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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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天一神社(てんいちじんじゃ、神戸市西区押部谷町)

兵庫県神戸市西区押部谷町押部496   車は境内に停められます。
押部(おしべ)の氏神で「押部の天一さん」と呼ばれる。

祭神  事八十神(ことやそがみ、ことやそのかみ)、
    国常立命(くにのとこたちのみこと)、須勢利姫命(すせりひめ)、
    倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)、
    天神(あまつかみ)、孤津姫命(つまつひめのみこと)、
    市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)。



 祭神は素戔嗚命(西暦140年頃-200年頃)の子が多い。国常立命(西暦元年生)は奴国の初代国王で、素戔嗚命はその子孫だと云う説もあるが根拠はなく、別系統だと考えられる。
 私見ですが、国常立命は江南人(呉人、越人、楚人)の呉系海人族、素戔嗚命は楚系製鉄族だと考えています。

 事八十神は先代旧事本紀によると、素戔嗚尊の子で大己貴神(西暦160年頃出生)の兄。兄弟は稲羽の八上姫(やがみひめ)に求婚して争ったが、大己貴神が勝った。
 八上姫は御井神(みいのかみ)を生んだが、大己貴神が素戔嗚の娘・須勢利姫を正妻にしたので、八上姫は恐れて御井神を木の俣に挟んで稲羽に帰ってしまった。それで御井神は木俣神(きのまたのかみ)とも云われる。

 「押部(おしべ)」の地名は当地支配者の忍海部(おしんべ)氏に由来するが、忍海部氏が102代後花園天皇の代(1449年11月13日)に当社を創建したと云う。

   拝殿
天一神社(てんいちじんじゃ、神戸市西区押部谷町)_d0287413_132102.jpg

天一神社(てんいちじんじゃ、神戸市西区押部谷町)_d0287413_1322834.jpg

 拝殿手前の手水鉢のふちに盃状穴(はいじょうけつ)が彫られている。 ヨーロッパではカップマークと呼ばれ、古代の原始信仰のなごり。
 日本では縄文時代から存在し、磐座に彫られ、子孫繁栄、病気平癒や魂の蘇生を願うとされる。
 寺社の灯篭、手水石、柱の礎石などに彫られることもある。
天一神社(てんいちじんじゃ、神戸市西区押部谷町)_d0287413_1325080.jpg

  近くの稲荷神社を18世紀終わり頃に拝殿右に遷した。
天一神社(てんいちじんじゃ、神戸市西区押部谷町)_d0287413_133552.jpg

 拝殿左に天満宮と大歳神社。近くの天満宮を18世紀終わり頃に拝殿左横に遷し、大歳神社を1915年に天満宮の左に遷した。
天一神社(てんいちじんじゃ、神戸市西区押部谷町)_d0287413_1331856.jpg

by enki-eden | 2017-10-19 00:10