2017年 09月 22日
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)
通称: 麻生八幡宮
兵庫県姫路市奥山563 電079-245-2536 神社東の池の横に車を停める。
奥山を地元では「おっきゃま」と云うらしい。
祭神 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、14代仲哀天皇)、
品陀別命(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)、
氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。
麻生山(あそうさん、小富士山、172m)南麓に鎮座。麻生山には神功皇后(321年-389年)伝説が多い。麻生山の元の名は大己貴命(大国主命)に因み「醜男山(しこおさん)」と云っていたが、神功皇后の故事により麻生と改めた。
神功皇后が新羅遠征に行く途中、市川の東にある麻生山に登り、戦勝を大国主命に祈願して弓で地面を叩くと麻が生えてきた。この麻で弓の弦を作ったと云う。
その弓で矢を放ち、矢が落ちた所に稲岡神社、生矢神社(いくやじんじゃ)、行矢射楯兵主神社(いくやいだてひょうずじんじゃ)、破磐神社(はばんじんじゃ)を建てたと云う。
中世には京都・石清水八幡宮の社領・継荘(つぎのしょう)の鎮守となった。石清水八幡宮については、2016年12月2日投稿の「石清水八幡宮」をご参照ください。
麻生山は神仏習合の修験道の山で、山頂に45代聖武天皇(701年-756年)勅願の華厳寺があり、役小角(えんのおづぬ、634年-701年)が祀られている。
華厳寺は明治以前の神仏習合時代には麻生八幡社の宮寺(奥の院)であった。
石の鳥居、後ろの右の山が麻生山。
随神門と社号標、神門の神額は神仏習合の両部額になっている。
拝殿
本殿
金刀比羅宮(大物主命)
本殿左後ろに三島神社(大山祇命)
本殿右後ろに武内神社(武内宿禰)
当地播磨国の「奥山」を「おっきゃま」と発音するのは、吉備弁の影響だと思います。古代では加古川以東が針間国(播磨国)、加古川以西が吉備国で当地は古代の吉備国であった。
2012年12月28日投稿の「いにしえの吉備の国の東の端は加古川」をご覧ください。
兵庫県姫路市奥山563 電079-245-2536 神社東の池の横に車を停める。
奥山を地元では「おっきゃま」と云うらしい。
祭神 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、14代仲哀天皇)、
品陀別命(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)、
氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。
麻生山(あそうさん、小富士山、172m)南麓に鎮座。麻生山には神功皇后(321年-389年)伝説が多い。麻生山の元の名は大己貴命(大国主命)に因み「醜男山(しこおさん)」と云っていたが、神功皇后の故事により麻生と改めた。
神功皇后が新羅遠征に行く途中、市川の東にある麻生山に登り、戦勝を大国主命に祈願して弓で地面を叩くと麻が生えてきた。この麻で弓の弦を作ったと云う。
その弓で矢を放ち、矢が落ちた所に稲岡神社、生矢神社(いくやじんじゃ)、行矢射楯兵主神社(いくやいだてひょうずじんじゃ)、破磐神社(はばんじんじゃ)を建てたと云う。
中世には京都・石清水八幡宮の社領・継荘(つぎのしょう)の鎮守となった。石清水八幡宮については、2016年12月2日投稿の「石清水八幡宮」をご参照ください。
麻生山は神仏習合の修験道の山で、山頂に45代聖武天皇(701年-756年)勅願の華厳寺があり、役小角(えんのおづぬ、634年-701年)が祀られている。
華厳寺は明治以前の神仏習合時代には麻生八幡社の宮寺(奥の院)であった。
石の鳥居、後ろの右の山が麻生山。
随神門と社号標、神門の神額は神仏習合の両部額になっている。
拝殿
本殿
金刀比羅宮(大物主命)
本殿左後ろに三島神社(大山祇命)
本殿右後ろに武内神社(武内宿禰)
当地播磨国の「奥山」を「おっきゃま」と発音するのは、吉備弁の影響だと思います。古代では加古川以東が針間国(播磨国)、加古川以西が吉備国で当地は古代の吉備国であった。
2012年12月28日投稿の「いにしえの吉備の国の東の端は加古川」をご覧ください。
by enki-eden
| 2017-09-22 00:16