古代史探訪

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瀬田遺跡の円形周溝墓(奈良県橿原市城殿町)

 瀬田遺跡は橿原市の畝傍山(うねびやま、標高199m)から東へ1kmほどの城殿町(きどのちょう)にある。



 2016年春に瀬田遺跡で、弥生時代の終わり頃(2世紀後半)に築造された円形周溝墓が見つかった。墳丘の南側に周溝を渡るための台形の土手があり、前方後円墳に先行する弥生墳丘墓になっている。
 全長は26m、直径は19mで、墳丘は後世に取り除かれているので高さは分からないが、周溝が残っているので墳丘の形と大きさが分かる。
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 7km北東の桜井市箸中には最初に築造された定型形前方後円墳の箸墓古墳(墳丘長278m、高さ30m、3世紀後半築造)がある。

 定型形前方後円墳より古い弥生墳丘墓である纏向型前方後円墳(まきむくがたぜんぽうこうえんふん)がある。纒向石塚古墳、纒向矢塚古墳、纒向勝山古墳、東田大塚古墳、ホケノ山古墳で、2世紀後半から3世紀前半に造られた。
 饒速日命が西暦185年頃に北部九州から大部隊を率いて大和に東遷し、纒向を都にした頃である。ホケノ山古墳については2012年12月21日投稿の「ホケノ山古墳」をご参照ください。

 この他、纒向と繋がりが深い全国の豪族も纏向型前方後円墳を造っている。神門古墳群(ごうどこふんぐん)の神門4号・5号墳(千葉県市原市、3世紀中頃築造)、津古生掛古墳(つこしょうがけこふん、福岡県小郡市、3世紀後半築造)などである。
 津古生掛古墳については「ひもろぎ逍遥」の「津古生掛古墳」をご覧ください。

 この纏向型前方後円墳より更に古いのが瀬田遺跡の円形周溝墓で、瀬戸内中部から近畿地方には円形周溝墓が多い。
 瀬田遺跡の円形周溝墓から纒向石塚古墳へ、更に箸墓古墳へと進化していった。

 その瀬田遺跡から全国初の台付き編み籠が出土した。(6月22日の神戸新聞)
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 2016年6月に箱形の台が付いたかごが見つかった。台とかごが一体で見つかったのは初めてで、専門家は、用途を知る上で貴重な発見だとしています。
 見つかったのは細く削ったササで編まれたすり鉢状のかごで、高さ15cm、直径30cmほどのかごで、半分ほどが残っていた。
 かごの底の部分には、「四方転びの箱(しほうころびのはこ)」と呼ばれる、木の板4枚を組み合わせた箱形の台が付いていた。出土した土器などから、弥生時代の終わり(2世紀後半)のものと考えられている。
 「四方転びの箱」と呼ばれる台は、これまで用途が分かっていなかったが、かごと一体で見つかったので、用途を知る上で貴重な発見である。次はイメージ図です。
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 私見ですが、この台とかごが一体になった器は祭祀の時に使うものだと考えています。これが進化して、現在使われている三方(さんぼう、神前に物を供える)になったと考えています。

 また、弥生時代後半の大規模集落遺跡で、弥生人の脳が出土した鳥取県青谷上寺地遺跡では、河川跡から四方転びの箱が出土している。
 青谷上寺地遺跡については、2013年1月20日投稿の「青谷上寺地遺跡展示館と因幡万葉歴史館」をご参照ください。
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by enki-eden | 2017-06-22 17:56