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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


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岡山県和気郡和気町(わけぐんわけちょう)藤野1385  電0869-93-3910

無料駐車場あります。

備前国藤野郡(岡山県和気郡和気町)は和気清麻呂公生誕地。

足腰健康、子どもの守り神。

祭神 鐸石別命(ぬでしわけのみこと、和気氏の始祖)、

    弟彦王(おとひこおう、鐸石別命の曾孫で忍熊王の反乱鎮圧に貢献した)、

    和気清麻呂公、和気広虫姫、

    清麻呂公の高祖父の佐波良命(さわらのみこと)、

    曾祖父の伎波豆命(きはずのみこと)、

    祖父の宿奈命(すくなのみこと)、

    父の乎麻呂命(おまろのみこと)。

(先祖を祀っていた国造神社を合祀した。)



和気氏の先祖は、11代垂仁天皇(265-310年)の皇子である沼帯別命(ぬたらしわけのみこと)、別名・鐸石別命(ぬでしわけのみこと)で、

子孫が備前国・美作国に居住し、当地を治めた。蹈鞴製鉄・金属製品製造などに携わったと考えられる。

その後裔が和気清麻呂(わけのきよまろ、733-799年)と姉の広虫(ひろむし、730-799年)である。

京都御所西の護王神社にも和気清麻呂公と和気広虫姫が祀られている。地図の「拡大地図を表示」をクリックすると多くの写真を見ることができます。



和気清麻呂は道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)で大隅国(鹿児島県東部)に流され、その途中に宇佐神宮(豊後国一宮)へ参詣しようとすると、数百頭の猪が現れ、清麻呂を守りながら道中の案内をした。

姉の広虫姫も備後国に流された。

猪の故事により、和氣神社や京都の護王神社は猪が神使いとして狛犬に代わり、手水舎も龍の代わりに猪になっている。

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入り口の鳥居

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日笠川に架かる赤い霞橋を渡る。

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和気清麻呂像

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鳥居と「狛いのしし」。

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鳥居の左に「さざれ石」。

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階段を上ると随神門。

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和気清麻呂公石像

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和気広虫姫石像。

清麻呂の姉・広虫姫は活動的であったが、多くの孤児を助け、養子にした。

孝謙・称徳天皇に仕え、光仁天皇にも人格を褒められ、桓武天皇にも重用された。

夫は葛木戸主(かずらきのへぬし)で、夫婦とも人格が優れている。

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拝殿と「狛亥(こまいのしし)」

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拝殿右に、猿田彦神社、奥に大神宮(豊受大神)。

拝殿奥に本殿。

本殿は拝殿と共に和気町の指定文化財になっている。

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拝殿左に天神社(菅原道真公)。

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天神社の背面に石が沢山奉納されている。

初宮詣りの時に、「名付け石」に氏名と生年月日を書いて奉納する。

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絵馬殿

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神社と日笠川の間に藤公園があり、藤の名所になっている。

5月の「藤まつり」の時は入園料が必要。

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弓削道鏡の神託事件

 45代聖武天皇(701-756年)と光明皇后(701-760年)の皇女である46代孝謙天皇(718-770年)が重祚して

48代称徳天皇となるが、女帝の寵愛を受けた弓削道鏡(ゆげのどうきょう、700年?-772年、物部一族の弓削氏の出自で

法相宗の僧)が太政大臣禅師に昇進した。

そして道鏡は法王にまで上り詰め、仏教の理念に基づいた政策を推進したが、更に皇位を望むようになった。

仏教会が皇室を乗っ取るような勢いであった。

 西暦769年に大宰主神(だざいのかんづかさ)により、「道鏡を皇位につければ国平らかにならん」という宇佐神宮の託宣が

奏上された。

 称徳天皇は神託の真偽を確かめるため和気清麻呂(733年-799年)を宇佐神宮へ遣わせた。

 宇佐から戻った清麻呂は、宇佐神宮の神託を朝廷に持ち帰った。「皇位は必ず皇族に継がせよ」という神託であった。

 これに怒った道鏡は、清麻呂を大隈国(鹿児島県)に追放し、追っ手を出して暗殺を指示。清麻呂は道鏡の追っ手に

足の筋を切られたが、突如現れた300頭の猪に助けられ、猪に守られて宇佐神宮に再度参拝、足のケガを治すことが出来た。

 48代称徳天皇が770年に病死、49代光仁天皇(709年-781年、38代天智天皇の孫)が即位すると、道鏡は

下野国(しもつけのくに、栃木県)に左遷され、清麻呂は平城京に呼び戻された。

 光仁天皇の皇子が50代桓武天皇(737年-806年)になると、794年に平安遷都。清麻呂は遷都に尽力した。

 寺院は遷都のたびに移転を繰り返していたが、勢いを増す仏教会が政治に介入するのを防ぐため、寺院は平安京に

移転することを禁止された。

 平安京では新たに許可した寺院だけが建立され秩序が守られた。都の入口である羅城門の東に東寺(とうじ)が置かれ、

西に西寺(さいじ)が置かれた。

 東寺は現存しているが、西寺は1km西の唐橋西寺町に史蹟西寺阯(唐橋西寺公園)として残っている。

 平安京の東方を東寺が鎮護し、西方を西寺が鎮護する形で、平安京の外に以前から存在していた各豪族の寺院は

そのまま存続を認められた。

 遷都のもう一つの理由は、40代天武天皇から9代の天皇が続いたが、49代光仁天皇即位により天智天皇系に政権を

取り戻したので、天武天皇系の平城京を離れ、新しい平安京に遷都することになった。

 更に、50代桓武天皇の血縁者や平城京内で病死・暗殺が続き、祟りを避ける為にも遷都は必要であった。

そして平安京に何重にも「結界」を設けていくことになる。

  

 和気清麻呂(磐梨別乎麻呂の子)は、交通安全の神・学問の神・建築の神として信仰されている。和気清麻呂を祀る

護王神社(京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町)では、神使いとして一対の猪像が拝殿の前にある。

 明治32年(1899年)発行の拾圓札の表には和気清麻呂像と護王神社、裏には護王神社の猪の像が印刷されていた。

 和気神社(岡山県和気郡和気町藤野1385)の随神門にも一対の新しい猪像がある。

 足立山妙見宮(福岡県北九州市小倉北区妙見町17-1、足の神様、足が立つ→足立山)の参道にも一対の猪像がある。

 清麻呂が宇佐神宮の神告にしたがって、石川村(北九州市小倉区足立山の麓の湯川町)の霊泉に入ると傷ついた足は

数日で治った。

 清麻呂は足立山へ登り、造化三神(北辰尊星妙見大菩薩)の天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神に皇統安泰を祈った。

 

 この後、宇佐神宮への勅使を宇佐使(うさづかい)または和気使(わけづかい)といい、和気氏が派遣されるのが常となった。

清麻呂公は宇佐神宮末社護皇(ごおう)神社に祀られている。

 

 和気朝臣の元の氏姓は磐梨別公(いわなしわけのきみ)である。足立山妙見宮の宮司さんは磐梨文孝氏で、和気清麻呂の子孫だと考えられるので妙見宮にメールで問い合わせたところ、磐梨宮司様からご返事をいただき、私の推測通りご子孫

であった。

 和気清麻呂公の四男・磐梨為綱(妙運)を初代として、妙見宮に代々ご奉仕され、今の宮司さんで磐梨為綱から41代目だと云う。

 岡山県赤磐市熊山町のあたりが備前国磐梨郡で、磐梨別公はここの出自だと考えられる。赤磐市は赤坂郡と磐梨郡を合わせた新しい地名で、現在岡山には磐梨姓はなく、北九州市に脈々と受け継がれている。

 和気清麻呂が京都の鎮護として、781年に京の西北(戌亥=乾)にあたる愛宕山(924m)に創設した「愛宕神社」

(京都市右京区嵯峨愛宕町1)は愛宕神社の総本社で、神使も猪になっている。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


# by enki-eden | 2022-07-03 15:28

岡山県和気郡和気町(わけぐんわけちょう)大田原(おおたわら)438

0869-92-0041   無料駐車場あります。

「西久保さん」と親しまれている。

祭神  由加大神、

    豊受大神(とようけおおかみ)、

    素戔嗚大神(すさのおおおかみ)、

    八幡大神(はちまんおおかみ)、

    息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。



当社の前に吉井川支流の金剛川が流れている。

当神社は祈祷神社として古代からのご祈祷が多く伝えられていると云う。

当社は初め宮山にあり、由加大明神として「豊受大神」「素戔嗚尊」140年頃-200年頃)を祀っていた。   

 豊受大神は五穀豊穣の神で、「宇加の神」とも云う。「うか」が「ゆか、ゆが」になったのかもしれない。   

 

延暦9年(790年)に和気清麻呂(わけのきよまろ、733-799年)が八幡宮を合祀して由加八幡宮と称した。

建武4年(1337年)に赤松則祐(1314-1372年)が現在地に遷座、宇佐八幡宮から「神功皇后(321年-389年)」を勧請した。

  

明治5年(1872年)に由加神社と改称。

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入り口の鳥居と社号標

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モクレンが綺麗に咲いていた。

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参道に灯籠が並び、手水舎、随神門をくぐる。

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立派な拝殿。

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拝殿の扁額、六角形に「由」。六角形の亀甲紋は祭神の素戔嗚尊由来でしょう。

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拝殿前にも灯籠と大木。

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幣殿と本殿。

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境内右横に和気靖国宮が戦没者を祀る。

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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


# by enki-eden | 2022-06-26 10:49

天津神社(備前市)

岡山県備前市(びぜんし)伊部(いんべ)629  電0869-64-2738(宮司宅)  

100m手前に「あまつ駐車場」がある。

通称「いんべ天神東宮」、

備前焼の里にある氏神で、備前焼は伊部焼(いんべやき)とも云う。

    

祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)、医薬・病気平癒の神様、

菅原道真公、学問の神様。

当地周辺は菅原氏の荘園であった。

 配祀 大己貴命(おおなむちのみこと)、地主の神、

     天太玉命(あめのふとだまのみこと)、忌部氏の祖。


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創建 応永18年(1411年)。

当初は海寄りの浦伊部(うらいんべ)に建立されたが、疫病が発生し神託により天正7年(1579年)に現在地に遷座すると

疫病は平癒した。

病気平癒、学問の神、陶器の神として神徳あらたか。

「忌部氏」をご参照ください。   

入り口の鳥居、扁額には「天神」と記されている。狛犬は備前焼(伊部焼)。

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境内に色んな励ましが! 「カンバレ伊部!」、「今が結果じゃないよ」、「あなたの親でうれしい」、「育てたように子は育つ」、「なんとかなるって!」、「できた!」など。

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社号標と備前焼瓦の神門。神門の屋根には鴟尾があり、参道も備前焼になっている。

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階段を上ると随神門。屋根瓦は備前焼。

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更に階段を上ると拝殿。床も備前焼。

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本殿

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手前が境内社の神武天皇社、奥は稲荷社。

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伊部稲荷社

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神社後方の山を登ると忌部神社(いんべじんじゃ)が鎮座。

窯元たちが備前焼の繁栄を願って祀った。

祭神は備前焼陶祖の天太玉命(あめのふとたまのみこと)で、物造りの神様として

備前焼の繁栄、火の災い除け、作陶上達、産業繁栄のご利益がある。

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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


# by enki-eden | 2022-06-19 10:25

岡山県備前市香登本(かがともと)1249  電0869-66-7822(宮司宅)

境内に車を停められるが、通路が狭い。

祭神 大山津見神(おおやまつみのかみ)、

    神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)、

    木花之佐久夜毘売神(このはなのさくやひめのかみ)、

    大香山戸臣神(おおかがやまとおみのかみ)。

   


   

祭神の「大山津見神(大山祇神)」は山の神の元締め、神大市比売神は大山津見神の長女で素戔嗚尊(すさのおのみこと、140年頃-200年頃)の妻となり「大歳神」と「宇迦之御魂神」を生む。   

木花之佐久夜毘売神(木花咲耶姫命)は大山津見神の娘で天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃となる。

大香山戸臣神は大歳神と香用比売(かぐよひめ)の御子。

 

鳥居と神門。

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随神門と左に稲荷神社。

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稲荷神社本殿と手前に虫除神社(豊受大神、御年神)。

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拝殿手前の階段右に牛神社(保食神、うけもちのかみ)と大酒神社(秦大兄、はたのおおえ)。秦河勝(7世紀前半)が蘇我氏の難を避けて坂越(さごし、赤穂市)に逃れたときに、秦大兄も当地の香登(かがと)に逃れてきた。

秦氏の痕跡は、播磨国西部の揖保郡と赤穂郡、吉備国東部の備前国と美作国に残っている。秦氏(はたうじ)をご参照ください。

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拝殿、唐破風に阿比留文字(あひるもじ)で「おおちのやしろ」と彫刻されている。

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幣殿と檜皮葺の本殿、市指定文化財。元禄16年(1703年)建立。

後ろは大内山(おおちやま、150m)

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本殿右後方に上ると多くの境内社。

階段上の天神社(菅原道真公)と下の右から

須賀神社(素戔嗚尊)、稲荷神社(倉稲魂神)、荒神社(奥津彦神・奥津姫神)。

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八幡宮(応神天皇)

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金刀比羅宮(大物主命)

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天神社(菅原道真公)

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本殿左に総神社(59代宇多天皇、大内神、石長姫神、大滝神、

天津神、国津神、宇受売神、阿須波神、熊野神社)。

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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


# by enki-eden | 2022-06-12 23:00

岡山県備前市香登西(かがとにし)276   境内に車を停められます。

主祭神 磐長姫(岩の神、寿命長久の神)


   

祭神の磐長姫(いわながひめ)は「大山祇神」の娘で、妹の木花開耶姫(このはなさくやひめ)と共に天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻として赴いたが、木花開耶姫は美しいので良かったが、磐長姫は醜いと云って帰されてしまった。

大山祇神は、美しい木花開耶姫と共に美しくはないが磐のように盤石な磐長姫を瓊瓊杵尊に差し出して瓊瓊杵尊の長命を願ったが、送り帰されたことを恨んだ。

それで天孫の命が花のようにはかない命になったと云う。

神社入り口

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随神門、右に奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)、

左に豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)。門を守る神様。

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拝殿

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幣殿と本殿

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本殿右に稲荷神社。

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境内社、右から祇園神社、虫神社、天神社、荒神社。

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社日塔(五角柱の地神さま)、天照皇太神・少彦名命・大己貴命・埴安媛命・倉稲魂命。

五神の内、天照皇太神を真北向きに設置されている。

春分・秋分の日に祭祀を行う。

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当社の1.5km南西に「備前長船(おさふね)刀剣博物館」がある。

岡山県瀬戸内市長船町長船966

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# by enki-eden | 2022-06-07 10:04