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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)

 通称: 麻生八幡宮
 兵庫県姫路市奥山563   電079-245-2536  神社東の池の横に車を停める。
 奥山を地元では「おっきゃま」と云うらしい。

 祭神 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、14代仲哀天皇)、
    品陀別命(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)、
    氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。





 麻生山(あそうさん、小富士山、172m)南麓に鎮座。麻生山には神功皇后(321年-389年)伝説が多い。麻生山の元の名は大己貴命(大国主命)に因み「醜男山(しこおさん)」と云っていたが、神功皇后の故事により麻生と改めた。

 神功皇后が新羅遠征に行く途中、市川の東にある麻生山に登り、戦勝を大国主命に祈願して弓で地面を叩くと麻が生えてきた。この麻で弓の弦を作ったと云う。
 その弓で矢を放ち、矢が落ちた所に稲岡神社、生矢神社(いくやじんじゃ)、行矢射楯兵主神社(いくやいだてひょうずじんじゃ)、破磐神社(はばんじんじゃ)を建てたと云う。

 中世には京都・石清水八幡宮の社領・継荘(つぎのしょう)の鎮守となった。石清水八幡宮については、2016年12月2日投稿の「石清水八幡宮」をご参照ください。

 麻生山は神仏習合の修験道の山で、山頂に45代聖武天皇(701年-756年)勅願の華厳寺があり、役小角(えんのおづぬ、634年-701年)が祀られている。
 華厳寺は明治以前の神仏習合時代には麻生八幡社の宮寺(奥の院)であった。

  石の鳥居、後ろの右の山が麻生山。
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_11385319.jpg

  随神門と社号標、神門の神額は神仏習合の両部額になっている。
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_1139919.jpg

   拝殿
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_11393775.jpg

   本殿
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_11394930.jpg

   金刀比羅宮(大物主命)
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_1140380.jpg

   本殿左後ろに三島神社(大山祇命)
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_11404116.jpg

   本殿右後ろに武内神社(武内宿禰)
麻生八幡社(あさおはちまんしゃ、姫路市)_d0287413_11405413.jpg


 当地播磨国の「奥山」を「おっきゃま」と発音するのは、吉備弁の影響だと思います。古代では加古川以東が針間国(播磨国)、加古川以西が吉備国で当地は古代の吉備国であった。
 2012年12月28日投稿の「いにしえの吉備の国の東の端は加古川」をご覧ください。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp

by enki-eden | 2017-09-22 00:16