古代史探訪

enkieden.exblog.jp
ブログトップ

<   2017年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

猪名野神社(いなのじんじゃ、伊丹市)

兵庫県伊丹市宮ノ前3丁目6-4  電072-782-2704  無料駐車場あります。
祭神 猪名野坐大神(建速須佐之男命)

    誉田別尊(15代応神天皇)


当社の元宮は、7世紀半ばに猪名寺村(尼崎市)の猪名寺境内に建立されたが、60代醍醐天皇(885年-930年)の904年に猪名寺の元宮から当地に遷座した。

織田信長(1534年-1582年)の軍勢が、1578年に信長に対して反旗を翻した荒木摂津守村重(1535年-1586年)の有岡城(伊丹城)攻撃時に猪名寺は焼失したと考えられる。荒木村重は逃亡し、最後には出家して茶人となったが52才で亡くなった。

猪名寺は廃寺となったので法園寺(尼崎市猪名寺1丁目31-45)が継承している。猪名野神社の元宮は法園寺本堂右に現存しており、御旅所となっている。


赤のアイコンが猪名野神社、黄が法園寺


当社は神仏習合時には野ノ宮(天王ノ宮)と称したが、明治の神仏分離令により仏教関係を130m南の金剛院に移した。そして野ノ宮を猪名野神社と改称し伊丹郷町の氏神となった。

猪名野神社と同名の神社が伊丹市寺本2-81にもあるが、祭神は高皇産霊尊になっている。

伊丹は摂津国猪名川上流にあり、戦国時代には荒木村重の城下町となった。当社の立地は有岡城惣構(そうがまえ、東西800m、南北1700m)の北端に位置しており、「岸の砦」があった。境内に岸の砦の土塁跡と堀跡が今でも残っている。

伊丹の清酒の製法(鴻池流)は三段仕込みで効率がよく、大量生産できるので全国に製法が普及した。それで伊丹では「伊丹が清酒の発祥地」とみなしている。

鴻池村で清酒の醸造を始めた鴻池家は大坂に進出して醸造業を営み、海運業や両替商に転じ、江戸時代最大の財閥になった。

鴻池家は明治以降には第十三国立銀行を設立したが、普通銀行に転換し鴻池銀行となる。後に合併で三和銀行となった。現在は三菱東京UFJ銀行となっている。

   鳥居と社号標、神額は美しい両部額になっている。

d0287413_13364548.jpg

   拝殿、伊丹市は「清酒発祥の地」とされ、酒樽奉納が多い。

d0287413_13372900.jpg

d0287413_13380341.jpg

d0287413_13382850.jpg

   本殿、工事中。

d0287413_13390112.jpg

   大地主神社(大国主神)、恵比須。

d0287413_13393148.jpg

   稲荷神社(宇迦能御魂神)

d0287413_13395986.jpg



   神明神社(天照皇大神)

d0287413_13405829.jpg

相殿社(貴布弥神社、塞神社、祓戸神社、熊野神社、五桂皇子神社、
      立田神社)

d0287413_13414197.jpg

   愛宕神社(火之迦具土神)

d0287413_13420597.jpg

   佐田彦神社(大山祇命、佐田彦命、宮比売)

d0287413_13422855.jpg

 厳島神社(佐依毘売命、市杵島姫尊、多紀理毘売命、金山彦命、
         多紀都毘売命)

 市杵島姫尊だけ「命」ではなく「尊」の敬称を使っているのは意味がありそう・・・

d0287413_13431299.jpg

   天満神社(菅原道真公)

d0287413_13434174.jpg

   新宮神社(天児屋根命、大山咋命、三筒男之命)

d0287413_13440803.jpg

有岡城(伊丹城)惣構北端の「岸の砦跡」

d0287413_13443334.jpg


[PR]
by enki-eden | 2017-02-24 00:20

川西市文化財資料館

兵庫県川西市南花屋敷2丁目13-10  電072-757-8624  
無料駐車場あります。
鴨神社の250m西南にあり、入場無料です。


 当資料館は1993年に加茂遺跡内に開館した。川西市の遺跡から出土した文化財を整理、収蔵、展示をしている。展示品には、栄根遺跡(さかねいせき)出土の栄根銅鐸レプリカと奈良時代の墨壺、勝福寺古墳出土の画文帯同向式神獣鏡などがある。



資料館の説明によると、

『加茂遺跡は、川西市南部の加茂1丁目、南花屋敷2丁目・3丁目に広がる旧石器時代から平安時代にかけての遺跡です。

大正4年(1915年)、笠井新也氏によって多量の弥生土器・石器が発見されて以来有名になり、昭和11年(1936年)には採集資料を展示した宮川石器館が地元に開館しました。

その後の発掘調査では、およそ2千年前の弥生時代中期に近畿地方を代表する約20ヘクタールもの大規模集落に発展することがわかり、平成12年(2000年)には集落中心部が国の史跡に指定されました。また、居住区・墓地等の集落構造、防御のための環濠、集落を束ねる首長の住居と思われる大型建物等も明らかになってきています。』

栄根遺跡航空写真

d0287413_19463289.jpg

縄文時代の土器

d0287413_19473993.jpg

加茂遺跡出土の石器。縄文時代晩期の石冠(せっかん)で、呪術・儀式に使ったか。出土分布の最も西にあたる。形から判断すると性に関する儀式のようだ。

d0287413_19481272.jpg

  加茂遺跡出土の弥生時代初期・中期の土器

d0287413_19483677.jpg

加茂遺跡の西部には方形周溝墓群があり、環濠の外に造られている。環濠の中に墓が1基あり、他よりも大きいので、ムラの首長の墓と考えられる。埋葬される様子をイメージした模型。

d0287413_19490159.jpg

 弥生時代中期の加茂遺跡の銅鐸祭祀をイメージした模型。

d0287413_19501361.jpg

2世紀から3世紀の弥生時代後期になると、川西では加茂遺跡の大集落が急に小さくなり、かわって栄根・下加茂(したかも)・小戸(おおべ)遺跡などの集落が続き、北部に新たな集落が現れ、社会が大きく変化していった。

1800年前の栄根銅鐸(レプリカ)、原品は東京国立博物館所蔵になっている。高さ114cm、明治44年(1911年)加茂遺跡の東側崖下(加茂1丁目)で出土した。

弥生時代末期には銅鐸が巨大化し、栄根銅鐸は全国でも5、6番目の大きさとなる。

d0287413_19505328.jpg

6世紀初めの勝福寺古墳(しょうふくじこふん)築造時のイメージ模型。全長40mの前方後円墳で後円部に横穴式石室が2基、前方部に木棺が2基設けられていた。

墳丘上には円筒埴輪や形象埴輪が並び、川西南部を治めた首長と親族の古墳。

d0287413_19511633.jpg

後円部の第1石室は、玄室幅2.3m、全長9mの右片袖式横穴式で画文帯神獣鏡・六鈴鏡・銀象嵌竜文刀・馬具などの副葬品が出土した。

2石室は玄室幅1.4m、現存長2.5mの横穴式で、多数の須恵器などが出土した。

d0287413_19514001.jpg

d0287413_19520106.jpg

d0287413_19522328.jpg

d0287413_19524281.jpg

d0287413_19530979.jpg

展示室の中央に木舟。栄根遺跡の古墳時代河川跡から出土、針葉樹の幹を刳り貫いた幅50cm、長さ4.3mの木舟で、運搬用に使用していたが、6世紀の洪水で埋没したと考えられる。

d0287413_19534264.jpg


[PR]
by enki-eden | 2017-02-17 00:28

鴨神社(川西市)

兵庫県川西市加茂1丁目4-2  電072-759-4206  無料駐車場あります。
祭神 別雷神(わけいかづちのみこと)
    別雷神は加茂地区に住む鴨族の祖神で、
    京都上賀茂神社の賀茂別雷神と同じ神様。

摂津国川辺郡(かわべぐん)の式内社。
厄除け(やくよけ)、災難除け、方除け(かたよけ)、家内安全、心願成就、
商売繁盛など。

d0287413_17133117.jpg

猪名川西岸台地(標高20m~45m)にある弥生時代から平安時代までの加茂遺跡の中に当社は鎮座(標高42m)。当社境内からも住居跡が4棟発掘された。猪名川周辺には古墳も多い。

1911年に加茂遺跡の東の斜面に埋納されていた大型の銅鐸(114cm)は栄根銅鐸(さかねどうたく)と名づけられた。当社と猪名川の間にある地名は川西市栄根(さかね)という。

鳥居から参道へ、境内は4,000坪と広い。春は桜の名所となる。

d0287413_17182899.jpg

参道途中の左に磐座の修祓所

d0287413_17191794.jpg

拝殿、阪神淡路大震災で被災し、社殿はコンクリート造りに替わった。参拝した日は七五三詣りで賑わっていた。菊の花が美しい。神紋は立三葉葵。

d0287413_17195638.jpg

d0287413_17203834.jpg

d0287413_17211013.jpg

本殿、

右に春日神社(手力雄命)・天照皇大神社(日若宮尊)・
    愛宕神社(天香具土神)。

その奥に多賀神社(大国主神)・荒神社(天香具土神)・
    熊野神社(伊弉諾尊)。

d0287413_17241608.jpg

本殿左に稲荷神社(大月姫命)・八幡神社(応神天皇)・松尾神社(八十神)。

d0287413_17244862.jpg

その左に延寿社(えんじゅしゃ、伊邪那岐命・伊邪那美命)。

d0287413_17251441.jpg

鳥居の奥に加茂遺跡(国の史跡)の石碑

d0287413_17253869.jpg

d0287413_17260168.jpg

加茂遺跡は標高40mほどの台地にあり、鴨神社を中心に200m四方に存在、旧石器時代から平安時代に至る長期間の集落跡。

弥生時代中期(2000年前)には大規模集落(東西800m、南北400m)が営まれていた。500人ほどが住んでいたと考えられている。

明治44年(1911年)に大型の栄根銅鐸(さかねどうたく)が出土し、大正から昭和にかけて多数の弥生式土器と石器が出土した。

1992年に鴨神社の裏手より古代首長の館跡、防護用土塁・柵跡が発掘され、2000年に加茂遺跡として国の史跡に指定された。

鴨神社は加茂遺跡の中心に位置し、ここは古代の地域集落の安全や五穀豊穣を願う祈りの場であったと考えられる。

次回の投稿は出土した大型の銅鐸や遺物を展示している川西文化財資料館をご案内します。

 鴨神社に参拝した後、近くの有名な手打ちうどん・そば処「てん川」でカレーうどんを頂きました。おいしかったですよ!

従業員のきびきびとした動きにも感心しました。


[PR]
by enki-eden | 2017-02-09 00:02

松尾神社(宝塚市)

兵庫県宝塚市山本東1丁目9-1  電0797-89-8725  無料駐車場あります。
祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)、
   坂上田村麻呂公(さかのうえのたむらまろこう)。
旧・川辺郡山本村の産土神で、開運厄除・産業発展・醸造・治山治水の神として崇敬されている。



 坂上田村麻呂(758年-811年)を祖とする坂上党武家団の頭梁・坂上頼次(7代目)は、清和源氏の源満仲(912年-997年)により、当地の山本郷守護に任じられ、摂津源氏の体制造りに加わった。坂上氏は摂津源氏の家臣となった。
 摂津源氏から河内源氏が派生し、河内源氏は源頼朝(1147年-1199年)の鎌倉幕府へと発展していく。

 坂上頼次が坂上季長と坂上季猛(すえたけ、950年頃-1022年頃)親子を山本に呼び寄せ、摂津源氏家臣団に武術の指導をさせた。坂上季猛は渡辺綱(953年-1025年)、坂田金時(金太郎、956年-1012年)、碓井貞光(954年頃-1021年)と共に源頼光に仕え、源氏四天王と呼ばれた。

 969年頃に坂上季猛は当地に先祖の征夷大将軍・坂上田村麻呂公の遺品を奉納し当社を創建、山本郷の産土社とし天下平治を祈願した。当社の神紋は坂上氏と同じ「抱き柏」である。

 渡来人の東漢氏(やまとのあやうじ)の祖・阿智王から8代目の坂上苅田麻呂(かりたまろ、728年-786年)が山城国松尾大社に祈り得た子が坂上田村麻呂なので、幼名を松尾丸と名付けた。それで、当社の創建時には将軍宮、松尾丸社と称した。
 続日本紀によると、坂上苅田麻呂が「後漢霊帝(156年-187年)の曾孫・阿智王の子孫である」と上表している。

 坂上氏は新撰姓氏録によると、
 「右京 諸藩 漢 坂上 大宿禰 出自後漢霊帝男延王也」、
 「摂津国 諸藩 漢 石占 忌寸 坂上大宿禰同祖 阿智王之後也」とある。

 当社は将軍家の祖神として崇敬されが、源頼朝の信仰が特に篤く、将軍交代時には守護弓として新製弓を献上した。1177年に山本庄が松尾大社に寄進されたので松尾大社の大山咋命を勧請した。松尾大社については、2014年1月13日投稿の「松尾大社①」をご覧ください。

 塩川伯耆守国満が織田信長(1534年-1582年)の配下に入り、天正年間(1573年~1593年)に山本郷を襲い、当社をはじめ村は炎上、坂上氏は武装放棄させられた。戦国時代には多くの寺社が被害を受けている。
 坂上氏は16世紀中頃から山本氏を名乗り、先祖の時代から植木を栽培していたので、武装放棄させられてからは園芸を本業とした。
 当地周辺では造園業・園芸業が盛んになり現在まで続いている。大坂城、聚楽第、伏見桃山城などの庭園は山本の園芸職人が多く作庭した。
 坂上氏の中には、武士として復任し豊臣家旗本になった者も僅かにいる。

 当社は17世紀初めに現在地に復活し、松尾神社と称した。当社(東の宮さん)と600m西の天満神社(西の宮さん)は関係が深い。

  神社入り口と右手に薬師堂(薬師如来)。
  境内の「田村の森」は自然環境保全地区に指定されている。
d0287413_19454197.jpg

  階段を登ると赤い両部鳥居、奥に拝殿。
d0287413_19455810.jpg

  拝殿、1988年に改築された。
d0287413_19461652.jpg

d0287413_19462564.jpg

 1988年に改築された覆殿、この中に1671年に再興された本殿(宝塚市の指定文化財)が鎮座。
d0287413_19464268.jpg

  拝殿横に神輿
d0287413_19465553.jpg

  末社の猿田彦神社(猿田彦命)
d0287413_19471461.jpg

[PR]
by enki-eden | 2017-02-02 00:37