)を生んだ。椎田君(しいだのきみ)の先祖となり、尼崎・伊丹地方を治めた。

 当社の創建時には摂津国造の凡河内忌寸(いみき)の祖・天御影命を祀っていたとも云われる。また、18世紀に奉行所から社名を五毛天神から河内國魂神社に代えるように強制されたと云う説もある。
 当社の東2.6kmの綱敷天満神社が河内国魂神社だと云う説もある。2014年10月12日投稿の「綱敷天満神社」をご参照ください。

   石の鳥居と社号標
d0287413_11551782.jpg

   手水舎の青銅唐獅子が面白い。
d0287413_11554040.jpg

   拝殿
d0287413_1156038.jpg

d0287413_11561436.jpg

   奥に本殿
d0287413_11562745.jpg

   遥拝所、東の伊勢神宮に向いている。
   東隣りは曹洞宗の海蔵寺で五毛天神の神宮寺であった。
d0287413_11564985.jpg

 本殿左に厳島大神(市杵島姫命)と箕岡大神(みのおかおおかみ、伊弉冊命)が明治の終わり頃に当社へ移転・合祀された。
 手前は菅原道真公ゆかりの牛の石像。
d0287413_11571692.jpg

 本殿右に荒川稲荷神社、
 もとは箕岡神社(みのおかじんじゃ)の末社であったが箕岡大神と共に当社へ移転・合祀された。
d0287413_11573921.jpg

[PR]
by enki-eden | 2017-04-26 00:46