古代史探訪

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纏向遺跡の墓所

 2世紀の大和国の中心地は唐古・鍵であったが、西暦185年頃に饒速日(西暦165年頃出生)が大部隊で筑紫国から大和国に東遷し、纏向を都にした。
 纏向は政治、祭祀、交易の都市で、運搬用の運河も掘られた。加えて、身分により大小の墳墓も多く築造された。
 弥生時代の終末期に纏向型前方後円墳が築造され、西暦180年頃築造の箸墓古墳が大型の定型的前方後円墳となって古墳時代に入っていく。
 纏向は初瀬川(大和川)が奈良盆地(当時は大和湖)に流れ込んで、三輪山の西側に扇状地を造った地域に位置している。

 箸墓古墳の北500mの桜井市大字太田に、3世紀後半築造の「メクリ1号墳」がある。
 纏向遺跡で確認されている唯一の前方後方墳である。全長28m、後方部19.5mと確認されているが、土は削り取られて、今は何もない平地になっている。幅4mの周濠からは多くの土器が出土した。

 桜井市教育委員会によると、そのメクリ1号墳の東側で、3世紀築造の方形周溝墓が新たに3基見つかった。過去の調査から少なくとも6基の墓が造られていた。
 調査をした桜井市纏向学研究センター(寺沢薫所長)によると、3基の周溝墓は3世紀前半から後半にかけて順番に築造されたと云う。一番大きいものは南北8.5m、東西9m。
 小規模の墳墓であるので、初期大和政権を支える中堅以下の人物が埋葬されたと考えられる。この辺りは纏向の小規模墓所であったが、現在は畑や野原になっている。
   赤のアイコンがメクリ1号墳


 メクリ1号墳の500m南西に「南飛塚古墳」がある。幅8.5m、深さ60cmの周濠が確認されているが、全体像は未確認。
 祭祀用の木造建物が倒壊したままの状態で出土しており、溝から3世紀後半の土器が出土した。現在は畑の状態になっている。

 南飛塚古墳の北西250mに「東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)」がある。
 そのすぐ北に「纏向矢塚古墳」、「纏向石塚古墳」、「纏向勝山古墳」がある。何れも3世紀前半から中頃に築造の纏向型前方後円墳で周濠が確認されている。古墳時代に入る直前の墳墓群になっている。
 その古墳群の中に「桜井市纏向学研究センター」がある。
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by enki-eden | 2017-11-24 00:16