古代史探訪

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京都の平安宮豊楽殿(ぶらくでん)は平城宮大極殿を移築か

 京都市文化財保護課が12月1日、京都市中京区にあった平安宮の供宴用施設「豊楽殿」の規模が確定し、東西38.5m、南北16mで大きさや構造が一致する奈良の平城宮第2次大極殿が移築された可能性が高いと発表した。

 794年の平安遷都時の内裏は、現在の京都御所(上京区)の西南1.7kmの千本通り沿い(中京区)にあった。(二条城の西)
 千本丸太町交差点北西角の歩道上に「大極殿跡」のプレートが埋めてあり、50m北の内野児童公園に「大極殿遺蹟」の石碑がある。現在の千本通りが当時の朱雀大路だったようです。千本通り近辺には朱雀の名の付く小学校・中学校・高校があります。

 内裏のある朝堂院の西隣に豊楽殿のある豊楽院が隣接していた。豊楽院では各節会(せちえ)、大嘗会(だいじょうえ)、新嘗会(しんじょうえ)などが行われ、「天子宴会之処(てんしえんかいのところ)」として国家的饗宴の場の威容を誇っていた。
 豊楽殿は現在の中京区聚楽廻西町(なかぎょうく じゅらくまわり にしまち)付近に位置し、道路横に「史跡 平安宮豊楽殿跡」の石碑と説明板が立てられている。1063年に豊楽院は焼失し、再建はされていない。
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by enki-eden | 2015-12-27 17:55

大津神社(西脇市)

兵庫県西脇市嶋237 電0795-22-3448 境内の東側に車1台のスペースがある。
   私は近くのJAに車を停めさせてもらいました。
祭神 大津乃命、品蛇別命(15代応神天皇)、気長足姫命(神功皇后)。

播磨国多可郡に鎮座、「津萬の厄神さん」。 北播磨の厄除けの神様、旧・郷社。
家内安全、商売繁盛、火盗消除、厄除け、交通安全など。

 国道175号線の東沿いに鎮座、社殿は東向き建てられており、東には加古川が流れる。
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 播磨国風土記の託賀郡(多可郡)に、「昔、品太天皇(応神天皇)がこの山で狩りをされた時、1頭の鹿が逃げ遅れて比々(ヒヒ)・・・と鳴いた。その声を聞いた天皇は哀れに思い、供人が射るのを止めさせて鹿を助けた。
 それ以来、この山を比也山(ひややま)、付近の野を比也野(ひやの)と呼ぶようになった。」とある。
 比也山は現在では比延山(ひえやま、278m)、比也野は比延町(ひえちょう)になっている。

「加古川の津」の津万(津萬)の地名由来も風土記にあり、播磨刀売(はりまとめ)と丹波刀売(たんばとめ)の国境争い神話の中に出てくる。
 祭神の大津乃命は、この津万地域を支配していた豪族だったのでしょう。当地で応神天皇(362年-403年)が狩りをされたので、天皇の母の神功皇后(321年-389年)と共にお祀りしたと考えられる。
   赤のアイコンが大津神社、黄が比延山


   東入口の両部鳥居と社号標、播磨北部にはこの形の鳥居が多い。
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   随神門、右奥に手水舎、その奥には大きな楠の神木。
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  拝殿
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  幣殿と権現造りの本殿。
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  拝殿右に祇園神社(金刀比羅大神、祇園大神、皇太神宮、愛宕大神)
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   本殿右に高良神社(高良玉垂命)
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   本殿奥に稲荷神社
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 本殿左に東照宮社(徳川家康公=東照大権現)
 東照宮社は過去に全国で500社以上も造られたが、特に明治維新以降に廃社や合祀などで現在は約130社に減っている。
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  南入口の小さな鳥居、笠木の反りがなければ宗忠鳥居と同じ形。
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             ***
 2015年の男子フィギュアスケートは羽生結弦選手の驚異的な活躍があり、見ている人に力を与えてくれました。解説者によると、「神の領域」とまで絶賛している。
 持病の喘息、腰痛や1年前の試合前6分間練習中の衝突事故など、マイナス要素がたくさんある中での活躍ですから、気迫・精神力・マインドコントロール・身体能力の凄さを感じます。それも21才の若さでねぇ・・・
 札幌で行われている全日本選手権を楽しみに見ています。
 羽生選手が参拝して絵馬を納めた神戸市の弓弦羽神社(2014年10月15日投稿)、京都市の晴明神社(晴明神社①2013年12月24日投稿)と(晴明神社②12月27日投稿)をご参照ください。
 
 日本の政治の世界にも、坂本龍馬のように命がけで国を動かす力を発揮できる人がそろそろ現れて、希望と活力が溢れる国に発展していくと思います。
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by enki-eden | 2015-12-26 00:23

垣田神社(かきたじんじゃ、小野市)

兵庫県小野市小田町1649  電0794-67-1004  無料駐車場あります。
播磨国賀茂郡鎮座、江戸時代は垣田住吉大明神と称した。
旧・県社。

祭神 底筒男命(そこつつのおのみこと)、
  (配祀)中筒男命、表筒男命(うわつつのおのみこと)、神功皇后。

交通安全、清祓、安産の神様、また合格祈願や必勝の神様として信仰を集めている。

創建 
 元の鎮座地は東条川北の山腹の小田町字神ノ木であったが、807年(51代平城天皇の時代)に現在地に遷座した。当地周辺には縄文・弥生時代の遺跡が多い。
 899年(60代醍醐天皇の時代)に勅使・藤原公方により奉幣の儀が行われ、「垣田大神」の勅号を贈られた。901年(延喜元年)に神功皇后を配祀した。

 播磨国には住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后)を祀る神社が多い。住吉大社の神領、社領、荘園が多かったことによる。
 播磨国には大歳神社(大年神社)も多いが、大歳神が雨の少ない瀬戸内気候の播磨に、ため池や灌漑用水路を造るよう指導して農業の発展に尽くしたことによる。

 当社の社家の垣田家は古代から続く古い家系を守っておられるようです。



   鳥居と社号標、境内は道路より少し低く、階段を下りる。
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   玉持ち狛犬、後方は舞台。
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   子付き狛犬、後方は手水舎で大きく立派な石を使っている。
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   拝殿
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   本殿、東の妻飾りに鳳凰、西は麒麟。
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   拝殿右に八幡神社
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   本殿後方に表津神社(うわつじんじゃ、表筒男命)
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   中津神社(中筒男命)
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   宗像神社(宗像三女神)
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   底津神社(そこつじんじゃ、底筒男命)
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   八坂神社(八坂神社、金刀比羅神社、秋葉神社、恵美須神社、
        春日神社、川下神社)
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by enki-eden | 2015-12-19 08:27

小野住吉神社(小野市)

兵庫県小野市垂井町908  電0794-62-2212  無料駐車場あります。
祭神 住吉三神(表筒之男命、中筒之男命、底筒之男命)

播磨国賀茂郡鎮座、式内社、旧・県社。
諸願成就、交通安全、厄除け、家内安全など。



 神社の由緒によると、創建年代は奈良時代初めの8世紀頃と云われるが詳細は不明。もと河内里山田(小野市山田町か。万勝寺川と山田川の間)に鎮座していたが、市場村喜多島(小野市南端、加古川左岸)に奉遷鎮座し、後に現在地に奉遷することになった。江戸時代には川内大明神と称していた。
 延喜式神名帳に記載され、慶安(17世紀中頃)以降徳川将軍代々の社領朱印地として十石を賜った。その後、小野藩主一柳家より当社を氏神として厚く崇敬された。

 現在の本殿は宝暦年間(1751年-1763年)に再建され、続いて神門、拝殿ほかも再建され、その後大改修を経て現在に至っている。
 華麗な彫刻と自然との調和がとれた霊験あらたかな由緒正しい神社となっている。

   神社入り口から南の鳥居を振り返る。
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   西にも鳥居がある、この左が駐車場。
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   神門と社号標
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  神門の右は豊磐間戸神社、左は櫛磐間戸神社になっている。門の神様。
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   拝殿と手水舎
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   立派な拝殿
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   流れ造りの本殿。
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   拝殿・幣殿・本殿を望む
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   拝殿の右に猿田彦神社
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   本殿の右に稲荷神社(商売繁盛)
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本殿右奥に祓戸社。神社の入り口近くの鎮座が多いですが、当社では一番奥です。
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   本殿左奥に磯御前社
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   拝殿左に大和宮
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by enki-eden | 2015-12-13 00:07

鍬渓神社(くわたにじんじゃ、小野市)

兵庫県小野市下来住町(しもきしちょう)661  電0794-62-6239 
無料駐車場あります。

祭神 素戔嗚命、
   足摩乳命(あしなづち)、手摩乳命(てなづち)、奇稲田姫命。
開運、交通安全、厄除けの神様。

 足摩乳命と手摩乳命の末娘が奇稲田姫命で素戔嗚命の妃となった。
 当社の神紋は素戔嗚命の五瓜紋
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 神社の隣は採石場になっている。

 建久年間(1190年-1198年、平安時代から鎌倉時代への変遷期)、82代後鳥羽天皇の時代に当地で疫病が流行し、播磨守・源範景が建久3年(1192年)に京の祇園神社(八坂神社)から分霊を勧請、下来野という地に社殿を創立し、牛頭天王と称した。
 その後この地を領した安芸守・来住(きし)惟友(清和源氏)は当社を厚く信仰した。
 天正8年(1580年)、豊臣秀吉によって来住氏が滅ぼされ、祭祀は中止された。天正9年、疫病が流行し、天正10年に神託があり、現在地に遷座し桑谷牛頭天王社と称した。
 明治時代になって社名を鍬渓神社と改めた。

   道路からの入口に社号標
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  灯篭の続く参道
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太田社(猿田彦神と天細女神)、開運・交通安全(車清祓)・事業繁栄の神様。
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  恵比須大神
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 恵比須大神の前から鳥居と社殿を望む。東向き(加古川向き)に鎮座。
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  拝殿、牛頭天王の神額。
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  本殿
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  本殿後部にも拝所が設けられている。後方に祠。
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  拝殿右に境内社入口
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  大歳神社
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  右は山之口大明神、左は稲荷社。
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  石の祠と、左は天満宮(菅原道真公)。
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  右は天照皇大神宮、左は豊受大神宮。
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  社務所
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 悪疫を払い、安泰を祈願する鎌倉時代からの神事である的神事が正月に執り行われる。昔は騎射だったが現在は立射で、大きな的の中央に「鬼」と書いて、その上を黒く塗りつぶした的に向かって矢を射る。
 7月には祇園祭と花火大会もあります。10月は秋祭りです。
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by enki-eden | 2015-12-05 00:17