古代史探訪

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水尾神社(みおじんじゃ、姫路市山野井町)

兵庫県姫路市山野井町1-3  電079-291-1550  駐車場あります。
祭神 大己貴命
神徳 創業・開業・病気平癒・国造り(政治を志す人)

 姫路城西北500mの男山(57.5m)の麓に鎮座。姫路城下13町の氏神社である。
 当社は元、伊和大神を祀っていたが、29代欽明天皇26年(565年)に伊和大神を総社に移し、村民が跡地に祠を建て大己貴命を奉斎。従って播磨国総社の元宮とも云われる。
 1619年、本多忠政が姫路城築城の時、神守岡より岡大歳社を遷し社殿を造営し尊崇した。明治の神仏分離令により大歳社歳徳大明神を分離し水尾神社と改めた。

 男山中腹には千姫天満宮、頂上近くには男山八幡宮が鎮座。頂上には配水池公園があり、眺めが素晴らしい。正月に山頂に上ると姫路城から昇る初日の出を拝むことができる。



   入口の注連柱
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   日露戦捷紀念樹と砲弾
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   境内社、右から市杵嶋社(市杵島姫命)、荒神社(奥津彦命・奥津姫命)、
   大将軍社(経津主命)、武大神社(素戔嗚命・稲田姫命)。
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   拝殿
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by enki-eden | 2016-10-26 00:31

千姫天満宮(姫路市)

兵庫県姫路市山野井町433  男山の中腹に鎮座、車は麓の水尾神社横に止める。
祭神 天満大自在天神(菅原道真公)

学業成就・武道上達・恋愛成就の御利益



 千姫(1597年-1666年)は2代将軍徳川秀忠と江(ごう、織田信長の妹・お市の方の娘)の長女として山城国伏見城内の徳川屋敷で生れる。
 1603年に7才で豊臣秀頼(1593年-1615年)に嫁いで大坂城に入る。1615年の「大坂夏の陣」の後、1616年に桑名藩の本多忠刻(ただとき、1596年-1626年)に嫁ぐ。翌年本多家が播磨姫路に移封になり姫路城に入城した。千姫は播磨姫君と呼ばれるようになる。

 千姫は天神(菅原道真公)を信仰していたので、姫路城に移った後には本多家の繁栄を願い1623年に姫路城の西北500mにある男山に天満宮を建立し6枚の羽子板を奉納した。千姫は西の丸長局(ながつぼね)の廊下から朝夕この天満宮を遥拝していた。

 千姫は姫路で10年を過ごし、本多忠刻との間には勝姫と幸千代が生れたが、幸千代は3才で早世、忠刻は31才で結核のため亡くなり、姑・熊姫、母・江が次々と亡くなり、千姫は勝姫と共に江戸城に移り余生を過ごした。勝姫(1618年-1678年)は1628年に池田光政(1609年-1682年、鳥取藩主、岡山藩主)に嫁いだ。

   水尾神社の左から男山の階段を上る。
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   男山中腹に千姫天満宮が鎮座。
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   東南方向に姫路城が見える。
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by enki-eden | 2016-10-20 00:26

男山八幡宮(姫路市)

兵庫県姫路市山野井町1-3 電079-291-1550 車は男山麓の水尾神社に止める。
姫路城北西500mの播州男山鎮座の厄神さん。
祭神 応神天皇、
   息長帯姫尊(神功皇后)、
   比売大神(多岐津姫尊、市杵島姫尊、多紀理姫尊)。
御神徳 厄除開運、武運長久、安産祈願。
2月18日~19日に厄神祭が執り行われる。



 大己貴命(おほなむち)は男山に鎮座。少彦名命(すくなひこな)は姫路城のある姫山に鎮座。この二柱の神が二つの山(妹背山)を造られた。
 おほなむち すくな御神(みかみ)の つくられし 妹背の山を 見るぞ嬉しき
                               柿本人麻呂

 冬至や正月の頃に標高57.5mの男山(雄徳山)山頂に立つと、日の出が姫路城付近から昇る。山頂は男山配水池公園になっており、姫路城がよく見える。
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 7代孝霊天皇(240年頃-285年頃)と絙某弟(はえいろど)との間に生まれた皇子・若彦建命(稚武彦命、吉備氏の遠祖)が姫路城のある姫山に居館し、周囲を治めた。
 その子・長彦男命は10代崇神天皇(250年頃-318年頃)の皇女・国方姫を娶り男山に居館。この地で没す。祠を建て長彦社と称し、この山を長彦山とも云う。麓の船場川を妹背川と云った。
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 当社は1345年に赤松貞範が姫山に姫路城を築く際に、京都の石清水八幡宮から勧請され、男山に祀られた。姫路城の鎮守社として歴代城主に信仰された。
 1617年に城主の池田光政が鳥取城に移り、本多忠政が姫路城主になる。本多城主は三の丸、西の丸などを増築する。
 1716年には姫路城主・榊原政邦が当社に新社殿を寄進し、御神鏡も奉納した。現社殿は1990年に再建された。
 昔から、姫路城の姫山に対して夫婦山である男山に当社が鎮座していることから、崇敬者は城主から庶民まで「男山厄神さん」と親しまれている。

   参道にある「幸運の蛙、三福かえる」
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   石の鳥居、姫路城主の榊原政邦が1716年に寄進。
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   鳥居の左右に飛躍神馬一対(阿吽になっている)。
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   拝殿
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   本殿と境内社(白龍神)
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   境内から500m南東の姫路城を望む。
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   山頂の配水池公園から階段で一直線に降りる。
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by enki-eden | 2016-10-15 00:50

武大神社(ぶだいじんじゃ、姫路市川西)

兵庫県姫路市川西231   駐車スペース2台分あります。
祭神 須佐之男命
夢前川(ゆめさきがわ)と菅生川(すごうがわ)の合流点、神奈備山の麓に鎮座。



 祭神を5.5km北東に鎮座の廣峯神社から勧請。江戸時代には牛頭天王社とも称した。
 廣峯神社については2015年3月1日投稿の「廣峯神社①」と5日投稿の「廣峯神社②」をご参照ください。
 現在の社殿は1822年に再建、境内の広さは225坪。

   鳥居と社号標
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   拝殿
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   拝殿左に境内社
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   稲荷神社
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 当地周辺は素戔嗚系神社が多い。850m北西の飾西大年神社の祭神は大年神。そのすぐ北にある田守神社の祭神は素戔嗚命。
 当社から1km北の簔尾神社の祭神は大年神、大山咋神、倉稲魂神。850m東の安室神社の祭神は蛭子命(恵比寿)。

 当地に限らず、全国の神社の祭神は素戔嗚命(西暦140年頃-200年頃)とその血統・系統が多くを占める。それは素戔嗚が全国を治め、皇室の基礎を造ったからです。各地の豪族や庶民も素戔嗚を崇敬していた。
 ところが、記紀の完成した50年位前に「白村江の戦い」が勃発、日本は唐と新羅の連合軍に大敗した。4万人が出兵して1万人が戦死した。
 新羅と縁が深いと考えられた素戔嗚の印象は極端に悪くなり、記紀には大悪人として描かれることになる。しかし、白村江の戦いから160年過ぎた52代嵯峨天皇(786年-842年)の時代になると、間違えた感情論も消え、嵯峨天皇は「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり」と称えた。
 私見ですが、素戔嗚は江南人(倭人)の中の楚系であると考えています。列島には楚人の人口比率は低いですが、文化程度も高く武力も強かった。その最有力子孫が物部氏です。
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by enki-eden | 2016-10-10 00:10

飾西大年神社(しきさいおおとしじんじゃ、姫路市)

兵庫県姫路市飾西(しきさい)730-1   駐車場あります。
祭神 大年神(食物の豊かな稔りを守護し、家を守護する神)

 古代の飾磨郡(しかまぐん)が東西に分かれ、当地は飾西郡(しきさいぐん)と呼ばれた。

 当社は夢前川(ゆめさきがわ)と菅生川(すごうがわ)に挟まれた神奈備山の麓に鎮座。菅生川はすぐ南で夢前川に注ぎ合流する。当地域には2世紀頃からの遺跡があることから、東方の神奈備山を敬い祭祀を行ったのが当社の創祀と考えられる。
 素戔嗚と神大市姫の子である大歳(饒速日)は165年頃に出生、185年頃に大和へ東遷した。兵庫県には大歳神社(大年神社)が多く、400社近く祀られている。

 飾西には山陽道から分岐した出雲街道(美作街道)が通る。当社は飾西の氏神であるが、1905年に焼失。翌年再建され、2000年には全面改修された。
 当社の北側には飾西宿本陣の庄屋・中山助太夫が開いた顕正院妙見堂がある。



   鳥居と社号標
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   拝殿
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   本殿
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   拝殿右横に境内社の祓戸社。
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   その右横に境内社の金毘羅宮・天満宮・伯楽神社の三社。
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 神社の北に見信山妙見宮(妙見大菩薩)。1820年頃に飾西本陣の中山助太夫が開く。裏は代々の墓地となっている。入口にある「為悦衆生故 現無量神力」の意味は、「仏が衆生を悦ばしめようとして、計り知れない神通力を現した。」  
 額(妙見大菩薩)は両部額になっている。
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by enki-eden | 2016-10-05 00:58