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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


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熊野神社(加東市)

兵庫県加東市(かとうし)山国(やまくに)1445   無料駐車場あります。  

      

祭神 伊弉册命(いざなみのみこと)

      

神社から西を望む。

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境内

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入口、後方には百度石と舞殿。

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舞殿

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境内右(東)に立派なモチノ木。

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モチノ木から境内を望む。

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手水舎と神庫。

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拝殿

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「大権現」の神額、元文2年(1738年)奉納。

神仏習合の江戸時代には「熊野大権現」と称していたのでしょう。

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八坂神社、

祭神は牛頭天王(ごずてんのう)から素盞嗚尊(すさのおのみこと、140年頃‐200年)に変えたか。

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小さな祠。

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境内社、奉献者は「丹羽若狭守家臣 小川藤蔵源義果」。

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境内の森。

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 印南 神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-04-10 09:24

 富士王朝(ふじおうちょう)は神武天皇(181年‐248年)より前の時代に富士山麓に存在したと云う王朝で、偽書とされる宮下文書(富士古文献)に9,000年前からの歴史として記されている。

 宮下文書は山梨県富士吉田市の小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)宮司の宮下家に伝わる古文書で、明治16年(1883年)に宮下家で発見されたと云う。

 小室浅間神社の現在の宮司は宮下重範氏で、主祭神は木花咲耶姫命、ご神体は富士山。

 宮下文書には富士山麓の「富士高天原王朝」の伝承があり、秦の始皇帝(BC259年‐BC210年)の命により日本にやってきた徐福が記録したとある。

 日本各地に徐福伝説があるが、私は今でも徐福は日本に来なかったと考えているので、徐福は宮下文書の筆者ではないと考えている。

 宮下家の遠祖に徐福がいるのかもしれない。「応神天皇の時に秦氏が渡来」したので秦氏の先祖に徐福がいるかもしれない。

 宮下文書には富士山の噴火についての記述が多いので、富士山周辺地域の伝承を集めて編纂した可能性がある。

 宮下文書は数千年の長期に亘る歴史書なので、それぞれの時代毎に多くの筆者がいると考えられる。

 神々の系譜については、神代系譜、応神天皇系譜、武内宿禰系譜、秦徐福系譜がある。

 富士高天原の古図なども掲載されている。

 第一神朝時代の話がペルシャの北西とトルコの東端との境にあるアララト山(5,137m)で9,000年前から始まり、最初の神の名は「天之峰火雄神(あめのほほおのかみ)」と云うが、旧約聖書のノア(4,300年ほど前)に対応するのかもしれない。

 しかし、両者の時代は全く異なるが「倍年」と見れば9,000年は4,500年だから時代が合っているのかもしれない。

 第一、第二神朝時代が終わりペルシャ北方を去るまでに2,600年ほど(実際には1,300年ほど)が経過したと云う。

 

 6,000年ほど前(実際には3,000年ほど前)に神々は世界中に別れていった。日本の富士山麓にやって来たのは高皇産霊神(たかみむすひのかみ)と皇子の国常立尊(くにのとこたちのみこと)と国狭槌尊(くにのさつちのみこと)で、神国日本の始まりとなる。

 第三神朝時代は神皇7代が国造りをし、7代目の伊弉諾命(いざなぎのみこと、125年頃‐190年頃)で終わる。

 第四神朝時代は天照大神(140年頃生)が即位したので、月夜見尊(つくよみのみこと)は富士南麓に退いた。

 月夜見尊の子が大山祇尊(おおやまづみのみこと)、その子が木花咲耶媛尊(このはなさくやひめのみこと)で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の皇后となる。

 瓊瓊杵尊が崩御すると、富士高天原(阿祖山太神宮)は分列し、九州王朝は鵜茅葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)が神皇となった。

 九州王朝の皇太子は大和橿原で神武天皇として即位(211年)、その後富士高天原の勢いは衰えていった。

 11代垂仁天皇、12代景行天皇、日本武尊(やまとたけるのみこと、302年‐332年)の時代に富士高天原は滅んだ。

     

 15代応神天皇(363年‐403年)の第一皇子・大山守皇子(おおやまもりのみこ)は名前を「宮下」と変えて阿祖山太神宮の宮司となり、富士高天原の復活を願った。     

 しかし、延暦19年(800年)の富士山大噴火で阿祖山太神宮などは焼失・埋没で壊滅してしまった。

 富士山の噴火で富士高天原は無くなったが、征夷大将軍の坂上田村麻呂(758年‐811年)が相模(さがみ、神奈川県)の寒川(さむかわ)に寒川神社を建立させた。  

 南朝(吉野朝廷)の後裔関係も富士高天原の復活を願って暗躍していた。

 関東武士(坂東武士)は富士高天原の復活を願っていた可能性がある。

 戦国武将の武田信玄(1521年‐1573年)や徳川家康(1543年‐1616年)は南朝系で、明確に富士高天原の復活を願っていたかは分からないが、薩長土肥による明治維新の結果として首都は京都から東京(江戸)へ遷都、明治天皇(1852年‐1912年)は江戸城を皇居とした。

 東京遷都は富士高天原の復活と見て良いのかもしれない。「高天原」は富士山麓→九州→大和・山城→関東(東京)へと変遷していった。

 富士山の高天原としての霊力は今も続いており、伊勢神宮、出雲大社と共に日本を護っている。

 印南 神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-04-04 11:43

兵庫県三田市(さんだし)加茂(かも)411   電079-567-1062  無料駐車場あります。

     

祭神 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)

    天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、

    菅原道真公。

  

志摩国鳥羽より当地の摂津国三田へ寛永10年(1633年)に転入した領主九鬼久隆(くきひさたか、1617年‐1649年)が天満天神を信仰していたので、当社も京都北野天満宮から勧請し、天満神社を称するようになった。 

昭和26年に旧社名の加茂神社に改称した。  

 

10月の秋祭りには家内安全・豊作祈願の「稲引・樽引神事」が行われ、市指定無形民俗文化財の「ホーホー踊り」が奉納される。

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鳥居

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入口

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境内右に稲荷神社。

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境内社の皇大神宮。

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後方は加茂金毘羅宮(金刀比羅大権現)。

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大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)。

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拝殿

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神額は「天満神社」になっている。

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菅原道真公の「神使いの牛像」。

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本殿、覆い屋に保護されている。

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拝殿右の境内社、八幡神社ほか。

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拝殿左の境内社、大歳神社か(?)。

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境内社の戎神社、テープが張られていた。

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印南 神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-03-29 11:02

 兵庫県三田市(さんだし)中内神(なかうちがみ)723   無料駐車場あります。

祭神 素盞嗚大神(すさのおのおおかみ) 

   

創建は不明であるが、天徳年間(957年‐960年)に疫病が流行したので、「廣峯神社」より牛頭天王を勧請し、天徳大明神と称した。

 祭神を素盞嗚尊(すさのおのみこと)と改め、感神社と改称した。

 明治30年(1897年)に社殿を改築。



入口の鳥居。

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参道を上ると境内へ。

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寒緋桜

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舞殿

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拝殿

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本殿

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境内社、猿田彦大神、橿原大神、天照皇大神、八幡大神。

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本殿の左に戎宮総本社西宮神社。

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右は庚申堂、左は金刀比羅宮。

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印南 神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-03-23 16:45

兵庫県三田市(さんだし)貴志(きし)1100-1-1  電079-568-1251 

無料駐車場あります。 看板の指示に従って迂回して駐車場に停める。

   

祭神 伊弉諾命(いざなぎのみこと)

    伊弉冊命(いざなみのみこと)、

    大比古命(おおひこのみこと)、

    比売神(ひめのかみ)、

    鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)。


厄除け、開運招福、家内安全、学業成就。

創建は9世紀初め頃。

元は貴志神社(貴志宮)と称し、大比古命と比売命を祀っていたが、伊弉諾命・伊弉冊命を合祀した。

大比古命は、8代孝元天皇の第一皇子で母は物部氏の内色許売命(うつしこめのみこと)。 弟は9代開化天皇、娘の御間城姫(みまきひめ)は10代崇神天皇の皇后になり11代垂仁天皇を生んだ。

大比古命は四道将軍の北陸将軍として北陸・東北に遠征、蝦夷(えみし)を平定した。

鎌倉時代に当地の豪族貴志氏が御家人になったことにより、鎌倉権五郎景政(相模国、1069年生)の霊を勧請し、御霊神社に改称した。



10月の例祭では三田市指定無形民俗文化財の「ホーヤホー踊り(貴志舞い)」が奉納される。

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鳥居と社号標。

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参道

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鳥居と拝殿、南東向き。

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拝殿内の神額には「貴志神社」と記されている。

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境内。

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立派な本殿、国指定重要文化財、文明2年(1470年)に村人により再建された。

三間社春日造り、檜皮葺き。

彫り物や蟇股(かえるまた)がすばらしい。神仏習合の造りになっている。

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夜泣き石(茶臼石)、神事で酒を造る際に使用していた。

「貴志のぬけ石」2基のひとつ。

江戸時代に三田藩主の九鬼家の庭石にしたところ、毎晩「神社に帰りたい」と泣くので、戻すと泣き止んだ。

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境内社、右は「地主神社」、「三崎社」、「御年社」、「大歳社」、「稲荷社」、「住吉社」。

左は「愛宕社」、「春日社」、「天照太神社」、「八幡社」、「熊野社」。

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印南神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-03-18 09:19