古代史探訪

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土井ヶ浜遺跡の縄文人骨(701号人骨)

 土井ヶ浜遺跡(どいがはまいせき)は山口県下関市豊北町土井ヶ浜にある弥生時代前期から中期の墓地遺跡である。


 発掘調査は昭和28年から32年までの間、5次にわたる発掘調査がおこなわれ、約200体もの弥生人骨が出土し、後の発掘調査により人骨は300体以上に増えた。
 (土井ヶ浜人類学ミュージアムより)
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 土井ケ浜・人類学ミュージアム名誉館長の松下孝幸氏(1950年生、長崎県)が昭和57年10月26日に土井ケ浜遺跡の第7次調査に参加された。土井ケ浜弥生人は、顔が長く、顔面は扁平(へんぺい)で、高身長である。
 その時に松下氏は、これまでに見つかった土井ケ浜弥生人の特徴ではなく、鼻根部が深くくぼんでいる縄文系の人骨を見てあっと驚いた。いわゆる彫りの深い「低・広顔」の容貌で、眉の上が隆起し、鼻骨も隆起しているので、鼻の付け根が陥凹(かんおう)している。
 身長は低く158・8cmの縄文系弥生人であった。松下氏の見た701号人骨は、これまで発掘されたものと、あまりにも顔つきが違う。

 701号人骨に寄り添うようにして埋葬されていた702号人骨は、土井ケ浜弥生人そのものだった。顔が長く、横幅が狭い「高・狭顔」だった。鼻は低く、鼻の付け根は扁平で、彫りが浅い。身長は165・9cmあった。どちらも男性だが、顔もプロポーションも対照的である。

 弥生人と縄文系弥生人が寄り添うように埋葬されているが、この2人はどのような関係なのか。
 弥生人は中国大陸の戦乱を避けて列島に逃亡してきた江南人(揚子江周辺の倭人)や漢族である。
 長崎県、熊本県の海沿いで出土する古代人骨は西北九州型と呼ばれ、縄文系弥生人である。土井ヶ浜遺跡の701号人骨は、その仲間かもしれない。

 遺跡出土の男性の腕輪は大型のゴホウラ貝である。この大きな巻貝は琉球列島のサンゴ礁域に生息している。
 土井ヶ浜の弥生人がゴホウラ貝を求めて九州の西海岸を南下し、西北九州型の縄文系弥生人が貝交易の役目を果たしていた。土井ケ浜遺跡の「701号人骨」もその一人だったかもしれない。

 平成17年に熊本大学文学部教授の木下尚子氏が講演で、「沖縄では先史時代以来、貝交易が連綿と続いていて,これが沖縄の古代史の大きな特徴となっている」と解説された。
 貝交易の対象はゴホウラやイモガイ、ヤコウガイなどサンゴ礁の海に生息する特徴的な大型巻貝で、サンゴ礁が現在のように島のまわりに完成するのは,二千数百年前の弥生時代の頃である。
 弥生時代の貝交易は,北部九州の弥生人が、ゴホウラやイモガイを用いて腕輪を作ろうとしたことに端を発している。
 交易に関わったのは①背が高くのっぺりとした顔つきの北部九州弥生人、②北西部九州沿岸部の縄文系弥生人、③小柄な南島人である。
 古人骨の研究成果から、3地域の人々はこのような身体的特徴をもっていることがわかってきた。

 北部九州弥生人は貝交易の発注者、北西部九州弥生人は北部九州弥生人に頼まれて海上を往来する運搬者、南島人は貝殻の提供者であった。
 南海産貝輪をはめる習俗は、弥生時代を通して流行したが、北部九州から西日本各地に広まり、現在のところ、南は鹿児島県、東は愛知県までの地域に同様の腕輪がみられる。
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by enki-eden | 2017-12-01 00:12