古代史探訪

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2017年 08月 18日 ( 1 )

経津主神(ふつぬしのかみ)

 日本書紀によれば、経津主神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)と共に「葦原の中つ国平定」(国譲り神話)を実行した神となっている。

 葦原の中つ国平定で大国主命(160年頃-220年頃)が譲ったのは出雲国ではなく、大国主命が素戔嗚尊(140年頃-200年頃)から引き継いで支配していた北部九州の地域を西暦201年頃に明け渡したと云うことです。

 10代崇神天皇(251年-301年)の時代になると、弥生時代から古墳時代に入り、大和国から全国を制覇し、大和朝廷が出現する。
 大和朝廷が安定すると、363年に神功皇后(321年-389年)が新羅に軍事遠征するまでになる。三輪山の麓に箸墓古墳が出現して古墳時代に入ってから100年も経っていない。

 伊弉冉尊(いざなみのみこと)が火の神・軻遇突智(かぐつち)を生んだ時に火傷で亡くなったので、伊弉諾尊(いざなぎのみこと、125年頃出生)が軻遇突智を斬った。
 その剣からしたたる血が、天の安河(あめのやすかわ)のほとりに多くの岩群を造った。これが経津主神の先祖になった。経津主神の両親は磐筒男(いわつつのお)と磐筒女(いわつつのめ)となっている。
 先代旧事本紀には、磐裂神(いわさくのかみ)と根裂神(ねさくのかみ)の子が磐筒男と磐筒女で、その子が経津主神となっている。
 栃木県下都賀郡壬生町安塚1772-1に磐裂根裂神社が鎮座、磐裂神・根裂神を祀っている。

 天の安河は高天原を流れる川で、神々が集まって会議をするところ。また、素戔嗚尊と天照大神が誓約(うけい)をしたところ。誓約については2013年1月2日投稿の「盟酒、うけいざけ」をご参照ください。
 私見ですが、福岡県朝倉市の秋月地区(筑前の小京都)から安川地区・甘木地区を流れ、筑後川に注ぐ「小石原川」が「天の安河」だと見ています。
 小石原川周辺が高天原で、弥生時代末期の2世紀から3世紀の倭国の中心地だったと考えられる。小石原川と大分自動車道が交わる辺りに平塚川添遺跡(BC1世紀からAD4世紀)などの遺跡群がある。
 安本美典氏の説によると、甘木・朝倉地方が邪馬台国の中心地で、後に大和に移って大和朝廷ができたと云う。



 高天原については、2014年8月29日投稿の「高天原」をご参照ください。その中に掲載の神世の年表はその後、少し修正していますので修正年表を次に掲載します。
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 経津主神は香取神宮(下総国一宮、千葉県香取市)に、武甕槌神は鹿島神宮(常陸国一宮、茨城県鹿嶋市)に祀られている。
 そして、奈良市の春日大社には経津主神と武甕槌神が祀られている。

 素戔嗚尊(布都斯、ふつし)の父が布都(ふつ)で、天理市布留町の石上神宮(いそのかみじんぐう)の御神体は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ、布都の剣)になっている。
 先代旧事本紀には布都主神魂刀が布都御魂剣であるとしているので、素戔嗚尊の父である布都と布都主神(経津主神)が同じと云うことになる。
 布都は西暦125年頃出生であるが、葦原の中つ国平定の経津主神は西暦180年頃の出生になるので時代が合わない。私見ですが、布都と経津主神は出自も時代も違う別神でしょう。

 石上神宮の御神体は布都御魂剣(布都の剣)の他、布都斯御魂剣(素戔嗚の剣、天羽々斬剣、あめのははぎりのつるぎ)、布留御魂(饒速日の十種の神宝)がある。そして、国宝の七支刀も奉納されている。

 出雲国風土記に布都怒志命(ふつぬしのみこと)が登場し、布都斯(ふつし、素戔嗚尊)のことであると云う説もある。経津主神は元々出雲系の神であったのを高天原系にすり替えられた可能性がある。これは藤原不比等(659年-720年)が記紀の記述に影響を与えたからであろう。
 出雲国風土記には大穴持命(大国主命)の子に和加布都怒志命もいる。物部系の祖神、神社、祭祀(御魂振り)も藤原氏・中臣氏の勢力に取り込まれていくことになる。
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by enki-eden | 2017-08-18 00:08