古代史探訪

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蹈鞴(たたら)製鉄②

日本書紀の神代下
 瓊々杵尊(ににぎのみこと)が日向の吾田国(あたのくに)に降臨、その国に美人がいた。名を鹿葦津姫(かしつひめ)またの名を木花開耶姫(このはなさくやひめ)ともいう。大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘である。
 皇孫(瓊々杵尊)は大山祇神に木花開耶姫を妻に欲しいと言う。大山祇神は木花開耶姫と姉の磐長姫の二人を奉る。皇孫は磐長姫が醜いので返し、木花開耶姫と交合した。すると一夜で妊娠した。皇孫は、わが子ではないのであるまいかと疑う。
 木花開耶姫は怒り、戸のない塗籠(ぬりこ)めのへやを作って、「この子がもし他の神の子ならば、きっと不幸になるでしょう。本当に天孫の子だったら、きっと無事で生まれるでしょう。」と言って、その室に入って火を点けて室を焼いた。炎がはじめて出た時に生まれた子を火酢芹命(ほすせりのみこと)、次に火の盛んな時に生まれた子を火明命(ほあかりのみこと)と名付けた。次に生まれた子を彦火火出見尊という。

 
 木花開耶姫が粘土で塗り固めた炉に砂鉄と木炭を交互に入れ、点火して鉄を造りました。出来の悪い鉄であれば(天孫瓊々杵の子でなければ)、それは捨てられるでしょう。しかし、出来上がった鉄は良質なものでした。(良質な鉄=天孫瓊々杵の子、マレビト)
 「良い鉄」は「天津神の子」、「品質のあまり良くない鉄」は「国津神の子」、「失敗作の悪い鉄」は「蛭子」と表現するのです。

 蛭子が生まれたので舟に乗せて川に流す話がありますが、これは失敗作の鉄を捨てる事を言っています。

 製鉄を出産に例えるように、「鉄」を「稲」に例えることもあります。砂鉄を「種」とも言いますので、「種」から生まれる「鉄」を「稲」に例えるのです。
 「稲」「穂」は農業関連と思いがちですが、「鉄」「火」であり、古代では製鉄関連の言葉です。
 旧暦の11月8日には、全国の鍛冶屋、刀工、鋳物師などが荷神社に参拝し、「鞴(ふいご)祭り」を行いました。京都伏見荷大社では「火焚祭(ひたきさい)」として今に残っています。
 鞴祭りの解説では、「もともと農耕の神、食物の神とされていた稲荷が、火の神とされたのは、穀物を調理するための火の神に転じ、火に関係する職業の守護神となっていったと考えられます。」とありますが、どうでしょうかねぇ・・ 私には逆に見えますがねぇ・・
 イナリはもともと製鉄・火の神ではないでしょうか。稲荷と書きますから、稲の連想で農業の神にもなっていったと私は見ています。伏見稲荷大社を創建し全国に広めた秦氏は、農耕・土木・製鉄・養蚕・機織・紙すき・製塩などの技術に優れた部族でした。

 「稲」と関係あるかどうかは私には分かりませんが、「イナ」は鉄(砂鉄)のことです。出雲の国譲りで有名な伊那佐の浜(佐の浜)には砂鉄が多く含まれています。砂鉄の多い浜の色は、当然ですが黒っぽいです。
 日本は火山列島ですから砂鉄が多いのです。日本海沿岸・静岡・房総半島・北海道など日本中で取れます。九州でも全県に砂鉄の浜が多く、例えば国東半島東部の富来から奈多にいたる海岸の砂浜あるいは海底の砂に含まれています。
 中国山地の砂鉄は火山の噴火によるよりも、花崗岩の磁鉄鉱が風化侵食されてできた山砂鉄のようです。中国山地北の出雲や南の吉備で製鉄が盛んな原因になっています。現在でも日本刀など、蹈鞴製鉄によって造られる玉鋼(たまはがね)の材料に砂鉄は欠かせません。太平洋側よりも日本海側の砂鉄(特に出雲地方の砂鉄)の方が良質のようです。吉備の枕詞は「真金吹く(まがねふく)」と言うくらいに製鉄が盛んでした。
   真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ
 
 姫蹈鞴五十姫は製鉄族の出身で初代神武天皇の皇后になります。妹は五十依姫で2代綏靖天皇の皇后になります。
 弥生時代では、経済・軍事・祭祀の基盤を安定させるために銅・鉄・辰砂など金属類を採掘・加工して武器・農具・祭器・交易品などを作りました。王族も豪族も金属を扱うのが必須だったことでしょう。
 素戔嗚の長男・八島士奴美と、大山祗の娘・木花知流姫の子に「布波能母遅久奴須奴 ふわのもじくぬすぬ」がいます。「久奴須奴」について諸説は多いですが、製鉄関係の部族で蹈鞴と関係が深いですから、砂鉄との関係があると思います。
 私見ですが、魏志倭人伝の諸国名列挙のなかに、「華奴蘇奴国」がありますが、「久奴須奴」のことではないでしょうか。布波能母遅久奴須奴は華奴蘇奴国の王だったのでしょうか。他にも「蘇奴国」「姐奴国」が記されていますが、華奴蘇奴国の位置は大山祗関連で見れば北九州市あたりではないでしょうか。北九州は砂鉄の産地でした。「母遅」が「門司」であれば完璧ですが、地名の門司は辞典で調べますと「古代からの地名、豊前国企救郡に属した地、古代に大宰府の関門海峡の押さえとしての関所」とありますので、関門海峡と製鉄を支配していた王かもしれません。布波能母遅久奴須奴は初代神武天皇とほぼ同世代ですから、神武東遷に従った可能性はあります。
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by enki-eden | 2013-05-25 09:24