古代史探訪

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淡路国の考古学

 「兵庫五国の考古学」最終回は「淡路国の考古学」、兵庫県立考古博物館で8月31日(土)に講演がありました。講師は洲本市教育委員会の金田(こんだ)匡史氏です。
 兵庫県立考古博物館の受付周辺とエントランス展示の土器
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 館内の壁は版築風になっています
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 バックヤード見学デッキのケース(舞子浜遺跡の円筒埴輪)
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淡路島の位置と環境
 瀬戸内海最大の島で、東は大阪湾、西は播磨灘、北は明石海峡、南西に鳴門海峡、南東に紀淡海峡に囲まれている。島の北部中央には六甲山系の山地(花崗岩)が縦断、南部は紀伊半島の和泉山脈から四国の讃岐山脈へ横断する諭鶴羽山(ゆづるはさん)系の山々(砂岩)と三原平野が広がる。海と山の幸を一度に味わえる自然豊かな島である。
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縄文・弥生時代の淡路島
 旧石器時代のナイフ型石器が出土している。縄文時代の遺構も確認されている。弥生時代前期・中期は遺跡の数は微増するが、後期には北淡路では海岸沿いにあった集落が姿を消し、標高200m程の山に集落が移動する。しかも遺跡数が中期に比べ7倍以上に膨れ上がる。
 ・洲本市の下内膳遺跡(弥生時代前期)
   洲本平野の中ほど、標高約10mの洲本川流域。
   弥生時代から中世まで続く。淡路を代表する拠点集落。
   弥生時代の竪穴住居跡、水田跡、方形周溝墓など。
   幾度かの土石流の痕跡があり、その度に地形変化に適した土地利用をしている。
 ・淡路市黒谷の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(国の史跡、弥生時代後期)
   北淡路の西海岸から約3km、標高約200mの丘陵上。
   国内最大規模の鉄器製造群落遺跡。
   弥生時代後期の鉄器工房跡が12棟確認された。
   鉄製遺物は約120点(鉄鏃、鋳造鉄斧、針、工具など)
   出土土器から讃岐、播磨、北近畿など他地域の土器が多く出土している。
   5km南西に伊弉諾神宮が鎮座、鉄器製造との関連はあるのでしょうか?
   赤のアイコンが五斗長垣内遺跡、黄が伊弉諾神宮


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淡路の青銅器文化
 淡路には銅鐸・銅剣・銅戈が高率に出土している。特に南淡路では顕著である。慶野の中ノ御堂銅鐸は8口、古津路(こつろ)銅剣は14本出土している。
 銅剣の一括出土数は、島根県の荒神谷遺跡から銅剣358本が発見されるまでは日本一であった。ちょっと差が大きすぎるかな…
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 (慶野)中ノ御堂遺跡出土の銅鐸には珍しく銅製の舌(ぜつ、10.7cm)が共に出土している。手前の棒が舌。銅鐸は殆ど前期物で小型の「聴く銅鐸」。
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 洲本市のコヤダニ古墳から淡路唯一の三角縁神獣鏡が出土。同笵鏡(どうはんきょう)として上平川大塚古墳(静岡)、椿井大塚山古墳(京都)、黒塚古墳(奈良)、古富波山古墳(滋賀)がある。
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海人族の足跡
 古事記・日本書紀には、15代応神天皇・16代仁徳天皇・17代履中天皇・18代反正天皇・19代允恭天皇の時代(4世紀終わりから5世紀半ば)に淡路の記述が多く見られる。中でも海を生業の場にした人々「野嶋の海人」「御原の海人」のことが記されており、淡路と天皇家との深い関わりがうかがえる。
 淡路市野島平林の貴船神社遺跡は弥生時代末から古墳時代の製塩遺跡。兵庫県で初めて「石敷き製塩炉」が発見された。

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 淡路の南西部、鳴門海峡を望む南あわじ市阿那賀伊毘(あながいび)の無人島・沖の島に沖の島古墳群があります。6世紀から7世紀にかけて造られた海人族の古墳17基。海人族らしく副葬品は鉄製釣針、土錘(どすい)、蛸壺形土器、軽石製の浮子(うき)など。須恵器も出土しています。

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 沖の島南西3kmの鳴門海峡にできる渦潮(うずしお)を「観潮船」に乗って見学できます。3年前に行きましたが感動しました。自分で撮った写真と汽船会社の絵はがきです。NHKの取材班も乗っていて取材を受けましたよ。
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 淡路島には160基ほどの古墳が確認されているが、大型古墳や前方後円墳はなく、殆どが後期の古墳。
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律令期の淡路国の遺跡
 淡路は南海道に属し、一国として取扱われ等級は下国。津名郡と三原郡の2郡に分かれ、国府は三原郡に置かれた。
 また、淡路は朝廷に調として海産物を貢いだ「御食国(みけつくに)」の一つで、主に塩を貢いでいた。
 南あわじ市の嫁ヶ渕遺跡出土の製塩土器
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 47代淳仁天皇淡路陵(733年?-765年、南あわじ市賀集)

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 淳仁天皇は40代天武天皇の孫ですが、藤原仲麻呂の乱に連座したとして帝位を剥奪され、淡路に流され崩御。死因は不明、暗殺されたか。淳仁天皇という諡号は122代明治天皇がおくり、47代天皇となった。
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金田氏の講演は中世・近世にまで及びましたが割愛します。
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by enki-eden | 2013-09-03 00:26