古代史探訪

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言霊(ことだま、言魂)

 言霊を辞書で調べると、「古代人が言葉に宿っていると信じた不思議な霊力」とあり、言霊信仰では、言霊により言葉通りの事象がもたらされると信じられていた。
 古代の日本は言霊の力で幸福がもたらされる「言霊の幸(さき)わう国」と云われていた。
   磯城島の 大和の国は 言霊の 幸はう国ぞ 真幸(まさき)くありこそ
                            柿本人麻呂歌集

 古代では良い言葉を出すと良いことが起き、逆に悪い言葉を出すと悪いことが起きると考えられた。現代では言霊信仰は薄らいだものの、現代人の心にも一部は残っている。
 「お前があんなことを言ったから、こんな結果になってしまったじゃないか!」
 受験生がいるところで、落ちる、滑る、などの言葉は禁句。
 結婚式のあいさつで、別れる、切れる、などと言ってはいけない。

 現代人は合理的、科学的になったが、悪い言葉が世の中に氾濫し、心が暗くなるような事件が毎日起きている。マスコミがこれを助長する側面もある。
 国会での勢力争いも目に余るものがあり、国・県・市レベルで議会が行政の足を引っ張っている。

 言葉の霊力を信じたのは古代日本人だけでなく、紀元前6世紀のギリシャの哲学者ヘラクレイトスがロゴス(言語、法則、真理)の概念を打ち出している。やがてLogos(ロゴス)からLogic(論理学)が生まれた。
 2000年前のユダヤ人キリスト教徒はロゴス(神の言葉)を信じ、ロゴスはキリストを意味するようになった。

 人間の認識できる次元は4次元ですが、やがて異次元(5次元)が物理学的に検証されようとしています。5次元は神の世界だと私は考えていますので、霊次元(0次元)と表現しています。
 数年前に私は「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く」(リサ・ランドール博士著)という題名の分厚い難しい本を読みましたが、理論物理学者のリサ・ランドール博士は「異次元は存在する」という本も著しています。
 言霊はその異次元宇宙とつながっていると云う説があります。人間の心底からの思考・言葉・魂は異次元に通ずるのでしょう。

 一方、言霊に否定的な意見もあり、例えば作家の井沢元彦氏です。
 『言葉に霊力があるとされる言霊は、憲法9条を唱えて平和国家、平和国家と言えば外国から侵略されないという考え方に繋がる。
 外国の侵略者は日本の憲法を守る義務はないにもかかわらず、憲法さえ守れば平和になるという人が日本にいる。それは言霊の影響である
 良い言挙げ(ことあげ、言葉に出す)ならいいが、悪い言挙げは許されない。それゆえ、言葉を自由に使うことができなくなるばかりか、他人が使う言葉の自由まで侵害する連中が出てくることになる。』と主張しています。
 
 井沢氏の主張のように護憲主義者は言霊を利用しているかもしれませんが、憲法9条とアメリカの占領政策を利用して護憲主義と反日左翼イデオロギーを展開したグループにマスコミが同調して、マスコミが一般の国民に広めていったのです。

 護憲主義を支持している一般国民は反日でもなく、左翼イデオロギーでもありません。普通の生活者です。
 世論調査によると、マスコミ報道を信用している人は、アメリカ人では22%、日本人では75%です。マスコミは偏った報道をするので、アメリカの報道では記事の最後に政治的・社会的立場を記しており、その立場での主張であることが分かります。
 日本の報道では立場を明確にせず、公平性・正当性を装っており、そのまま信じ込む日本の読者が75%いると云う現実があります。
 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策の呪縛から脱却するのも大事、占領政策の一環として戦後史学によって歪められた古代史を正していくのも大事、また、戦前の皇国史観に戻らないことも大事です。
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by enki-eden | 2016-12-25 00:01

日本の安全保障政策

 古代史とは関係ありませんが、国際関係アナリストの北野幸伯氏によると、『ロシアのプーチン大統領が12月15日・16日に来日した。安倍総理との会談で、北方領土問題について具体的な進展がなかったことから、失望の声も聞かれる。
 しかし、もっと大局的視点から見れば、会談はロシアだけでなく、日本にとっても成功だったと言える。』

 私見ですが、ロシアが北方領土を日本に返還したと仮定すると、日米安保条約により米軍が駐留する可能性が極めて高くなります。駐留しなくても米軍による対ロ軍事活動は必ず発生します。
 米ロは厳しく対立しているので、ロシアが軍事的に圧倒的に不利になる北方領土返還に応ずることは決してありません。プーチン大統領は記者会見で、歯舞・色丹を返還する条約は結ばれているが、どのような形で返還するかは記されてないと発言しています。これは日本とアメリカは特別の関係にあり、歯舞・色丹に日米安保条約が適用されるのであれば返還は実行できないと云う意味です。
 日本は4島一括返還で統治権も日本に属することを主張していますが、これでは日露の立場が噛み合うことはありません。今後相当長期に亘り領土問題の進展はないでしょう。

 領土問題は重要ですが、いま日本にもっと重要なのは、日本を狙っている中国に対抗するためにアメリカとロシアを日本に引き付けておかなくてはなりません。とりわけロシアが中国一辺倒にならないように日露関係を政治的にも経済的にも軍事的にも深い関係に進めていく必要があります。
 今回はこの目的に進むスタートができたと考えられます。幸い、安倍首相は今後、プーチン大統領ともトランプ次期大統領とも親友として付き合っていける可能性は充分にあります。
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by enki-eden | 2016-12-19 12:04

角宮神社(すみのみやじんじゃ、長岡京市)

京都府長岡京市井ノ内南内畑35   車は鳥居前の公民館に停める。
祭神: 火雷神(ほのいかづちのかみ)、
    玉依姫命、
    建角身命、
    活目入彦五十狭茅尊(11代垂仁天皇)、
    春日神。

 式内名神大社「山城国乙訓郡(やましろのくにおとくにぐん) 乙訓坐火雷神社」の論社。
 山城国風土記逸文によると、賀茂建角身命の娘の玉依姫命が「瀬見の小川」で遊んでいると、火雷神が丹塗矢に化身して流れ寄り、玉依姫命が妊娠、賀茂別雷命が生まれた。
 丹塗矢はマレビトが姫に通うときの姿として表現されることがある。
 大山咋命と鴨玉依姫の子が賀茂別雷命であるので、火雷神は大山咋命のことか。
  素戔嗚命―大歳命(饒速日)―大山咋命―賀茂別雷命

 当社の6km北に松尾大社が鎮座、秦氏が大山咋命を祀っている。 2014年1月13日投稿の「松尾大社①」「松尾大社②」をご参照ください。

 松尾大社の社殿は夏至の日の出方向を向いている。その延長線上に比叡山(848m、青丸)があり、途中に下鴨神社(賀茂御祖神社、祭神は玉依姫命・賀茂建角身命、赤丸)が鎮座している。
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 26代継体天皇(531年崩御)が512年に当社を建立し火雷神を祀る。
 続日本紀の42代文武天皇(683年-707年)、大宝2年(702年)7月8日、「山背国乙訓郡にある火雷神は、雨乞いをする度に霊験がある。大幣(おおぬさ)と月次祭(つきなみさい)の幣帛(みてぐら)を奉ることにせよ。」とある。
 50代桓武天皇(737年-806年)が784年に長岡京を造り、玉依姫命、建角身命、活目入彦五十狭茅尊を合わせ祀り、角宮乙訓大明神とした。

 当社は向日山に「下ノ社」として鎮座していたが1221年の承久の乱で焼失し、1275年に向日神社(上ノ社)に合祀された。1484年に現在地に角宮神社として復興した。
 向日神社に預けられていた御神体は1883年に角宮神社に遷された。現在は長岡天満宮の宮司が角宮神社を兼務している。

  赤のアイコンが角宮神社、黄が向日神社、青が長岡天満宮。


   鳥居と社号標
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   長岡天満宮から遷された舞殿と、その前の磐座。
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   本殿、右に境内社の八幡宮(応神天皇)。
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  境内社、右から向日神社(鵜草葺不合尊)、稲荷社(倉稲魂命)、
  大神宮(天照皇太神)。
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by enki-eden | 2016-12-18 00:34

向日神社(むこうじんじゃ、向日市)

京都府向日市向日町北山65  電075-921-0217  駐車場あります。
祭神: 向日神(むかひのかみ、御歳神、五穀豊穣の神様、718年に遷座)、
    火雷神(ほのいかづちのかみ、祈雨・鎮火の神様、1275年に合祀)、
    玉依姫命(火雷神の妃神、718年に祀る)、
    神武天皇⦅皇后は御歳神(伊須氣依姫)、718年に祀る⦆。

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 5世紀中頃に賀茂氏と秦氏が当地にやって来た。両氏は26代継体天皇(531年崩御)に協力し、天皇は518年に当地に乙訓宮(おとくにのみや)を造った。
 火雷神と玉依姫命は上賀茂神社の祭神・別雷神(わけいかづちのかみ)の親神で、当地で火雷神を祀っていた賀茂氏が山城国上賀茂に移り住んだと考えられている。
   赤のアイコンが向日神社、黄が上賀茂神社。


 山城国風土記逸文によると、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘・玉依比売(たまよりひめ)が瀬見の小川(鴨川に注ぐ支流)で遊んでいると、川上から丹塗りの矢が流れてきたので持って帰ると妊娠して男の子が生まれた。名を賀茂別雷神と云う。
 賀茂建角身命が多くの豪族を集めて宴会をし、孫の賀茂別雷神に「あなたの父にお酒をあげなさい。」と云ったところ、賀茂別雷神は酒を持って屋根を突き抜け天まで昇った。それで賀茂別雷神の父は火雷神(ほのいかづちのかみ)だと分かった。火雷神が当社の主祭神です。
 2013年1月2日投稿の「盟酒(うけいざけ・父親を占いで探す)」をご参照ください。
 当社の鎮座する向日山は古代には長岡と呼ばれ、長岡の東に50代桓武天皇(737年-806年)が784年に長岡京を造った。当社の450m東に長岡宮跡(大極殿公園)や長岡京跡がある。

 向日山(山城国乙訓郡、おとくにぐん)には、向神社(上ノ社、向日神)と火雷神社(ほのいかづちじんじゃ、下ノ社、火雷神・玉依姫命・神武天皇)が鎮座していたが、1275年に向神社が火雷神社を合祀し、向日神社と改称した。

 向日神社宮司の六人部(むとべ)氏は秦氏の出身で現在95代目と云われるが、新撰姓氏録によると「山城国 神別 天孫 六人部 連 火明命之後也」とあるので海部氏・尾張氏の出身。その後、賀茂氏や秦氏と交わったのか。

 天皇に仕えていた当社宮司家の90代六人部是香(むとべよしか、1798年-1864年)は、121代孝明天皇(1831年-1867年)に国学者として進講し王政復古に力を注いだ。六人部家には坂本龍馬など勤王の志士が出入りしていた。

 火雷神は大和国葛城でも祀られている。2014年10月30投稿の「葛城坐火雷神社」をご参照ください。
 上賀茂神社については、2014年1月4日投稿の「上賀茂神社①」をご参照ください。
 向日神は500m北にある五塚原古墳(いつかはらこふん)に祀られていたが、718年に当地に遷座した。五塚原古墳は箸墓古墳の三分の一の形で、3世紀中頃から後半に築造された最古級の前方後円墳(92m)。
 くびれ部から前方部先端に向けて高さが増していく「斜路状平坦面」を持つのは全国の古墳の中でも箸墓古墳と五塚原古墳の2基だけ。
 両古墳は同じ頃に築造されたと考えられているが、五塚原古墳の方が少し前に築造されたかもしれないので、今後の調査結果が楽しみです。
 五塚原古墳の被葬者は向日神(御歳神、190年頃出生、饒速日の娘)でしょうか。それであれば、両古墳とも被葬者は女性になるが・・・

 鳥居から拝殿前まで来て後ろを振り返る。 春には「桜のトンネル」と呼ばれている。
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   勝山稲荷神社(倉稲魂命、商売繁盛)
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   元稲荷社
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   天満宮社(菅原道真公、大歳神、屋船神)
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   舞楽殿
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   拝殿
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 本殿、1418年に建造。室町時代の三間社流れ造りの代表として国の重要文化財に指定された。明治神宮の本殿は当本殿を参考にして1.5倍の大きさに造られた。
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   五社神社(大己貴神、武雷神、別雷神、磐裂神、事代主神)
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   春日神社(武甕槌神、斎主神、天津児屋根尊、姫大神)
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   御霊神社(伊邪那岐尊、伊邪那美尊)
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 当社に隣接する勝山公園には箸墓古墳と同じ時期の3世紀後半に元稲荷古墳(94mの前方後方墳)が造られた。 桂川周辺を束ねた豪族の古墳と考えられる。
 後方部は3段の50m四方の正方形、前方部は2段のハの字形、川石で覆われていた。
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 当社の3km南には乙訓郡最大規模の恵解山古墳(いげのやまこふん、墳丘長128m、全長180mの前方後円墳)が5世紀前半に築造された。
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by enki-eden | 2016-12-12 00:28

長岡天満宮(長岡京市)

京都府長岡京市天神2丁目15-13  電075-951-1025  有料駐車場あります。
祭神: 菅原道真公
「見返り天神」とも呼ばれる。 学業成就、家内安全、交通安全、書道上達。



 延暦3年(784年)、50代桓武天皇(737年-806年)が平城京から山城国乙訓郡(おとくにぐん)長岡に遷都し、長岡京を造営した。宮殿は難波宮を移築した。
 平城京で勢力を強める仏教界を遠ざけることと、皇統が天武系から天智系に移ったことを強調する狙いがあった。
 しかし、長岡において川の氾濫で大きな被害が出て、和気清麻呂(733年-799年)などの勧めにより延暦13年(794年)に平安京に遷都した。

 神社の由緒によると、長岡は菅原道真(845年-903年)が在原業平(825年-880年)らと共に、 しばしば詩歌管弦を楽しんだ縁深い地である。 周辺地は菅原家の所領であった。
 菅原道真が901年に太宰府へ左遷された時、この地に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故によって、道真公自作の木像を死後にお祀りしたのが当社の創立である。

 現在の社殿(本殿、祝詞舎、透塀)は1941年に京都の平安神宮の社殿を拝領移築したもので、正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改築し、1998年に竣工した。
 境内のキリシマツツジが咲く4月の「春の観光まつり」には観光客が多く訪れる。

 正面大鳥居(御影石製、高さ9.75m、重量50トン)、立派な両部額、社号標。
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  八条ヶ池と水上橋、1638年に八条宮智仁親王が築造。


  山上の鳥居
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 手水舎と奥に撫で牛と神牛像。
 菅原道真が太宰府に左遷の時、途中で刺客に襲われたが、荒れ狂った白牛が駆けつけて刺客から守った。
 官公が太宰府で亡くなった時、遺骸を乗せた車を曳いていた牛が途中でひれ伏して動かなくなったので、そこを墓所として、その地に太宰府天満宮が建てられた。
 このような事跡で牛が官公の神使いとなっている。
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   拝殿
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   拝殿前の牛の石像
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   拝殿前の筆塚
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   本殿(三間社流れ造り)
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 境内社
 右が八幡宮社(応神天皇、比売大神、息長帯比売命)
 左が春日神社(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)
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 右は山神社(大山祇神)、左は龍神社(松尾竜神・菅竜神)
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 稲荷神社(倉稲魂神、猿田彦命、大宮女神)
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by enki-eden | 2016-12-07 00:24

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市)

やわたのはちまんさん、旧称は男山八幡宮。
京都府八幡(やわた)市八幡高坊(やわたたかぼう)30  電075-981-3001
山裾(下院)と山上(上院)に駐車場があります。
電車を利用すると、京阪電車の八幡市駅前から男山ケーブルで山上まで行けます。

祭神は八幡大神(はちまんおおかみ)で、
中御前に応神天皇(誉田別尊、ほんだわけのみこと)、
東御前に神功皇后(息長帯比売命、おきながたらしひめのみこと)、
西御前に比咩大神(ひめおおかみ、宗像三女神)、
(多紀理毘売命、たぎりひめのみこと)、
(市寸島姫命、いちきしまひめのみこと)、
(多岐津毘売命、たぎつひめのみこと)。
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 創建は860年、56代清和天皇(850年-881年、清和源氏の祖)の命によって八幡造りの社殿が造営され、八幡宮総本社の宇佐神宮から勧請された。
 清和天皇は第四皇子であったが、母が太政大臣藤原良房の娘・明子で、藤原氏の権力により生後8か月で立太子、9才で即位した。しかし27才になると皇子の陽成天皇(9才)に譲位、その後仏門に入る。子沢山だったので臣籍降下により清和源氏が派生し、300年後の鎌倉幕府へとつながっていく。

 石清水八幡宮は創建以来、平安京の裏鬼門(西南)を守護する王城鎮護の神で、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として皇室に崇敬され、武運長久の神として清和源氏をはじめ全国の武士に信仰されてきた。宇佐神宮、筥崎宮とともに日本三大八幡宮とされる。

 また、元日の朝、宮中の四方拝において、天皇が遥拝される天皇陵や神社など12ヵ所の中に石清水八幡宮が入っている。

 13世紀の元寇の時、当社境内から打たれた矢が元軍に襲いかかり撃退したので、「国家鎮護・厄除け開運」の神様として信仰されている。その他、必勝、交通安全、安産、病気平癒、商売繁盛。

 当社の鎮座する男山(143m)は都からみて裏鬼門に位置し、鬼門に位置する比叡山延暦寺と共に都の守護、国家鎮護の社として崇敬を受けてきた。
 56代清和天皇の嫡流である源氏は八幡大神を氏神として尊崇し、源頼義(998年-1082年)は宇佐神宮から勧請して壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)を河内源氏の氏神とした。
 頼義の子の源義家(1038年-1106年)は石清水八幡宮で元服し「八幡太郎義家」と名乗った。
 源義朝(1123年-1160年)は都から東国に下向し、子の頼朝(1147年-1199年)と鶴岡八幡宮を鎌倉に造営、更に全国に八幡大神を勧請していった。

 石清水八幡宮の現社殿は1634年に3代将軍・徳川家光(1604年-1651年)の修造によるもので、境内16棟が国の重要文化財に指定された。その内、本社10棟が国宝に指定された。

   三の鳥居
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 一ツ石、かつては競馬の出発地点であり、「勝負石」とも呼ばれる勝運の石。現在はお百度参りの地点ともされる。
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   参道の灯篭
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   手前から、手水舎、供御所、南総門。
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 供御所に末社の竈神殿(そうじんでん)が鎮座。祭神は迦具土神、彌都波能売神(みづはのめのかみ)、奥津日子神、奥津比売神、ご神徳は台所守護。
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   拝殿
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   神鳩が向き合って八幡の八を象っている。
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   拝殿内
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   本殿昇殿口
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 鬼門封じ。
 鬼門の方角(東北)を封じるために、社殿の東北の石垣を斜めに切り取った造りになっている。
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 信長塀。
 織田信長(1534年-1582年)が1580年に寄進した塀で、瓦と土を幾重にも重ね、耐火性、耐久性に優れており、本殿を囲むように築かれている。
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  摂社の水若宮社(祭神は宇治稚郎子命、良縁成就)と
  左には末社の氣比社(祭神は氣比大神、必勝)。
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 摂社の若宮殿社(祭神は応神天皇の皇女で女性の守護神、心身健康・祈願成就)
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 摂社の若宮社(祭神は16代仁徳天皇で男性の守護神、祈願成就・学業成就)
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 右に末社の貴船社(高龗神、たかおかみのかみ、雨乞水乞)と
 左に龍田社(級津彦命・級津媛命、航海安全・五穀豊穣)、その左は北総門。
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 右が末社の一童社(磯良命、漁業安全繁栄)と
 左が摂社の住吉社(底筒男命、中筒男命、表筒男命、海上安全・交通安全)、
 後方に校倉(あぜくら)。
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 右に末社の廣田社(天照大御神、勝運)、
 中央に生田社(稚日女命、心身健康・長寿)、
 左に長田社(事代主命、商売繁盛)、後方に西総門。
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 楠正成公(1294年-1336年)が1334年に必勝祈願の際に奉納した2本の楠木で樹齢700年の神木。京都府指定天然記念物。
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  末社の三女神社(宗像三女神、ご神徳は運輸・流通の安全)
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 エジソン記念碑(エジソンと男山の竹、記念碑の後方にも竹林が見える)
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 エジソンが発明した白熱灯のフィラメントに石清水八幡宮境内の真竹を使った。この竹を使用した電球は平均1,000時間以上も輝き続けた。その後セルローズによるフィラメントが発明され日本の竹は使われなくなってしまうが、それまでの十数年間、日本の竹がはるかアメリカの家庭や職場、街頭を明るく照らしていた。
 エジソンと日本、そして男山との深い縁を踏まえ、1934年に石清水八幡宮隣接地に「エジソン記念碑」が建立された。そして1958年には当宮境内に記念碑が移転され、さらに記念碑建立50年に当たる1984年に、デザインを一新し建て替えられた。
 エジソンの令嬢スローン夫人は昭和39年に当宮を訪れ、「これほど立派な記念碑はアメリカでも見たことがない」と感激された。
 当宮では、世界の発明王の遺徳を偲び、毎年エジソンの誕生日である2月11日にエジソン生誕祭、命日である10月18日にエジソン碑前祭を斎行し、記念碑前に日米両国の国歌を奉奏し、国旗を掲揚している。
 受験合格祈願の学生に人気がある。

 男山の麓(下院)には一の鳥居、頓宮殿、高良社、二の鳥居などがある。
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by enki-eden | 2016-12-02 00:46