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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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兵庫県赤穂市(あこうし)有年牟礼(うねむれ)1310-2   無料駐車場あります。


祭神 品陀和気尊(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)、

    仲哀天皇(14代天皇)、

    神功皇后(じんぐうこうごう)。





兵庫県の「住み続けたい街」ランキングで赤穂市は3位、私も納得!

有年(うね)の地名由来は、畑の畝(うね)と同じで土地が小高く連なった山の稜線に因む。


当地は矢野川が東から西へ流れて千種川(ちくさがわ)に注ぐ。

矢野川沿いの山々を畝(うね)に見立て「有年(うね)」と呼んだ。


江戸時代以前の当地は、南部の山地・周世郷(すせごう)に属していた。

江戸時代になると、当地の有年牟礼(うねむれ)は有年原(うねはら)と共に幕府領(天領)になった。


104代後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、1464年‐1526年)の永正元年(1504年)に、大干ばつによる全国的な飢饉が発生。

翌年には農作業も滞り、村人が南部にある周世(すせ)八幡神社に参拝して豊作を祈願していた。

しかし参拝道中の周世坂(現在の県道457号線の峠)の勾配がきつく大変なので、八幡神社本殿の霊代を持ち帰り牟礼東(むれひがし)の矢野川畔に別宮を建て、奉斎した。

周世坂


慶長年間(1600年前後)に有年牟礼(うねむれ)の現在地に遷座した。

寛政4年(1792年)に本殿改修、文化10年(1813年)に社殿再建した。

明治42年(1909年)に牟礼東(むれひがし)の須賀神社4社を合祀、横尾の荒神社3社と塞神社1社を合祀した。

大正10年(1921年)幣殿新築。


鳥居と灯篭。

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階段を上る。


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右手にあるのは農村舞台。 舞台前が観客用の広場になっている。

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更に上ると絵馬殿。

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絵馬殿手前に明治天皇聖徳碑。

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 拝殿

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 農耕の四季を表した農耕図絵馬。

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 本殿

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 本殿右に境内社が3社、

右から大避神社(秦河勝)、荒神社(?)、須賀神社(素盞嗚尊)。


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***



通常国会が1月23日(金)から621日まで予定されているが、「冒頭解散」のニュースが飛び出した。

解散123日(金)、公示23日(火)、投開票215日(日)と云うが、真偽はどうか

冒頭解散は過去に4回ある。

解散予想報道を受け、明日13日(火)の株式市場は「暴騰」しそうだ。



印南神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-01-12 09:45

兵庫県赤穂市(あこうし)有年原(うねはら)1033-3  

道向かいに車を停めることができます。


「北畠の荒神さん」と呼ばれ、有年原(うねはら)全村の荒神を合祀した。


寛政5年(1793年)に牟礼八幡神社(むれはちまんじんじゃ)改築の古材を使って社殿を建てた。


祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)


当地周辺には素盞嗚尊140年頃‐200年)を祀る須賀神社、荒神社が多い。


江戸時代には当地・有年原は幕府領(天領)であった。


有年(うね)の地名由来は、畑の畝(うね)と同じで土地が小高く連なった山の稜線に因む。


当地は矢野川が東から西へ流れて千種川(ちぐさがわ)に注ぐ。矢野川沿いの山々を畝(うね)に見立て「有年(うね)」と呼んだ。




 

神社の入口。

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 神社前を矢野川が流れる。

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階段を上る。

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振り返り、矢野川と山々を望む。

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拝殿が見えてくる。

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 拝殿前の狛犬。

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瓦葺きの拝殿。

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 瓦葺きの幣殿、本殿。

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周辺は山林になっている。

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 印南神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2026-01-07 11:39
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兵庫県赤穂市(あこうし)東有年(ひがしうね)1936   電 0791-49-3993

駐車場、公園事務所、トイレがあります。

 




周辺には4,000年前の縄文時代から600年前の室町時代にかけての集落遺跡がある。


この遺跡公園では、弥生時代後期の竪穴住居7棟、古墳時代後期の竪穴住居22棟、高床建物1棟が発見され、1992年に兵庫県指定文化財となった。


遺跡公園から赤穂市北部の山々を望む。


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パンフレットの園内案内図

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 遺跡公園南側に「弥生時代ムラ」の円形住居2棟が復元されており、入口は南、中央に炉があるのは縄文時代と同じ。


2号住居(弥生時代後期)は直径が12mあり非常に大きく、発掘調査でガラス玉などが発見されているので有力者の住居であったと考えられている。


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 5号住居(弥生時代後期)は直径56mで、一般的な大きさ。


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 遺跡公園の北側に「古墳時代ムラ」の方形住居4棟が復元されており、入口は南、北の奥に竈(かまど)がある。

その内の1棟は掘立柱(ほったてばしら)を使った高床建物(倉庫)である。


有力者は離れた場所に大きな高床式住居を建てていた。

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15号住居(古墳時代後期)

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23号住居(古墳時代後期)

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26号住居(古墳時代後期)

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32号高床建物(古墳時代後期)

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遺跡公園の1km北東に有年山(八幡山、201m)が見え、山頂に有年山城跡(八幡山城跡)、山腹に有年八幡神社が鎮座している。

赤松氏の山城であったが、城主は何度も代わっている。


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有年山には、千種川(ちぐさがわ)を航行する高瀬舟の灯台として建てられた舟灯台(高瀬舟灯台)がある。


千種川には良質の砂鉄が産出し、上流にある宍粟市(しそうし)千種町(ちくさちょう)は蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)が盛んであった。


宍粟鉄(千種鋼)と呼ばれる良質の玉鋼(たまはがね)は備前長船(びぜんおさふね)の備前刀にも使われた。




印南神吉(いんなみ かんき)



# by enki-eden | 2026-01-01 11:36

マグダラのマリア

「マグダラのマリア(MaryMagdalene)」は新約聖書の福音書に登場し、「罪深き者」であったがイエス・キリストに救われ悔い改めて信徒になった。

キリストの母マリア(聖母マリア)と同じ名だったので特に注目されたかもしれない。

イエスが十字架で亡くなった後、聖母マリアはアナトリア(トルコ)で暮らし、「聖母マリアの家」が残っている。

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「マグダラのマリア」はイエスから愛され、弟子としてよく働いた。キリストが十字架に掛けられた時に見守り、キリストが納められた場所を見とどけた。

3日後に「マグダラのマリア」は墓を訪れ、イエスの遺体に香油を塗ろうとしたが、遺体がなくなっていた。

キリストが復活した(蘇った)のだ。復活後最初に「マグダラのマリア」がイエスに出会った。

「マグダラのマリア」はキリスト復活の証人として使徒たちの所に行き、キリストが復活し天国に昇ることを伝えた。


「マグダラのマリア」は、キリスト信者を迫害する動きを避けるため、他の二人のマリア(マリア・ヤコベとマリア・サロメ)たちと小舟に乗って南フランスに逃れた。

マリアたちはサント・マリー・ド・ラ・メールでキリストの伝道をしていたが、晩年の「マグダラのマリア」はサント・ボームの洞窟(grotto of Sainte-Baume)で過ごしたと云う。

現在の洞窟は教会になっており、祭壇・マグダラのマリア像・遺物などがある。巡礼者や観光客らが訪れている。

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「マグダラのマリア」は洞窟の上のサン・ピロン山(944m)に登り祈ったと云う。今は山頂に小さなチャペルがある。



フランスでは「マグダラのマリア」を「マドレーヌ」と呼んでいる。

マドレーヌと云う名の寺院は多いが、ヴェズレーにあるサント・マドレーヌ大聖堂が有名で巡礼者が多い。マドレーヌの遺骨の一部が安置されており、信仰の対象になっている。

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聖書として認められていないが、「マリアによる福音書」と云う外典があり、「マグダラのマリア」は預言者としてキリストの伝道活動を行った。

マリアによる福音書は3世紀に存在していたが、現在は部分的な写本だけが残っている。パピルスにコプト語(古代エジプト語)で記されており、ギリシャ語の原書から翻訳されたと考えられている。

ナグ・マハディ写本やベルリン写本などが存在するが欠損部が多いので、文章は長くない。


ロシアの文豪・ドストエフスキー(1821年‐1881年)は「マグダラのマリア」を強く意識し、「罪と罰」を1866年に書いた。

ドストエフスキーの母の名前もマリアで、最初の妻の名前もマリアあった。

私は大学生の時(1962年)に「罪と罰」を読んでみたが非常に難解であった。

日本の多くの文学者、映画監督、漫画家などがドストエフスキーの影響を受けている。

***

来年の2026年は日本の政治、経済、社会が大きく変化、前進し、世界も大きく変わっていくでしょう。

一人一人の国民の意識が集合すれば、社会全体が前進します。


印南神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2025-12-28 11:16

島根県出雲市大社町修理免(しゅうりめん)本郷東1329

出雲大社の境外摂社。

祭神 久那戸大神(くなとのおおかみ、岐神)。

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出雲大社へ続く「社家通り」に神官の住居が集まっていた。

出雲大社の境外摂社の神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ、命主神社)は神皇産霊神(かみむすびのかみ)を祭神にし、大きな磐座があり、重要文化財の翡翠の勾玉(糸魚川産)と銅戈(九州産)が出土した。

出雲大社の宝物殿に展示されている。



社家通りを250mほど東に行くと、北島国造家の神事の際に使用される「真名井の清水」がある。

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更に1kmほど南東に行くと、出雲井神社が鎮座。

出雲神族は東北から出雲に移住してきた。

先祖はクナト(岐神)の大首長で、女首長はアラハバキ(荒吐神)。

「クナト」は「地蔵」に、「アラハバキ」は「弁才天」に変身した。

アイヌ古語でクナトは男根、アラハバキは女陰として一対のものだったと云う。

「クナト神」   

「狗奴国はクナトの国」    

「クナト神を祀る神社」

   

印南神吉(いんなみ かんき)


# by enki-eden | 2025-12-23 11:08