2013年 01月 24日
籠神社(このじんじゃ)
丹後国一の宮、元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)
所在地: 京都府宮津市字大垣430 電 0772-27-0006
主祭神: 彦火明命(ひこほあかりのみこと)、亦の名、天照国照彦天火明命
相殿(あいどの)に豊受大神 (とようけおおかみ)、天照大神 (あまてらすおおみかみ)、
海神 (わたつみのかみ)、天水分神 (あめのみくまりのかみ)が祀られています。
鳥居

神門

社殿は唯一神明造という独特の建築様式で、他に伊勢神宮以外では見られないものです。主祭神は男神ですが、本殿の千木は内そぎ、鰹木は10本で女神の造りになっています。本殿には五色の座玉(すえだま)と呼ばれる宝玉が飾られていますが、これも伊勢神宮に似ています。本殿横の境内には細石(さざれいし)があり禁足になっていました。
拝殿

細石

葵祭が4月24日に行われます。籠神社と縁の深い京都の上賀茂神社・下鴨神社の葵祭では葵の葉を付けるのに対し、籠神社では豊受大神ゆかりの藤の花を挿します。3世紀の頃に始まり、29代欽明天皇以前は藤祭と呼ばれていたそうです。
伊弉諾尊が天に登るための梯子が倒れて天橋立になったという伝承がありますが、ケーブルカーで文殊山上の天橋立ビューランドに昇り、すばらしい日本三景の天橋立を楽しみました。全長は3.6kmもあるそうです。

天橋立と陸地の間に運河があり、船を通すための廻旋橋(回転橋)を見学しました。その回転橋を渡って天橋立の海岸に出ると、30kmほど離れた舞鶴から来た海上自衛隊員が数名いました。話をすると若くて初々しくて好感をもてました。礼儀作法と身のこなしがキチットしていましたよ。
車で阿蘇海沿いの道をぐるっと廻って天橋立の反対側に行きました。籠神社です。駐車場は有料です。天橋立の北の端から500mの所にあります。籠神社の北東450mほどの所に奥宮の眞名井神社がありますが、途中でちょっと迷いました。真名井神社は「天の羽衣伝説」の伝承地です。
真名井神社(後方の神体山に天御中主神など磐座が多い。)

真名井という名は、「真名井の水」という神水が涌き出ることによるのですが、近くに住む人が水を汲みに来ていました。一時地下水が枯れたので深く掘って再度湧いているようです。
真名井神社後方の神体山表示

神体山(天香語山)の塩土老翁石碑(大綿津見神、亦名住吉同体、亦名豊受大神)

四柱の神が同体ということは、これも子孫の姻戚により祖神を同体として纏め、同族意識を高めた結果なのでしょうか。それとも言葉通り同一神なのでしょうか。
私見ですが、安曇氏の祖である大綿津見神の生年は135年頃と見ています。
社家の海部氏は彦火明命を始祖とし、籠神社の創建以来、代々宮司を務め、現在の海部光彦氏は82代目です。4代目の倭宿禰命は神武東征の際に大和国へ先導しました。私見ですが、彦火明命の生年は140年頃と見ています。4代目の倭宿禰命は185年頃と見ています。
籠神社境内の倭宿禰命像

神社伝来の海部氏系図(籠名神社祝部氏係図)は1976年に国宝に指定されています。
海部氏系図を写しました(一部分)。私は系図を写すのが好きで、天皇家や古代豪族の系図も写しています。もちろん我が家の系図も写しており、最近新しい名前を追加しましたよ。
神名の横に書いている三桁の数字は、私が推定する生年です。

海部直伝世鏡は息津鏡(後漢鏡)と辺津鏡(前漢鏡)があり、息津鏡は直径175mm、辺津鏡は直径95mm。出土品でない伝世鏡では日本最古だそうです。
天火明命(あめのほあかりのみこと)は播磨国風土記・飾磨の郡に、大汝(おおなむち)命の子として登場しますが、他の文献にはこの説はないと思います。私見ですが、伊弉諾尊の子だと考えています。
籠神社の絵馬にカゴメ紋がついています。真名井神社の神紋はカゴメ紋でした。カゴメ紋(籠目紋)がユダヤの紋・ダビデの星(六芒星)と同じ形である為に、日ユ同祖論の注目を受け、おそらく神社に問い合わせが殺到して困った神社が三つ巴紋に変えたのかもしれません。石碑の紋を比べてください。左が元々のカゴメ紋です。右が付け替えられた三つ巴紋です。

カゴメのマークは食品メーカーも使っていますので、日本では通常のマークだと思います。海人族と籠は関係が深く、籠目紋は海人族の紋で、彦火明命が乗っていた籠のマークでしょう。豊受大神の神紋が籠目紋ですから、豊受大神が遷られた伊勢神宮では参道の灯篭に菊花紋と籠目紋がついています。しかし、カゴメ紋とダビデの星には密接な繋がりがありそうですね。わらべ歌の「かごめかごめ」にも深い意味がありそうです。
所在地: 京都府宮津市字大垣430 電 0772-27-0006
主祭神: 彦火明命(ひこほあかりのみこと)、亦の名、天照国照彦天火明命
相殿(あいどの)に豊受大神 (とようけおおかみ)、天照大神 (あまてらすおおみかみ)、
海神 (わたつみのかみ)、天水分神 (あめのみくまりのかみ)が祀られています。
鳥居

神門

社殿は唯一神明造という独特の建築様式で、他に伊勢神宮以外では見られないものです。主祭神は男神ですが、本殿の千木は内そぎ、鰹木は10本で女神の造りになっています。本殿には五色の座玉(すえだま)と呼ばれる宝玉が飾られていますが、これも伊勢神宮に似ています。本殿横の境内には細石(さざれいし)があり禁足になっていました。
拝殿

細石

葵祭が4月24日に行われます。籠神社と縁の深い京都の上賀茂神社・下鴨神社の葵祭では葵の葉を付けるのに対し、籠神社では豊受大神ゆかりの藤の花を挿します。3世紀の頃に始まり、29代欽明天皇以前は藤祭と呼ばれていたそうです。
伊弉諾尊が天に登るための梯子が倒れて天橋立になったという伝承がありますが、ケーブルカーで文殊山上の天橋立ビューランドに昇り、すばらしい日本三景の天橋立を楽しみました。全長は3.6kmもあるそうです。

天橋立と陸地の間に運河があり、船を通すための廻旋橋(回転橋)を見学しました。その回転橋を渡って天橋立の海岸に出ると、30kmほど離れた舞鶴から来た海上自衛隊員が数名いました。話をすると若くて初々しくて好感をもてました。礼儀作法と身のこなしがキチットしていましたよ。
車で阿蘇海沿いの道をぐるっと廻って天橋立の反対側に行きました。籠神社です。駐車場は有料です。天橋立の北の端から500mの所にあります。籠神社の北東450mほどの所に奥宮の眞名井神社がありますが、途中でちょっと迷いました。真名井神社は「天の羽衣伝説」の伝承地です。
真名井神社(後方の神体山に天御中主神など磐座が多い。)

真名井という名は、「真名井の水」という神水が涌き出ることによるのですが、近くに住む人が水を汲みに来ていました。一時地下水が枯れたので深く掘って再度湧いているようです。
真名井神社後方の神体山表示

神体山(天香語山)の塩土老翁石碑(大綿津見神、亦名住吉同体、亦名豊受大神)

四柱の神が同体ということは、これも子孫の姻戚により祖神を同体として纏め、同族意識を高めた結果なのでしょうか。それとも言葉通り同一神なのでしょうか。
私見ですが、安曇氏の祖である大綿津見神の生年は135年頃と見ています。
社家の海部氏は彦火明命を始祖とし、籠神社の創建以来、代々宮司を務め、現在の海部光彦氏は82代目です。4代目の倭宿禰命は神武東征の際に大和国へ先導しました。私見ですが、彦火明命の生年は140年頃と見ています。4代目の倭宿禰命は185年頃と見ています。
籠神社境内の倭宿禰命像

神社伝来の海部氏系図(籠名神社祝部氏係図)は1976年に国宝に指定されています。
海部氏系図を写しました(一部分)。私は系図を写すのが好きで、天皇家や古代豪族の系図も写しています。もちろん我が家の系図も写しており、最近新しい名前を追加しましたよ。
神名の横に書いている三桁の数字は、私が推定する生年です。

海部直伝世鏡は息津鏡(後漢鏡)と辺津鏡(前漢鏡)があり、息津鏡は直径175mm、辺津鏡は直径95mm。出土品でない伝世鏡では日本最古だそうです。
天火明命(あめのほあかりのみこと)は播磨国風土記・飾磨の郡に、大汝(おおなむち)命の子として登場しますが、他の文献にはこの説はないと思います。私見ですが、伊弉諾尊の子だと考えています。
籠神社の絵馬にカゴメ紋がついています。真名井神社の神紋はカゴメ紋でした。カゴメ紋(籠目紋)がユダヤの紋・ダビデの星(六芒星)と同じ形である為に、日ユ同祖論の注目を受け、おそらく神社に問い合わせが殺到して困った神社が三つ巴紋に変えたのかもしれません。石碑の紋を比べてください。左が元々のカゴメ紋です。右が付け替えられた三つ巴紋です。

カゴメのマークは食品メーカーも使っていますので、日本では通常のマークだと思います。海人族と籠は関係が深く、籠目紋は海人族の紋で、彦火明命が乗っていた籠のマークでしょう。豊受大神の神紋が籠目紋ですから、豊受大神が遷られた伊勢神宮では参道の灯篭に菊花紋と籠目紋がついています。しかし、カゴメ紋とダビデの星には密接な繋がりがありそうですね。わらべ歌の「かごめかごめ」にも深い意味がありそうです。
by enki-eden
| 2013-01-24 10:11

