古代史探訪

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三木城跡(国史跡)

 兵庫県三木市上の丸町
  
 三木城は美嚢川(みのうがわ)の南の台地にあり、天正6年(1578年)から2年半に渡って、別所長治と織田方の羽柴秀吉との間で三木合戦(三木の干殺し)の激しい攻防戦が繰り広げられました。
 織田信長が中国の毛利攻略の際、毛利側についた別所長治と羽柴秀吉が死闘を繰り広げ、兵糧攻めにより別所長治一族は自刃するが、その引き換えに城兵300名の命を守りました。
  
別所氏  
 平安時代の12世紀半ばに別所頼清(別所氏初代)が現在の三木市周辺を拠点にしていた。応仁の乱(1467年から1477年)の後、別所則治(11代目)が1492年頃に三木城を築いて初代城主となり、別所氏中興の祖と言われている。
 別所就治(13代目)は戦国大名として勢力拡大、東播磨八郡(美嚢郡、明石郡、加古郡、印南郡、加西郡、加東郡、多可郡、神東郡)を支配した。就治の孫・長治(15代目)の時に羽柴秀吉の攻撃を受け三木合戦となる。1580年に別所長治23才で自害し別所氏は滅んだ。

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 本丸周辺が上の丸公園として残っており、天守跡には別所長治の辞世句「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」の石碑があります。その北には城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」、そして近年に立てられた別所長治の乗馬像があります。
 小学校6年生の生徒に三木城跡を案内していた先生が、生徒に朗々と歴史の説明をしていました。私とすれ違う時に先生も生徒も「こんにちは!」と大きな声で挨拶してくれました。
     天守跡
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     天守跡に別所長治辞世の句碑
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     天守跡の北に建つ別所長治公の乗馬像
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     かんかん井戸
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     愛宕神社
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     三木城想像図
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 三木合戦で荒れた町を復興するために、各地から大工職人や鍛冶屋が集まり、三木市が「金物の町」と言われるようになりました。
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by enki-eden | 2013-10-24 00:07