古代史探訪

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難波八阪神社(なんばやさかじんじゃ)

大阪市浪速区元町2丁目9-19  電06-6641-1149  参拝者用無料駐車場あります。
祇園牛頭天王を祀る古社。
祭神  素戔嗚尊(厄除け、疫病退散、商売繁盛、農耕殖産)
     奇稲田姫命(素戔嗚尊の妃、縁結び、夫婦円満、安産)
     八柱御子命(やはしらみこのみこと)
        天忍穂耳尊、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、
        多紀理毘売命、多岐津比売命、狭依毘売命(市杵嶋姫命)。

 古来「難波下の宮」と称し、難波一帯の産土神であった。
 毎年1月の第3日曜日(2015年は1月18日)に行われている綱引神事は、素戔嗚尊が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、民衆の困苦を除いた故事に基づき始められた。



 7月に夏祭の宵宮祭で執り行われる道頓堀川船渡御巡行は、20数隻の渡御船団に600名ほどの大賑わいになります。
 江戸時代には天神祭と並んで盛大に行われていたが、江戸中期に途絶えてしまったものを2001年に氏子と地元企業の支援で230年ぶりに復活したそうです。

   南の鳥居と社号標
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   手水舎は獅子
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   東の鳥居と社号標、奥に「獅子殿」が見える。
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   西の鳥居と社号標
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   拝殿
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   拝殿前の狛犬、後方に見えるのは境内社。
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 12月26日に参拝すると、拝殿内に綱引神事(大阪市無形民俗文化財)に使うヤマタノオロチが準備されていた。
 境内でヤマタノオロチをその年の恵方に引き合ってから神社の周囲を巡行する。
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   本殿、後ろから。
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 高さ12mの獅子殿は素戔嗚尊の荒魂を祀っている。
 1974年5月に本殿竣工と共に完成。祭りの夜には獅子の目にライトが点き、鼻はスピーカーになっている。獅子の口は舞台になっており、獅子舞や雅楽、各種芸能が奉納される。
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境内社、右から皇大神社(天照皇大神、猿多彦大神)、
市杵島姫神社(市杵島姫神、大物主神)、三宝荒神社(かまどの神)、豊国稲荷大明神。
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   宮趾
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   殉国之碑
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   戦艦陸奥主砲抑気具記念碑
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   立派な神輿庫
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 拝殿前の石柱に刻まれた文字は、兵庫県美方郡香美町香住区の八坂神社の石柱と全く同じです。2014年11月26日投稿の「八坂神社」をご覧ください。
 右の石柱には「獲剣簸川■配三種神寶」とあり、「素戔嗚尊が出雲の簸川で獲得した天叢雲剣(草薙剣)を三種の神宝とした」と記されている。
 左の石柱には「建宮須賀初詠八雲国風」とあり、「素戔嗚尊が須賀(島根県安来市)に宮を建て、新婚の住まいとした。そして初めて八雲国の歌を詠んだ」と記されている。
 その時に素戔嗚尊の詠んだ歌は
     八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

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by enki-eden | 2015-01-31 10:08

御霊神社(ごりょうじんじゃ、大阪市)

 大阪市中央区淡路町4丁目4-3  電06-6231-5041   無料駐車場あります。
 祭神 天照大神荒魂(あまてらすおほかみのあらみたま、瀬織津比売神)、
     津布良(つぶら)彦神(旧摂津国津村郷の産土神)、
     津布良媛神(旧摂津国津村郷の産土神)、
     応神天皇(広幡八幡大神)、
     源正霊神(げんしょうれいじん、鎌倉権五郎景政公霊)
 創建  55代文徳天皇の時代(9世紀半ば)
 厄除け・縁結びの神、商売の守り神、開運招福・子孫繁栄の神。

     ご朱印
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 天照大神の荒魂を祭神とする神社は、伊勢神宮内宮第一別宮荒祭宮(あらまつりのみや)を初めとして全国に数社あります。
 瀬織津姫は天照大神荒魂、またの名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命、八十禍津日神などと云われています。しかし大和朝廷(41代持統天皇と藤原不比等)により、瀬織津姫や饒速日尊、素戔嗚尊などは存在を曖昧にされてしまっている。

 当神社の由緒によると、当社は大阪市の船場、愛日(あいじつ)、中之島、土佐堀、江戸堀、京町堀、靱(うつぼ)、阿波堀、阿波座、薩摩堀、立売堀(いたちぼり)、長堀の西部、南北堀江の西部など旧摂津国津村郷(つむらごう)の産土神(うぶすなのかみ)であった。
 古代の当地は大阪湾が深く入り込んで円形の入江をなし、江(つぶらえ)と呼ばれ、瀬織津比売神、地主の神たる津布良彦神、津布良媛神を奉祀して神祠(つぶらしんし)と言ったのが当神社の古名である。
 <つら(津村)の地名はつら(円、圓)が転訛したと考えられる。 
 マ行とバ行の転訛。 寒い→さぶい、煙→けぶり。>

   赤のアイコンが御霊神社、黄が靱(うつぼ)で現在は楠永神社が鎮座。


 1594年に靱(うつぼ)から900m北東の現在地に遷座、17世紀半ばに社名を「圓神祠」から「御霊神社」に改称、商業・金融中心地の鎮護として商家の崇敬が厚かった。現在の立地も地下鉄御堂筋線の本町と淀屋橋の中間にあり、大阪の中心ビジネス街です。

 1884年から1926年までは境内に「御霊文楽座」があり、人形浄瑠璃が興行されていた。鳥居奥に「文楽座之跡」の碑がある。

    東の入り口に赤い鳥居と社号標(社殿は東向き)、
    左の柱の向こうに「文楽座之跡」の説明碑が見える。
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   鳥居の神額(御霊宮)は珍しい「両部額」です。
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 この形の扁額(神額)は両部額で、使用している神社は多くはないが、奈良の大神神社、京都の北野天満宮、八坂神社、京都府南丹市園部町の摩氣神社(まけじんじゃ)と生身天満宮(いきみてんまんぐう)、滋賀県大津市の天孫神社、姫路の射楯兵主神社、大年神社、広島の厳島神社、佐渡島の度津神社(わたつじんじゃ)、埼玉県秩父郡の寶登山神社(ほどさんじんじゃ)、山形県酒田市の下日枝神社などで見ることができます。
 また、大阪府河内長野市の観心寺、大阪市平野区の大源山・大念仏寺など、お寺の扁額(寺額)にも使用されている。

   鳥居の右手に東宮(皇大神宮、恵比須神社、猿田彦神社、及び摂社が12社)
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   社務所と御神木(肌まもりの楠木)。
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   拝殿
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   本殿
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   本殿右に末社の松之木神社(松之木大神、朝吉大神)
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   末社の大黒社(大国主命)
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   不動明王、神仏習合時代の名残か。
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 鳥居の左に「うつぼの碑」
 当社は靱(うつぼ、西区靱本町)に鎮座していたが、1594年に境内社の八幡宮と源正霊神を本殿に合祀して現在地(船場)に遷座した。それを後世に伝えるために建立された。
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    方位除けの「獅子の岩」
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                        *****
 大阪府神社庁が川端康成の短編小説集「掌の小説」より「一人の幸福」の一節を紹介しています。
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by enki-eden | 2015-01-26 00:03

呉音と漢音(漢字の音読みの種類)

 3世紀の中国は「魏、呉、蜀の三国時代」で、呉(222年-280年)は孫権(182年-252年)が江南の建業(南京)を都とした。4世紀から5世紀になっても東晋(317年-420年)の司馬睿(276年-322年)が建業を都とした。
 南北朝時代の宋(420年-478年)も劉裕(356年-422年)が建康(南京、建業を改名)を都とし、次に斉(479年-501年)の蕭道成(しょうどうせい、427年-482年)も、梁(502年-556年)の蕭衍(しょうえん、464年-549年)も建康を都とした。
 更に陳(557年-589年)の陳覇先(ちんはせん、503年-559年)も建康を都とした。宋、斉、梁、陳の4王朝を南北朝時代(420年-589年)の南朝と呼ぶ。

 北朝は北魏(鮮卑族、386年-534年)の拓跋珪(たくばつ けい、371年-409年)が386年に盛楽(内モンゴル)に都を置き、華北(黄河以北)をほぼ平定、398年に平城(山西省大同市)に都を移し皇帝に即位。
 その後、7代孝文帝が493年に都を洛陽に遷したが、534年に東魏と西魏に分裂、東魏は550年に北斉となるが577年に滅亡、西魏は556年に北周となるが581年に滅亡した。
 北魏は日本の15代応神天皇から27代安閑天皇の頃で、日本にも影響を与え、日本の仏像は北魏様式という説もある。国家体制も古代日本の模範となった。

 北周王朝外戚の楊堅(541年-604年、母は鮮卑族、父は漢族)が大興城(長安)を都として隋(581年-618年)を建国、589年に全国統一を果たした。楊堅は漢文化重視策を採った。
 北方遊牧騎馬民族の鮮卑族が建てた北魏は「鮮卑族と漢族の融合」を目指して漢化政策を推し進めていたが、同じ鮮卑族が隋を建国して中国を統一した。

 隋は日本にも積極的に交流を促し、33代推古天皇は600年に第1回遣隋使を派遣、607年に2回目遣隋使・小野妹子を派遣した。

 隋の2代皇帝煬帝(569年-618年)が悪政により重臣に殺された。3代皇帝楊侑から禅譲を受けて李淵(566年-635年、鮮卑系?)が618年に唐を建国、同じく長安に都した。
 日本も34代舒明天皇が630年に第1回遣唐使犬上御田鍬を派遣した。遣唐使は200年以上の間に17回ほど派遣され唐の文化、制度、仏教などを伝播したが、894年に菅原道真の進言で停止した。

 華北に定住し、長安を都にした遊牧騎馬民族である鮮卑族の発音が漢音で、その漢音は遣隋使・遣唐使や留学僧によって日本にもたらされた。
 呉音は漢音が伝わる前に日本で使われていた漢字の音読みです。

 41代持統天皇(645年-702年))は唐から音博士を招き、漢音の普及に努めた。
 50代桓武天皇(737年-806年)は遣唐使らの進言を取り入れ、それまで使っていた呉音を改め、漢音を正式の音読みとする漢音奨励の勅命を792年に出した。漢音の学習が奨励され、僧侶にも漢音の使用を推奨した。

 しかし、社会的に力のあった仏教会は250年以上も呉音に慣れ親しんでいたため、漢音の使用に反発しており、呉音が消滅することはなかった。
 人々が日常生活によく使う言葉や仏教会などでは、相変わらず呉音が使われ続けた。例えば、怨霊(おんりょう)、兄弟(きょうだい)、経文(きょうもん)、祇園(ぎおん)、境内(けいだい)、修行(しゅぎょう)、正体(しょうたい)、食堂(じきどう)、成就(じょうじゅ)、頭脳(ずのう)、世間(せけん)、殺生(せっしょう)、荘厳(そうごん)、灯明(とうみょう)、男女(なんにょ)、人間(にんげん)、文書(もんじょ)、金色(こんじき)、今昔(こんじゃく)などです。

 現在の中国では呉音が消滅し、漢音(北方民族の発音)に統一されているので、中国の呉音研究者は日本語に残された呉音を研究しています。

 呉音のマ行が漢音ではバ行になる。米(まい→べい)、馬(ま→ば)、万(まん→ばん)、美(み→び)、武(む→ぶ)、母(も→ぼ)、文・聞(もん→ぶん)などです。北方民族はマ行が発音しにくかった。
 日本語でもマ行がバ行になる場合があります。奈良県香芝(かし)市の地名は同地の鹿嶋(かし)神社からの由来と云われる。
 他にも、寒い(さい)が「さい」となることもあり、煙(けり)が「けり」となることもある。
 「寂しい(さしい)→さしい」があるが、これは逆にバ行からマ行への変化です。

 呉音のナ行は漢音のダ行になる。男(なん→だん)、泥(ねい→でい)、奴(ぬ→ど)。
 その他、呉音と漢音は多くの変化があります。

 漢音と呉音以外に、平安時代から鎌倉時代に宋(960年-1279年)から新たに入ってきた読み方は唐音(宋音)と呼ばれる。例えば、行脚(あんぎゃ)、椅子(いす)、和尚(おしょう)、炬燵(こたつ)、石灰(しっくい)、西瓜(すいか)、暖簾(のれん)、普請(ふしん)、末期(まつご)、明(みん)、鈴(りん)などです。

 このように日本では同じ漢字を何通りにも読む。それに加えて訓読みもある。姓名や地名になると更に特別な読み方がある。
 最近の新生児の名前は読めないのが多い。極端な例は「月」を「るな」と読む。これはイタリア語やスペイン語のluna(月)です。「詩」を「らら」と読む。これは英語のlullaby(ララバイ、子守唄)でしょう。
 「この状態は何とかせねば!」 と真剣に思うのは私だけではないでしょう・・・
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by enki-eden | 2015-01-22 00:12

八雲神社(やくもじんじゃ、兵庫県三木市久留美)

 兵庫県三木市久留美1840  播磨国美嚢郡(みのうぐん)久留美村(くるみむら)
 八雲社(やくものやしろ)  電0794-82-0914  無料駐車場あります。
 祭神  八雲武大神(素戔嗚尊)、
      天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、
      熊野橡樟日命(くまのくすひのみこと)、
      田心姫命、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命。

 当地は23代顕宗天皇(ヲケ皇子)と24代仁賢天皇(オケ皇子)が21代雄略天皇の粛清から身を隠していた所で、「久留美」は久しく留まった美しい所と云われている。
 或いは、久米部が住んでいたので久留美という説もある。跡部(あとべ)古墳群があることから物部氏との関係も考えられる。



    入り口の鳥居
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    社号標
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    参道
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    舞殿と拝殿、拝殿の神額は「八雲武大神(素戔嗚尊)」、社紋は木瓜紋。
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  拝殿奥の本殿、千木は外切り、鰹木は5本。
  本殿の神額は中央(中殿)に「武大神(素戔嗚尊)」、
  向かって右(左殿)に「五男神(素戔嗚尊と天照大神の誓約による5柱の男神)」、
  向かって左(右殿)に「三女神(誓約による宗像三女神)」となっている。
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    本殿背後に祠や磐座が多い。
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    八幡大神
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    祈祷車入り口の鳥居
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by enki-eden | 2015-01-19 13:36

御坂神社(みさかじんじゃ、兵庫県三木市)

 兵庫県三木市志染町御坂(みさか)243 電0794-87-3545 無料駐車場あります。
 祭神  大物主神、葦原志許男神、八戸掛須御諸神(やとかけすみもろのかみ)。
 志染(しじみ)の氏神。



 延喜式神名帳に播磨国五十座のうち美嚢郡(みのうぐん、三木市と神戸市北区淡河町)一座御坂社と記載されているのが当社で、播磨国風土記に17代履中天皇(5世紀半ば)が当社に参拝されたとある。

 履中天皇は仁徳天皇の第一皇子で、母は磐之媛(葛城襲津彦の娘)である。妃は葛城葦田宿禰の娘・黒媛である。
 履中天皇が当神社に参拝したのは、当地が葛城葦田宿禰の領地だったのではないか。
 履中天皇と黒媛の孫の23代顕宗天皇と24代仁賢天皇は21代雄略天皇の迫害を避け、当地(志染町)に逃亡していた時期がある。
   図をクリックして、プラスマークをクリックすると拡大します。
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 また、播磨国風土記に「志染の里三坂(御坂)にます神、八戸掛須御諸神は大物主神と葦原志許男命の国堅めたまひし以後に天より三坂峯に下り給ひき」と記されている。
 当社祭神の三神は大国主命の別名と考えられるが、播磨国風土記の記述では、それぞれ別の神と読めるが・・・

    鳥居と社号標
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    鳥居の右後ろに境内社
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    手水舎の後ろに杉の大木。
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    能舞台
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    社務所
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    拝殿、きれいな菊が飾られている。いちょうの葉も散り始めた。(11月末)
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    本殿、千木は外切りで鰹木は7本。
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    陰陽石が祀られている。
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by enki-eden | 2015-01-16 00:08

人類とネアンデルタール人の混血

 ネアンデルタール人は欧州などに20~ 30万年前に住み始め、狩猟などで生活していた。
 イギリスのオックスフォード大のチームが遺跡の出土品などを分析した結果によると、ネアンデルタール人が欧州で絶滅したのは41,000年前~39,000年前だった。45,000年前には欧州の広い地域に生活の痕跡があったが、約40,000年前にいなくなった。
 
 約40,000年前にネアンデルタール人が絶滅した時期には、欧州に現生人類(ホモ・サピエンス)が既に現れており、ネアンデルタール人と現生人類が数千年の間共存していたので、両者の混血や技術の交流があったと考えられる。
 
 「日経サイエンス」12月号の記事によると、人類とネアンデルタール人の混血については、かなりの交わりがあったことが明らかになり、別の血を入れることが人類をより強く進化させたようだ。

 ウィキペディアによると、『ネアンデルタール人は約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。シベリアのアルタイ地方で発見されたデニソワ人、インドネシアのフローレス島で発見されたフローレス人は、ネアンデルタール人の兄弟種である可能性が高い。
 ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器を作製し、火を積極的に使用していた。
 遠目には現生人類とあまり大きく変わらない外見をしていたと考えられ、遺体は屈葬の形で埋葬していた。』とあります。

 化石人類の発見、分子遺伝学の研究、解剖学的研究などによって、ネアンデルタール人と現生人類の間に混血があったことが分かる。
 ネアンデルタール人はアフリカには生存していなかったので、アフリカ系の人類はネアンデルタール人と混血していないが、「出アフリカ」をした人類の全遺伝情報の2~3%ほどがネアンデルタール人由来になっている。

 しかもヨーロッパ人だけでなく、アフリカ人以外の民族は同じような割合でネアンデルタール人のDNAを引き継いでいる。これは人類が「出アフリカ」の直後にネアンデルタール人と交わり、遺伝子を引き継ぎ、その後世界に広がっていったと考えられる。そして環境や進化の違いで様々な人種に分かれていった。

 ネアンデルタール人の遺伝子は現代人に一様に分布しているのではなく、民族・自然環境などによって特定の遺伝子が選択されている。
 ネアンデルタール人は絶滅したが、我々人類の中にDNAを残しているので、完全に絶滅した訳ではなく人類の中に溶け込んだ。
 ネアンデルタール人の遺伝子は人類の拡散と共に世界中に広まっていった。

 ネアンデルタール人からヨーロッパ人へ引き継がれた遺伝子は、皮膚、爪、髪などの遺伝子部分に細分化されて多く残っており、白い肌、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人由来の可能性が高い。
 東洋人の直毛もネアンデルタール人由来のようだ。
 またネアンデルタール人は丈夫ながっしりした体格で、顔は大きく、鼻も大きく、手足は短かった。

 45,000年前のスロベニアの遺跡から見つかった出土品の中に、ネアンデルタール人が熊の大腿骨で作った笛もある。

 人類がネアンデルタール人から受け継いだDNAは免疫力を高めたらしい。デニソワ人由来のDNAにより、チベット人は標高4,500mを超えるチベット高原の薄い酸素の中でも生活できるようだ。
 このように混血は我々人類に有益だったようで、生存に有利に働く遺伝子をネアンデルタール人などから獲得できた。
 それに反して、ハーバード大学医学部の論文によると、ラテンアメリカの人々の糖尿病を引き起こすDNAはネアンデルタール人由来と結論付けている。
 また、オックスフォード大学とプリマス大学が、癌はネアンデルタール人のDNAに原因があると発表している。

 ミトコンドリアDNAは母親から子に引き継がれるが、人類とネアンデルタール人にはミトコンドリアDNAが一致しない。これをどう考えるか、現段階では正解を出すのは困難です。

 日本の古代史研究にもDNAや考古学的成果を有効に利用して欲しいと思います。縄文人の特質はどうなのか、弥生人はどうなのか、弥生人でも呉系・越系・楚系に分けるとどうなのか、列島各地でどのように住み分けていったのかなどです。
 遺伝子を広範囲に調べると、どの時代にどの民族との交わりがあったか解明できる。民族の移動、侵略、支配などが分かる。
 その研究結果と記紀や古文書の文献史料、考古学的成果、神社や各地の伝承などと照らし合わせて古代の姿をより鮮明に描き出して欲しいと思います。
 2012年12月31日投稿の「古代史とDNA」をご参照ください。
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by enki-eden | 2015-01-13 00:16

綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう、神戸市須磨区)

 全国に1万社ある天満宮の中で「聖蹟25霊社」の第14番に選ばれており、地元では「須磨の天神さま」と呼ばれている。
 神戸市須磨区天神町2丁目1-11   電078-734-0640   無料駐車場あります。
 祭神 菅原道真公(天満大神、学問の神様)
 ご神徳 合格、学業成就

 菅原道真公(845年-903年)が901年に太宰権帥として大宰府に渡るおり、須磨の浦に立ち寄って、須磨の漁師が造った大綱の円座で休憩した。
 当社は菅原道真公の死後76年目(979年)に創建された。

 神戸市東灘区御影町にも綱敷天満神社が鎮座している。2014年10月12日の投稿をご覧ください。
 愛媛県今治市に綱敷天満神社、福岡市博多区に綱敷天満宮(聖蹟第22番)、福岡県築上郡に綱敷天満宮が鎮座しています。それぞれ官公が京から大宰府へ向かう途中に立ち寄ったという伝承がある神社です。

 12世紀に源兼昌(みなもとのかねまさ)が摂津国須磨を詠んだ冬の歌があります。
    淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守(せきもり)

 JR須磨駅の北部は今でも関守町(せきもりちょう)という地名になっている。関守町1丁目に関守稲荷神社が鎮座、ここが須磨の関跡と云う説もあるがはっきりしない。
 関守稲荷神社は若い女性にも人気があるようです。

   赤のアイコンが綱敷天満宮、黄が関守稲荷神社、青が須磨の浦


 この他にも在原行平、在原業平、寂連法師、藤原俊成、藤原定家など多くの歌人が須磨の関を詠んでいます。
 源氏物語の「須磨の巻」で光源氏の詠んだ歌。
   友千鳥 もろ声に鳴く 暁は ひとり寝覚めの 床もたのもし

   国道2号線より南入り口の社号標
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    西入り口の赤鳥居
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    東入り口の鳥居
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   拝殿
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    本殿
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 拝殿前に設置している波乗り祈願像。 時を読み、流れに逆らわず、自らの平衡感覚によって状況に対応していくことを祈願する。 少年時代の菅原道真公が須磨の浦でサーフボードを抱える姿になっている。
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 綱敷の円座。 菅原道真公が大宰府へ左遷される途中、須磨の浦に一時上陸し、須磨の漁師たちが松の下に綱を渦巻状にして円座を設け歓待した。この綱敷の円座が社名の由来である。
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 「なすの腰掛け」は野菜の茄子を模して造られている。 「茄子」の花は一つの無駄もなく実を結び、また「成す」と語呂が同じなので努力は報われ願いが叶えられるという縁起をふくんでいる。
 「ナス」に腰かけて本殿に向かって願いを込めればどんな願いも叶えられる。
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  「なすの腰掛け」を見て格言を一つ思い出しました。
     親の意見と ナスビの花は 千に一つも 徒(あだ)はない

 拝殿内に「茄子の子安台」が見える。
 初宮参りで子安台に子どもを乗せて祈祷することにより、子どもの健やかな成長を願う。
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   官公母子像。 官公の母は伴氏出身。
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   5才の官公
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     御鎮座壱千年記念の塔(三重の塔)
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     社務所に天満宮の御神輿を展示
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     本殿左に稲荷社(商売繁盛)
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    神使いの牛
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     本殿右に厄神社
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 西の道向かいに綱敷天満宮の兼務社である諏訪神社が鎮座、祭神は建御名方命で狩の守護神。 
 神戸市須磨区須磨本町1丁目1-44  社殿が東向きなので東向明神とも云う。
 一説ではこの神社の「諏訪」が訛って「須磨」の地名がついたと云う古社です。
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by enki-eden | 2015-01-10 13:56

神戸北野天満神社

神戸港が見える杜(標高75m)で海岸から2.5kmの山裾に鎮座。
神戸市中央区北野町3丁目12   電078-221-2139   駐車場なし。
祭神  菅原道真公(天神様)
ご神徳  学問・合格の神、和歌・芸能の神、正直・至誠の神、厄除の神。

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   赤のアイコンが北野天満神社、黄が境外末社の青龍神社


 社伝によると、福原遷都に際して平清盛(1118年-1181年)の命を受けた権大納言藤原邦綱(1122年-1181年)が、新しい都の鬼門鎮護のために京都の北野天満宮を勧請して1180年に社殿を造営し、僧信海に管理させたのが当社の始めと伝えられている。
 以後、周辺地は「北野」と呼ばれるようになった。

 明治32年(1899年)の神戸外国人居留地返還に伴って、外国人が居留地の北にあたる北野町や山本通りに住み始め、異人館が立ち並んだ。
 旧居留地はビジネス街、大丸百貨店などショッピング街やファッション街の活気あるエキゾチックな街になっている。

JR神戸駅前地下街に開港直後の神戸港を描いた大きな浮世絵の看板がかかっている。
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 北野天満神社の南には北野町広場があり、トランペットやサクソホーンを吹く銅像がベンチに坐っていますよ。トイレや観光案内所もあります。
 銅像の後ろは「萌黄の館」(旧シャープ邸)で国の重要文化財です。
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 トランペットを吹く銅像の後ろは「風見鶏の館」(旧トーマス住宅)で国の重要文化財です。
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 「風見鶏の館」の隣りに北野天満神社の鳥居と社号標。
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 急な階段を登ると右手に「水かけ祈願叶い鯉」。 鯉に水をかけ祈願すると願いが叶うと云われる。鯉と恋の繋がりで恋愛が成就するようだ。
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 1742年建立の拝殿。 舞の奉納や神前挙式、国際祭りの民俗芸能などが奉納される。
 直ぐ後ろには六甲山脈の山々が迫っている。
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   ご神牛。 道真公と牛は深い縁があり、様々な縁起・伝承がある。
   撫で牛としての信仰もある。
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   後ろを振り返ると市街地が見える。 800m南に生田の森(生田神社)が少し見える。
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   更に階段を登ると約260年前に造営の本殿。 
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   本殿右に境内末社の天高稲荷神社(左)と白龍神社(薬照大明神)。
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   北野天満神社の400m南西に境外末社の青龍神社と三森稲荷神社が鎮座。
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 青龍神社の50m南に関西ユダヤ教団のシナゴーグ(会堂)があります。日本には2ヶ所しかなく、もう1ヶ所は東京・広尾にあります。
 門を入った所と左の入り口の上に「ダビデの星」があり、右の入り口近くに燭台の形をした9枝の大きなメノーラー(ハヌッキーヤー)が見えます。建物内部にも大きなメノーラーがあります。
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by enki-eden | 2015-01-07 00:12

瑞丘八幡神社(みずおかはちまんじんじゃ、神戸市垂水区)

垂水厄除八幡宮(厄除開運、家業繁栄、家内安全、安産育児、交通安全)
神戸市垂水区高丸1丁目3-5  電078-707-3654  無料駐車スペースあります。
明石海峡を見渡す高台に鎮座、深い森に囲まれている。 1.1km南西に五色塚古墳がある。

祭神 神功皇后(安産育児、家内安全)、応神天皇(15代天皇、厄除開運、家業繁栄)、
    比咩大神(宗像三女神、交通安全)、以上三柱の神は八幡三神と云われる。
合祀 天満大神(学問の神)、荒大神(台所守護)、豊臣秀吉公(立身出世)。

 当社の600m南西に鎮座していた瑞丘社(天神さま、荒神さま、豊臣秀吉公)が昭和6年に当八幡宮に合祀され、名称を「厄除八幡神社」から「瑞丘八幡神社」に変更した。

 八幡神社は非常に多く、稲荷神社の次に多い。八幡神社の総本社は大分県宇佐市の宇佐八幡宮(宇佐神宮、豊前国一宮)である。宇佐八幡宮は29代欽明天皇の時代(568年)に大神比義(おおがのひぎ、大神氏の祖)によって祀られた。



    鳥居と社号標
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    イチョウの葉も散り始めました(11月末)。
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    八幡神の神使いは鳩で、八幡の八を二匹の鳩がかたどっています。
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    二の鳥居から拝殿を望む。
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    拝殿
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    本殿
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    吉高稲荷神社(よしたかいなりじんじゃ、倉稲魂命)(五穀豊穣、商売繁盛)
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    猿田彦神社(猿田彦大神)(交通安全、導きの神)
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 1月18日から20日の厄神祭には加古川市八幡町の宗佐厄神八幡神社からも応援があるようです。宗佐厄神八幡神社については2013年10月18日の投稿をご覧ください。
 瑞丘八幡神社は舞子にある老舗料亭ホテル「舞子ホテル」の神前結婚式を執り行っています。
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by enki-eden | 2015-01-03 00:03