古代史探訪

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岡本八幡神社(神戸市東灘区)

兵庫県神戸市東灘区岡本6丁目10-1  電078-452-0796  駐車スペースはあります。
祭神 応神天皇(誉田別尊)、神功皇后(氣長足姫尊)。
厄除け開運の厄神宮

 神戸市には神功皇后(321年-389年)由来の神社が多く、伝承は363年の新羅遠征関連が多い。
当社の創建ははっきりしないが、1192年に鎌倉幕府が開かれ、源氏の勢いにあやかろうと源氏の氏神である八幡神を村の高台に祀ったと云われる。



   石の鳥居
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   急な階段を登ると拝殿
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   本殿
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   絵馬は「しゃもじ」になっている。
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 当地岡本は古くから「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と云われ梅の名所であったが、1938年の阪神大水害、1945年の神戸大空襲、戦後の高度成長期の住宅開発により、美しい梅林は失われてしまった。
 しかし、1982年に住民の要望に応えて神戸市が「岡本梅林公園」を整備した。その後も整備・拡充され、園内には紅梅、白梅、しだれ梅など200本の梅の木が植えられている。
 その中には太宰府天満宮から贈られた菅原道真公ゆかりの「飛び梅」もある。飛び梅については、2016年4月7日投稿の「太宰府天満宮の飛び梅ちぎり」をご参照ください。

 当社は阪急電鉄「岡本駅」の北500mほどにあり、周辺は六甲山の南麓地区で坂道の街になっているが、住宅地としての人気は非常に高く、豪邸も多い。
 すぐ東に天上川が流れており、春は梅の名所のようだ。
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by enki-eden | 2017-07-25 00:15

魚崎八幡宮神社(うおざきはちまんぐうじんじゃ、神戸市)

兵庫県神戸市東灘区魚崎南町3丁目19-18  電078-411-1617
                    無料駐車場あります。

祭神 八幡大神(15代応神天皇)、
   春日大神、
   八衢比古神(やちまたひこのかみ、道路を守る神)、八衢比売神、
   天照皇大神(あまてらしますすめおおかみ)、
   久那戸大神(くなとのおおかみ、縁結び・安産の神)。

 当地の魚崎は酒造りの灘五郷の一つで、地名を元は五百崎(いおざき)と称していた。神功皇后(321年-389年)が新羅遠征の際、この浜に500艘の船を集結して船出したことにより地名を五百崎とした。それが魚崎と変化してきた。
 江戸時代の魚崎村は住吉村の本住吉神社を氏神としていたが、明治になって魚崎八幡宮神社を氏神とするようになった。
 本住吉神社については、2015年9月28日投稿の「本住吉神社」をご参照ください。
   赤のアイコンが魚崎八幡宮神社、黄が本住吉神社。


   
   西の赤い大鳥居
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   東の石の鳥居
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   入口は東西で、社殿は南向き。
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    本殿
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 拝殿前に白髭(しらひげ)稲荷神社、祭神は八柱の稲荷大明神。
 主神は白髭稲荷大明神で一願成就の霊験がある。
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 東の鳥居横に遺跡「神依松」の切り株がある。この松は新羅遠征から凱旋(363年)してきた神功皇后の船がこれより先に進むことができなくなったので、五百崎(魚崎)の浜の大松に船の鞆綱を繋いで神功皇后が占ったところ、船に祀っている神の御誨(お告げ)があった。

 神功皇后はその御誨に従って、天照大神の荒魂を広田(西宮市の廣田神社)に、稚日売神を生田(神戸市中央区の生田神社)に、事代主神を長田(神戸市長田区の長田神社)に、住吉神を渟名椋長岡(大阪市の住吉大社、又は神戸市東灘区の本住吉神社)に祀った。それで船は無事に航海を続けることができた。

 鞆綱を繋いだ松は人々が神功皇后の大御形見としていたがやがて枯れてしまった。この松を「神依りの松」と云う。神依りの松の傍らに神籬をたてて八幡大神を祀り、五百神社と称したのが当社の始まりと云う。
 その後、天照皇大神と春日大神を合祀したと云う。
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   松尾神社(大山咋神、酒造りの神)
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 当社の元の祭神は素戔嗚尊であったが八幡大神に替わったと云う説がある。八幡大神とは応神天皇であるが、八幡大神は元々は素戔嗚尊だったと云う説もある。
 宇佐八幡宮の祭神は比売大神・応神天皇・神功皇后であるが、元々は素戔嗚尊と比売大神だったのかもしれない。神社の祭神は入れ替わることがある。
 又、元々の八幡大神は天火明命であると云う説もある。
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by enki-eden | 2017-07-17 00:15

宗像・沖ノ島、世界遺産に一括登録

 ユネスコの世界遺産委員会は7月8日(土)、福岡県宗像市の沖ノ島など8つの史跡全てを一括して世界文化遺産に登録することを決めた。

 「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、福岡県宗像市の沖ノ島と3つの岩礁、本土の宗像大社、宗像市の西隣の福津市にある新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群など8つの国指定史跡で構成する。
 宗像大社は、沖ノ島を神体とする沖津宮、大島の中津宮、本土の辺津宮(へつのみや)からなる。沖ノ島は本土から60km離れており、周囲4kmの孤島である。



 沖ノ島については、2014年2月26日投稿の「沖ノ島の祭祀」をご参照ください。
 福津市の新原・奴山古墳群は5世紀から6世紀にかけて築造され、宗像氏の墳墓と云われるが、異説もある。津屋崎古墳群の一角で、対馬見山(つしまみやま、243m)の北2kmにある。対馬見山からは大島(中津宮)が眼前に見渡せる。
 新原・奴山古墳群は前方後円墳が5基、方墳が1基、円墳が35基現存、開発により失われた古墳が18基あった。
 新原・奴山古墳群は古代の海岸沿いにあり、大島との繋がりを重視されて選ばれたようだ。

 宗像国(宗像市)は大国主命が九州の本拠地としていたところで、隣国の刺国(さしくに、福津市津屋崎)は大国主命の母・刺国若比売の国であった。両国を合わせて宗刺国・胸刺国(むなさしのくに)と云われ、つながりが深く、関東に移動して武蔵国(むさしのくに)と名付けられたと考えられる。

 沖ノ島などを事前審査をしたユネスコの諮問機関が5月に、本土側の宗像大社など4つを除外するよう求めたが、日本側の熱心な説得活動もあり、全てが一括登録となった。これで日本の世界遺産は文化遺産が17件、自然遺産が4件となる。
 
 沖ノ島は宗像と朝鮮半島の間にあり、4世紀から9世紀の外洋航路安全や交流成就を祈る国家的祭祀が行われた。
 女人禁制や入島制限が守られ、古代祭祀の変遷を示す遺跡がそのままの形で残っている。奉献品約8万点が出土し、「海の正倉院」と呼ばれている。

 考古学者の石野博信先生は、沖ノ島の国家的祭祀は戦勝祈願も重要だったのではないかと云われている。4世紀末から5世紀末にかけて倭・高句麗戦争があり、その後も日本は百済と同盟を結び、高句麗・新羅とは基本的に敵対関係にあった。
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by enki-eden | 2017-07-11 14:23

鷺森八幡神社(さぎのもりはちまんじんじゃ、神戸市東灘区)

兵庫県神戸市東灘区本山北町6丁目2-28  電078-411-5135(保久良神社)
有料駐車場(北畑会館)があります。

鷺の宮、産宮とも云われ、安産の神様としても崇敬されている。
明治時代に保久良神社の御旅所(境外末社)になっている。

祭神  天照皇大神、八幡大神、春日大神。
    明治40年に熊野神社、古山神社、山神社、賽神社が合祀された。
    熊野大神、高倉下命(たかくらじのみこと)、
    稲田宮主命(いなだのみやぬしのみこと)、
    八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神、
    大山津見命(おおやまづみのみこと)、
    具莫戸神(くなどのかみ)。



 現在の神社周辺は住宅街になっているが、昔は「鷺の森」と呼ばれる森であった。宅地開発で森は切り開かれ、神社境内のケヤキ1本だけが残った。
 このケヤキは高さ16m、樹齢800年の大木で神戸市の天然記念物に指定されている。

   鳥居の横にケヤキの大木
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   拝殿
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   本殿
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   拝殿左に稲荷神社(玉崎稲荷と鷺玉稲荷)
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by enki-eden | 2017-07-10 00:19

保久良神社(ほくらじんじゃ、神戸市東灘区)

兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680  電078-451-9435  駐車場なし。
祭神 須佐之男命、
   大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、
   大国主命、
   椎根津彦命。
ご神徳 水難除け、海上安全、厄災除け、病魔退散。

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 中世には「天王宮」とも称し、江戸時代には「牛頭天王社」と称した。
 六甲山系金鳥山(338m)中腹の保久良山(185m)に鎮座。椎根津彦命が須佐之男命・大歳御祖命・大国主命を祀ったと云う。
 椎根津彦の系図は、天火明→天香語山→天村雲→椎根津彦(倭宿禰・珍彦・大和国造)で、椎根津彦は西暦185年頃に生まれ、初代神武天皇(181年-248年)の東遷(204年開始)に大きく貢献し、大和国造の祖となった。

 根津彦命は保久良神社の南方にある神戸市東灘区の浜に青亀(おうぎ)の背に乗って漂着したという伝承があり、それが東灘区青木(おおぎ)の地名となった。青亀は青い舟のことか。
   赤のアイコンが保久良神社、黄が青木


 神功皇后(321年-389年)が新羅遠征(363年)の戦利武器を当社に収めたと云われる。また、椎根津彦の子孫で769年に大和連を賜った倉人水守が当社の祭祀をしていた。

 「ほくら」の社名由来は神社の説明では、「神霊(ひ)を集めた場(倉、くら)」→「ひくら」→「ほくら」としている。また、椎根津彦は社頭にかがり火を焚いて村人に提供したり海上交通安全を図ったので、火種(ひだね)を保持する庫・倉が由来で火倉(ほくら)の社名になったとも云う。
 私見ですが、弥生時代の当地が高地性集落だったので、「烽火(のろし)の山=火倉(ほくら)」かもしれないと考えています。六甲山南麓の高地性集落については、2013年7月31日投稿の「摂津国の考古学」をご参照ください。

 曲がりくねった急な山坂をやっと登りきると、眼下に神戸の街と大阪湾が見渡せる。
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 鳥居と社号標、左には椎根津彦命が亀に乗った像が大阪湾を指さしている。
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 鳥居の前には灯篭があり、瀬戸内海から大阪湾を航行する船の航海安全を祈るご神灯を焚いており、「灘の一つ火」と云われている。
 現在では電灯の灯篭に変わっているが毎夜点灯されている。「灘の一つ火」は古謡にも歌われ航海安全の信仰が篤い。
     沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや
  
 鳥居を過ぎて振り返ると「灘の一つ火(灯篭)」が行き交う船に灯台の役目をしている。
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   拝殿
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   拝殿左手前に「立岩(たていわ)」
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   末社の祓御神社(天照皇大神と春日大神)
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   遥拝所(小さな磐座)
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   本殿裏の磐座
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   本殿裏の大きな岩座「神生岩(かみなりいわ)」
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 境内には「立岩(たていわ)」と云われる大きな岩がたくさんある。
 これは神様に祈るために立て起こした祈願岩で、「磐座(いわくら)」・「磐境(いわさか)」などと呼ばれる。渦巻き状に配置された磐座群の中心の岩は本殿北裏の岩になっている。
 古代人は大きな岩に常世(とこよ)の国より神様をお招きして、繁栄・安全を祈願した。この神聖な場所は「古代祭祀遺跡地」と呼ばれている。
 祭祀跡から出土した土器破片や石器により、紀元前3世紀の弥生時代から当地「ほくら」で磐座祭祀をしていたことが分かる。20cmの銅戈が出土しており、国の重要文化財に指定されている。
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   保久良梅林
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by enki-eden | 2017-07-02 00:04