古代史探訪

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五宮神社(ごのみやじんじゃ、神戸市)

神戸市兵庫区五宮町22-10  駐車場なし。
通称 五宮さん
祭神 天穂日命(あめのほひのみこと)

 神社の由緒によると、『生田大神の裔神(えいしん、お供の神)八社の一社。天穂日命は天照大御神が素戔嗚尊と剣玉を交換して誓約の時に生まれた五男神の二番目の神で、天照大御神の命令により出雲国に降り、国土発展と経営に努力した。
 当社は神功皇后三韓出征の帰途、巡拝された一社でもあり、厄除け・天下泰平・五穀豊穣のご神徳の高い神社としても知られる。
 延喜式神名帳に記載の「出雲国能義郡の天穂日神社」と関係があり(勧請され)、古来より平野村一帯の氏神として祀られている。』



 当社は近くの祇園神社が管理されているようです。祇園神社については2014年12月30日投稿の「祇園神社」をご覧ください。
 天穂日命は、出雲臣(出雲国造)、武蔵国造、土師連の祖神である。野見宿禰や、その子孫である菅原道真の祖神でもある。現在の出雲大社宮司は千家(せんげ)氏で、権宮司の千家国麿氏が高円宮典子女王と2014年に結婚されました。

 六甲山山頂の六甲山カンツリーハウス敷地内に天穂日命の磐座がある。天穂日命が当地に降臨したという伝承があり、周囲には巨石群があるがカンツリーハウス開発時に多くの岩が取り除かれた。



 当社は六甲山系の山裾に鎮座、
 裔神八社の中で一番高い所(標高64m)に位置する。
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 西隣りには臨済宗の祥福寺が見える。
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 本殿左に猿田彦社(猿田彦命)、人をみちびく神。
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 本殿右に岩松稲荷社(倉稲魂命、うかのみたまのみこと)、農商工業を守る神。
 右手前に出雲社(大国主尊)、福を授ける神。
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by enki-eden | 2016-02-25 00:13

二宮神社(にのみやじんじゃ、神戸市)

神戸市中央区二宮町3-1-12  電078-221-4786
駐車場はないが、付近にはコインパーキングが多いので、そちらを利用する。
港神戸守護神 厄除八社の一社。

祭神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(天照大神の長男)
(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
 ご近所では「正勝(まさかつ)さん」、「二宮さん」と呼ばれている。
   応神天皇(生田北向八幡宮を合祀)
 勝運、芸能、受験、就職、結婚、安産、病気平癒、財運向上、厄除。


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 神社の由緒によると、『14代仲哀天皇の妻・神功皇后は、九州の熊襲を平定した後、朝鮮半島に渡って百済、新羅、高句麗をも平定する三韓長征を成し遂げた。
 長征を終えた皇后一行は、大和国の玄関口である難波津へと向かうが、その途中で皇后は天照大神の御神託を受け、長田、生田(以上神戸市)、広田(西宮市)、住吉(大阪市)の四社を建立された。
 二宮神社の由来は、生田神社建立の際に、皇后が二宮神社をはじめとし、天皇家にゆかりの神々を祀る八社を巡拝されたことにさかのぼる。 皇后の参拝順に従い、一宮から八宮までの呼称が生まれたと云うので、史実に従えば二宮神社の歴史は1800年以上に及ぶと考えられる。
 また、貞観年中(859~877年)に、当時生田神社のあった砂山(いさごやま・新神戸駅の裏山)が大水害にみまわれ、現在の地に御社を築く間、二宮神社で生田神社の神様をお祀りしたと伝えられており、当社境内の拝殿近くには、生田神社の御神体を奉安したとされる「御幸石」が現存している。
 明治時代には、旧・葺合区内の全神社を合祀し、葺屋荘総鎮守を冠していた。』とあります。合祀された神社も元の地域に戻され、現在は生田北向八幡宮だけが合祀されている。

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石碑 「葺屋荘総鎮守 二宮神社」
   大君の しめぬる國の 外までも 道にぞなびく 御世の閑けさ
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 樹齢700年のご神木のケヤキ。太平洋戦争で2発の焼夷弾により、上の方が焦げた。
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   拝殿
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   本殿
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拝殿前に御幸石(みゆきいし)。生田神社が被害を受けた時に御神体を奉安した。
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 稲荷神社(倉稲魂命、うかのみたまのみこと)、伏見稲荷大社から勧請。
 商売繁盛、火災除け、芸能上達、縁結び。
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 椋白龍社(むくのきはくりゅうしゃ、白龍大神)、椋木に白蛇が現れ、昭和30年に創建。
 大願成就、財運向上、水商売守護、疫病除け、開運方除。
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 良縁、子宝、安産の「おイネ狐」。石像の大きなおなかをさすれば安産うたがいなし。
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 アイドルグループ「嵐」(ジャニーズ事務所)のファンがメンバーの名前と同じ名の神社を参拝し、聖地になっているらしい。「嵐神社」と言っているようだ。
 メンバーの一人の二宮和也(にのみや かずなり)であれば全国の二宮神社という具合だ。当社の境内に掛かった絵馬を見ると、「コンサートのチケットが手に入りますように!」などと書いてある。チケットが入手困難なのかな? 
 定価数千円のチケットがダフ屋行為により数十万円で取引されているというので、4月からのツアーで入場者がチケット購入の本人であることを確認する「顔認証システム」を導入するらしい。

 社務所では嵐関連のお守りなども置かれており、5人のイメージカラー別に揃っていた。私が参拝した日も若い女性がたくさん来ていましたよ。

世界らん展
 「世界らん展日本大賞2016」が東京ドームで2月13日から19日まで開催されています。今年は26回目で20ヵ国から洋ラン、東洋ラン、日本ランが約10万株も展示されています。
 テレビで日本大賞に選ばれたランを見ましたが、東京の人が出品した一輪の花で直径が15.5cmほどの大きさの立派なランでした。花の名は「パフィオペディラム エメラルド フューチャー ギャラクシー」らしいですが、覚えられませんねぇ。古代史の人名は長くても覚えられますが・・・
 優勝賞金は200万円、副賞がメルセデス・ベンツです。すごいですねぇ・・・
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by enki-eden | 2016-02-17 00:33

重力波を初観測

 古代史とは関係ありませんが、100年前にアルバート・アインシュタインが理論を展開した「重力波」がアメリカの研究チーム「LIGO(ライゴ)」によって観測された。
 日米欧がその成果を競っていたが今回アメリカが一歩先んじた。重力波はアインシュタインが1916年に自らの一般相対性理論に基づいて予言していた理論です。その理論が100年後の今回、実験によって証明された。

 物質の重力によって生じた時空のゆがみが重力波として伝わってくるが、非常に弱い波なので捕捉するのが困難なため、これまで実現しなかった。
 今回確認された重力波は昨年9月14日に測定されたもので、13億年前に二つのブラックホールが合体して発生した重力波だという。

 日本ではノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏(東大宇宙線研究所長)らが岐阜県飛騨市神岡町(神岡鉱山)の大型低温重力波望遠鏡「KAGRA(かぐら)」で重力波の観測・検出の実証を予定している。
 電磁波は進むにつれて徐々に減退していくが、重力波は減退しない。ここに宇宙解明のカギがあるのかもしれない。重力波宇宙学として進展していくのではないか。
 また、同じく神岡鉱山内の東大宇宙線研究所のカミオカンデ(宇宙素粒子研究施設)は小柴昌俊氏のニュートリノの研究とノーベル物理学賞で有名になり、後継施設のスーパーカミオカンデも梶田隆章氏により有名になり、宇宙の研究や陽子崩壊現象を探求しています。

 私は古代人が神として認識した偉大な存在を宗教的な見地からだけではなく物理学・天文学の見地からも認識できれば、宇宙(神・この世・あの世・別次元)がより深く理解できると確信しています。
 物理学や天文学が発展するにつれ、それが叶うのではないか。人間は4次元までしか認識できないが、異次元(0次元または5次元?)を確認できる日が来るのではないかと期待しています。
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by enki-eden | 2016-02-13 11:18

銅剣にサメの線刻

 鳥取県立博物館所蔵の銅剣に「サメの絵が線刻」されているのが分かった。テレビや新聞で報道されているので皆さんもご存じだと思います。
 銅剣は紀元前2世紀頃の祭祀用で、長さは約42cm。鳥取県の神社伝来品らしいが、収集家が所有していたものを遺族が26年前に鳥取県立博物館に寄贈したもの。
 鳥取県立博物館が他の所蔵品と共にこの銅剣を奈良文化財研究所に調査を依頼していた。文化財研究所は調査がほぼ終わり、返却の前に難波洋三埋蔵文化財センター長がもう一度確認したところ、この線刻画(長さ2.3cm)を発見したという。

 このニュースの記事と動画をご覧ください。ニュースですからすぐに抹消されると思います。
 難波洋三さんは松帆銅鐸でも活躍され、最近はよく報道されていますね。

 日本海側では土器や木製品にサメが描かれていることが多く、島根県出雲市の白枝(しろえだ)荒神遺跡、鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡、兵庫県豊岡市の袴狭(はかざ)遺跡などで出土している。日本海側の海岸にサメがよく流れついて身近な存在だったのでしょう。
 瀬戸内海の海岸にも寄り付く神として恵比寿様(えべっさん)が信仰されています。

 青谷上寺地遺跡については2013年1月20日投稿の「青谷上寺地遺跡展示館と因幡万葉歴史館」をご参照ください。当時の私はサメの絵には気づいていませんので、記事にしていませんが・・・
 このサメの種類を私はワニザメ(ミズザメ、長さ1m前後)と考えていますが、シュモクザメという説もあります。シュモクザメの英語名はハンマーヘッド(金槌頭)です。線刻画はそのように見えますね。
 そして古代の和珥氏(和邇)の「わに」も鰐ではなくサメと云われ、大国主・事代主の出雲族が鰐(熊鰐)の元祖と考えられます。
 弥生人は揚子江(長江)流域からこの列島にやって来ており、本物の鰐を知っているので、和珥氏(和邇)のトーテムは鰐でいいのかもしれませんね。
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by enki-eden | 2016-02-11 13:16

松帆銅鐸と「中の御堂銅鐸」

 松帆銅鐸は昨年4月に南あわじ市で7個見つかったが、そのうちの2個(2号と4号、22.4cm)が江戸時代に松帆慶野地区で出土した8個の銅鐸の一つ「中の御堂銅鐸(日光寺所有)」と同じ鋳型で作られていた。
 奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長の難波洋三氏は「中の御堂銅鐸の紐(ちゅう)の模様や胴体の鹿の絵が一致しており、鋳型を何度も使う過程でできる傷が共通している。」という。

 銅鐸は鰭(ひれ)を上下にして埋納されるが、松帆銅鐸は鰭を水平にして埋納されていた。これは松帆地区だけの特徴なのか、それとも埋納方法が決まる以前の古い方法なのか今後の研究が楽しみです。

 2月27日から兵庫県立考古博物館で松帆銅鐸が展示される予定なので、久しぶりに行ってみましょう。
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by enki-eden | 2016-02-09 01:49

貝紫色(フェニキアの紫)

 ウィキペディアによると、貝紫色(かいむらさきいろ)とは澄んだ赤みの紫で、英語名はロイヤルパープル (Royal purple)。この色がアッキガイ科の巻貝のパープル腺から得られたプルプラという分泌液を化学反応させて染色に用いたことに由来する。分泌液を取り出して日光に当てると、黄色から紫に変色し、古代紫とも呼ばれる。

 貝紫染めは3,600年前のフェニキアで始まり、「フェニキアの紫」と呼ばれ、エジプト(クレオパトラ)やローマ(シーザー)、イスラエルに伝えられた。地中海の海洋貿易民フェニキア人はこの貝紫染めやレバノン杉を交易品としていた。

 貝紫染めは東アジアではあまり見られないが、日本ではイボニシやアカニシ(アッキガイ科の巻貝)が岩礁、磯や河口などの岩の多い所で大量に生息するので食用や貝紫染めに使われた。
 佐賀県神埼郡の吉野ヶ里遺跡で発見された弥生時代の絹布に貝の色素が発見され、大量のアカニシ貝も発掘されているので、漢や魏との交易に使われた倭錦(やまとにしき)は日本茜や貝紫を使用した美しい色の錦織だったのでしょう。
 吉野ヶ里遺蹟南方の有明海ではアカニシ貝が現在でも取れます。
 テニスの錦織圭(にしこり けい)選手のご先祖は出雲国の錦織職人だったのでしょうか。名字の錦織は本来「にしこおり」と読んでいたようですが、私の知っている島根県松江市の人は「にしごおり」さんです。

 弥生時代の日本でも貝紫が使われていたとなると、海洋民のフェニキア人がローマ帝国に滅ぼされ、奴隷にされるのを免れて逃亡した一部の避難民が日本にまで来ていたのかな? フェニキア人の都市国家カルタゴは紀元前146年に滅びました。
 ユダヤ人やペルシャ人が紀元前に陸路で日本にやってきたという説もあるので、海洋民のフェニキア人なら海路で日本に来たのかもしれない。そしてフェニキアの紫を伝えたか。

 虹の色の配置でも分かるように、紫色は色の中でも最も波長の短い色で、ホルモンの安定、神経痛・精神的ストレスに効果がある色とされており、感性を豊かにし、穏やかな気分を与える心理効果がある。貝紫で染色した紫色が最もその効果が強いとされている。
 紫よりも波長の短い電磁波は紫外線で、可視光線の外にあって人間の目には見えません。

 古代のアメリカ大陸中部にも貝紫染めがあったので、フェニキア人は中南米にまで行って交易していたのかな・・・古代の中南米人はインディオとは人種が違って縄文人に近いようです。
 縄文土器がポリネシアや中南米で発見されたり、縄文人と古代中南米人の骨のDNAが似ていたりするのは、古代でもそれだけの民族移動があったのでしょう。人類(新人、ホモサピエンス)の出アフリカは約10万年前に始まり、人類は世界に広がっていきました。
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by enki-eden | 2016-02-07 10:12

針間国(はりまのくに)

 兵庫県南部において、13代成務天皇の時(4世紀中頃)に針間国、針間鴨国、赤石国(明石国)の3国が定められ、それぞれの国に首長(国造)を任じた。当地の南には幅4kmの明石海峡があり、潮流も早く、政治的、経済的、軍事的に瀬戸内航路の重要な立地にあった。

 645年の大化改新以降、針間国(飾磨郡・神崎郡・揖保郡・赤穂郡・佐用郡・宍粟郡)、針間鴨国(賀茂郡・多可郡)、明石国(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡)の3国が統一されて針間国(播磨国)になった。
   金色が針間国、赤が針間鴨国、青が明石国。
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 針間(播磨)の地名由来は、神功皇后伝承によるもの、播磨の産物に針・釣り針があるからというもの、「墾(は)り浜」が由来というものなどがあり、はっきりしない。
 全国の播磨という地名を調べると、兵庫県加古郡播磨町、神戸市中央区播磨町、大阪市阿倍野区播磨町、広島県尾道市因島重井町播磨、三重県桑名市播磨、山形県鶴岡市播磨などがある。
 いずれも「海峡に面した土地」、「海岸に近い土地」、「川に挟まれた土地」、「山に挟まれた細い盆地」などになっている。針間(播磨)は「針のように狭い海」、「針のように細長い土地」という意味でしょうか。
 奈良市針町(はりちょう)も奈良市東部の山間の小盆地になっています。

 福岡県筑紫野市にも過去に「針磨」があったらしい。現在は筑紫野市針摺(はりすり)となっている。地形を見ると、東西から山が迫り狭くなっている。古代には海峡または川だったようだ。
 この針磨(針摺)の地名が3世紀でも使われていたのであれば、魏志倭人伝の倭国の地名「巴利(はり)国」が当地かもしれない。
 赤のアイコンが針摺、黄は菅原道真が山頂で自分の無実を祈って「天満大自在天神」となった天拝山(258m)。



 針摺(はりすり)の「する」を辞書で調べると、「こする」という意味で、摺る・磨る・摩る・擦る・刷る・掏る・擂るなどと表す。「磨る(する)」は「磨く(みがく)」・「研磨」という言葉で使われる。
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by enki-eden | 2016-02-01 07:28