現在のシリアの地に4,000年前から3,200年前まで、セム人(フェニキア人)の貿易港湾都市「ウガリット」が繁栄し、「バール信仰」があった。「バール」はセム語で「主神」を意味する。
ウガリットのバール神は「牛頭神」で、繁栄・豊穣・嵐の神であった。
牛の血から新しい生命が生まれると云う信仰があったが、日本の「保食の神(うけもちのかみ)」に似ている。
バール神は古代のオリエントで広く信仰され、カナン地方(イスラエル・レバノン・シリアなど)では「バール神」が最高神として崇められた。
ウガリット神話は旧約聖書にも強く影響しているが、ユダヤ教では偶像崇拝の「バアル(バール)」を否定している。
旧約聖書の「出エジプト記32章」によると、
イスラエルの民がモーセに導かれエジプトを脱出しカナンの地に帰る途中、モーセがシナイ山に登り、神から「十戒の石板」を授けられて降りてくると、イスラエルの人々はモーセの帰りが遅いので「金の子牛像」(バール神)を祭壇に置いて礼拝し踊っていた。
これに怒ったモーセは十戒の石板を投げて砕いてしまった。神は金の子牛像を砕いた。
モーセは「レビ人」に金の子牛を礼拝した者を殺せと命令、3,000人が殺され神も民を撃った。モーセはもう一度シナイ山に登り、神に罪を償った。神はモーセを赦し「十戒の石板」を再び与え、イスラエルの民はカナンの地を目指した。
ウガリット文字はシュメールの楔形文字に似ているが、母音文字がないのはヘブライ語と同じ。
ウガリットが滅んだ後も、オリエントやギリシャにバール信仰が受け継がれた。
メソポタミアのアッカドでは、「バール」は雷神「アダド」と呼ばれるようになり、エジプトでは嵐の神「セト」と同一視された。
フェニキア(現在のレバノンあたり)やカルタゴ(現在のチュニスあたり)では「バアルハンモン」と呼ばれた。フェニキアの名はフェニックス(不死鳥)が由来。
ギリシャでも「バアル」として崇められた。
バール神の像は、武器を持った右手を挙げ、左足を前に出している。バール神は「牛の神」とも云うので角のついたヘルメットを被っている像もある。
一神教のユダヤ教徒が「バール」(牛頭神)信仰を持っている場合がある。出エジプトを導いたモーゼ像にも「角」がついているものがある。
フェニキア人は海洋民族で、地中海を拠点にして世界各地に拡散し、交易をしていた。フェニキア人はシュメールの楔形文字からアルファベットを考案し、ペルシャ・インダス・インド・中国・朝鮮・日本・北米・アフリカなどにもフェニキア文字が確認されている。
フェニキアの交易船団には、「バール信仰」で結びついたケルト人・ユダヤ人・エジプト人・ギリシャ人なども混在していたと云う。
黒曜石の産地であった静岡県の水窪町(みさくぼちょう)で発見された水窪石に刻まれたフェニキア文字は「バルーツ(女神) ガシヤン(男神)に奉る」と解読された。
バルーツはバールの女性形で、ガシヤンは鳥(主神)である。
日本の「蹈鞴製鉄」や「神代文字」もフェニキア人が弥生時代に伝えたと考えられる。
牛頭(バール神、武神)もフェニキア人により列島に伝えられた。素戔嗚尊(すさのおのみこと)は神仏習合時には「牛頭天王」と同一視されたが、バール神と関係があると考えられる。
フェニキアの植民地カルタゴの将軍「ハンニバル」(Hannibal、BC247年‐BC183年)の名は「バールは我が主」と云う意味である。
印南神吉(いんなみ かんき)