古代史探訪

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保久良神社(ほくらじんじゃ、神戸市東灘区)

兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680  電078-451-9435  駐車場なし。
祭神 須佐之男命、
   大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、
   大国主命、
   椎根津彦命。
ご神徳 水難除け、海上安全、厄災除け、病魔退散。

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 中世には「天王宮」とも称し、江戸時代には「牛頭天王社」と称した。
 六甲山系金鳥山(338m)中腹の保久良山(185m)に鎮座。椎根津彦命が須佐之男命・大歳御祖命・大国主命を祀ったと云う。
 椎根津彦の系図は、天火明→天香語山→天村雲→椎根津彦(倭宿禰・珍彦・大和国造)で、椎根津彦は西暦185年頃に生まれ、初代神武天皇(181年-248年)の東遷(204年開始)に大きく貢献し、大和国造の祖となった。

 根津彦命は保久良神社の南方にある神戸市東灘区の浜に青亀(おうぎ)の背に乗って漂着したという伝承があり、それが東灘区青木(おおぎ)の地名となった。青亀は青い舟のことか。
   赤のアイコンが保久良神社、黄が青木


 神功皇后(321年-389年)が新羅遠征(363年)の戦利武器を当社に収めたと云われる。また、椎根津彦の子孫で769年に大和連を賜った倉人水守が当社の祭祀をしていた。

 「ほくら」の社名由来は神社の説明では、「神霊(ひ)を集めた場(倉、くら)」→「ひくら」→「ほくら」としている。また、椎根津彦は社頭にかがり火を焚いて村人に提供したり海上交通安全を図ったので、火種(ひだね)を保持する庫・倉が由来で火倉(ほくら)の社名になったとも云う。
 私見ですが、弥生時代の当地が高地性集落だったので、「烽火(のろし)の山=火倉(ほくら)」かもしれないと考えています。六甲山南麓の高地性集落については、2013年7月31日投稿の「摂津国の考古学」をご参照ください。

 曲がりくねった急な山坂をやっと登りきると、眼下に神戸の街と大阪湾が見渡せる。
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 鳥居と社号標、左には椎根津彦命が亀に乗った像が大阪湾を指さしている。
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 鳥居の前には灯篭があり、瀬戸内海から大阪湾を航行する船の航海安全を祈るご神灯を焚いており、「灘の一つ火」と云われている。
 現在では電灯の灯篭に変わっているが毎夜点灯されている。「灘の一つ火」は古謡にも歌われ航海安全の信仰が篤い。
     沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや
  
 鳥居を過ぎて振り返ると「灘の一つ火(灯篭)」が行き交う船に灯台の役目をしている。
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   拝殿
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   拝殿左手前に「立岩(たていわ)」
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   末社の祓御神社(天照皇大神と春日大神)
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   遥拝所(小さな磐座)
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   本殿裏の磐座
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   本殿裏の大きな岩座「神生岩(かみなりいわ)」
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 境内には「立岩(たていわ)」と云われる大きな岩がたくさんある。
 これは神様に祈るために立て起こした祈願岩で、「磐座(いわくら)」・「磐境(いわさか)」などと呼ばれる。渦巻き状に配置された磐座群の中心の岩は本殿北裏の岩になっている。
 古代人は大きな岩に常世(とこよ)の国より神様をお招きして、繁栄・安全を祈願した。この神聖な場所は「古代祭祀遺跡地」と呼ばれている。
 祭祀跡から出土した土器破片や石器により、紀元前3世紀の弥生時代から当地「ほくら」で磐座祭祀をしていたことが分かる。20cmの銅戈が出土しており、国の重要文化財に指定されている。
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   保久良梅林
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by enki-eden | 2017-07-02 00:04