古代史探訪

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皇統の維持

 96代後醍醐天皇(1288年-1339年)は鎌倉幕府を倒幕する運動を行う。皇子は護良親王(もりながしんのう、1308年-1335年)で大塔宮(おおとうのみや)とも云い、共に倒幕を進める。
 足利尊氏(1305年-1358年)や新田義貞(1301年-1338年)による鎌倉幕府倒幕後に、後醍醐天皇は独裁体制の建武新政を実施するが、足利尊氏と対立し吉野で南朝を樹立、南北朝に分かれる。
 足利尊氏は光明天皇(1322年-1380年)を擁立して室町幕府(1336年-1573年)を開き、幕府の初代征夷大将軍となる。

 1392年に南北朝が合一し、北朝の後小松天皇(1377年-1433年)が100代天皇となる。しかし、室町幕府の権力が強く、皇室は幕府に従うしかなかった。
 102代後花園天皇(1419年-1471年)の弟の貞常親王(1426年-1474年)が伏見宮家第4代当主として、1456年に勅許により伏見殿と称して世襲親王家の成立となった。

 世襲親王家は複数存在し、伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮(かんいんのみや)である。世襲親王家は天皇直系に皇子が不在の場合に皇位継承候補者を出し、皇統の維持補完に寄与してきた。伏見宮墓地は京都市上京区の相国寺内(京都御所の少し北)にある。
 明治維新後には永世皇族制となり、世襲親王家の制度は廃止された。天皇に皇子がない場合や、昔のように複数の天皇妃が存在しない現代では皇統の維持が困難になってきている。

 閑院宮(かんいんのみや)は113代東山天皇(1675年-1710年)の第6皇子・閑院宮直仁親王(1704年-1753年)により1718年に創設された。閑院宮邸跡の一部は京都御苑内の西南角に残っている。
 118代後桃園天皇(1758年-1779年)に皇子はなかったので、天皇崩御により、閑院宮直仁親王の孫の祐宮(さちのみや、1771年-1840年)が践祚して119代光格天皇となった。
 後桃園天皇崩御の時の新天皇候補者は3人で、伏見宮貞敬親王・閑院宮美仁親王・閑院宮祐宮親王がいたが、閑院宮祐宮親王が選ばれ光格天皇になった。
 光格天皇は1817年に第6皇子の恵仁(あやひと)親王(1800年-1846年)に譲位し、120代仁孝天皇(1800年-1846年)とし、自らは上皇(太上天皇)となった。

 現在の125代平成天皇(1933年~)も、来年の在位30年を機に皇太子徳仁親王(なるひとしんのう、1960年~)に譲位を希望し、「陛下一代限りの特例法」制定が成立すれば、今上天皇は再来年に上皇になる見込みとなっている。

 現在の皇統は閑院宮系の光格天皇から続いており、122代明治天皇(1852年-1912年)は121代孝明天皇(1831年-1867年)の第2皇子・睦仁親王で、1868年に京都御所で即位礼、1871年に東京の皇居で践祚大嘗祭(だいじょうさい)を行った。

 孝明天皇は天然痘が原因で崩御したとされるが、ヒ素毒殺説もあり岩倉具視(1825年-1883年)などが疑われている。
 これには異説があり、孝明天皇は崩御(1867年)と称して京都堀川6条の堀川御所に入り、ウラ天皇になったと云う。更に明治天皇は孝明天皇の皇子ではなく、長州藩奇兵隊士で南朝後醍醐天皇の末裔である大室寅之祐に明治天皇は取り替えられたと落合莞爾氏(1941年~)が主張している。
 睦仁親王は大室寅之祐とすり替わり、孝明天皇と同じく堀川御所に入ったと云う。堀川御所は西本願寺の北にあったが現存せず、今は西本願寺の駐車場になっている。

 私見ですが、薩長土肥(薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩)と一部公家の倒幕運動に対して、孝明天皇と睦仁親王の公武合体論は相容れなかったことが事件と関係あるでしょう。
 落合莞爾氏の著書は多いですが、『明治維新の極秘計画「堀川政略」と「ウラ天皇」』の動画を見ました。動画は3回に分かれていて、1回分は1時間20分以上の長さでした。
 内容全部が正しいとは限りませんが、古代から現代に至るまでの詳しい解説があり参考になりました。既に動画サイトは閉鎖されています。

 戦後の1947年、GHQ(General Headquarters、総司令部)の指令により皇室財産が国庫に帰属されたため、昭和天皇の実弟である秩父宮(1995年断絶)、高松宮(2004年断絶)、三笠宮(男子不在)の3宮家を残し、他の11宮家の51名は皇籍離脱した。
 旧皇族の11宮家は伏見宮、閑院宮、山階宮、北白川宮、梨本宮、久邇宮、賀陽宮、東伏見宮、
朝香宮、竹田宮、東久邇宮。

 皇室典範第1章第1条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」とある。皇族が限定され、皇族数が減少した戦後の皇統を維持するのは困難になっているが、政府はその場しのぎの対策しか打ち出せない。
 国民には女性天皇を認める意見も多いが・・・
 皇室典範第2章12条では、皇族女子が皇族以外の者と婚姻すると皇族の身分を離れることになっているので、秋篠宮眞子内親王も結婚後に皇籍離脱になります。女性宮家の創設も検討事項として考えられているが・・・
 また13条では、男性皇族が皇籍離脱するときはその子孫も同時に離脱することになっている。
私見ですが、12条、13条は変更する必要があるのでは? 旧宮家の皇籍復帰も必要と考えています。
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by enki-eden | 2017-06-07 00:17