古代史探訪

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上賀茂神社(かみがもじんじゃ)①

(賀茂別雷神社、かもわけいかづちじんじゃ)、下鴨神社と共に山城国一ノ宮。
京都市北区上賀茂本山339   電: 075-781-0011  有料駐車場があります。
世界文化遺産、賀茂川の東に鎮座。
祭神: 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
創建は40代天武天皇の時代(678年)。

赤のアイコンが上賀茂神社、黄が下鴨神社、青が神山



 山城国風土記逸文の賀茂伝説には、賀茂建角身命の子・玉依比売が「石川の瀬見の小川」(賀茂川)で川遊びをしていると、丹塗矢が川上から流れてきた。これを床の近くに置いていたところ、玉依比売は妊娠し男子を産んだ。これが賀茂別雷命です。「玉依比売」とは、神霊が憑依(ひょうい)する巫女という意味で、鴨族の玉依比売だから「鴨玉依比売」といいます。賀茂建角身命と玉依姫命は下鴨神社(賀茂御祖神社、かもみおやじんじゃ)の祭神です。
 昨年1月2日投稿の盟酒(うけいざけ、父親を占いで探す)の中で、盟酒によって賀茂別雷神の父親が誰かを占う記事がありますのでご参照ください。

 丹後一宮・籠神社の極秘伝に依れば、祭神の天火明命(海部氏・尾張氏の祖神)が賀茂別雷神と同一神との伝承があります。海部氏・尾張氏・賀茂氏は海人族ですから姻戚・同盟関係で、それぞれの祖神を同一と見なしていると考えられます。この海人族は九州と丹後から東遷し、大和葛城で合流。その後、賀茂氏は山城国へ移動、尾張氏は東海に移動しました。私見ですが、天火明の出生は西暦140年頃、賀茂別雷は200年頃と見ていますので、別神だと思いますが・・・神話と歴史を混ぜるなとおっしゃる方にはご容赦願いますね。

 京都三大祭は、葵祭が5月15日に京都御所から下鴨神社・上賀茂神社へ行列、7月1日から八坂神社の祇園祭が始まり、時代祭が10月22日の平安遷都の日に京都御所から平安神宮へ各時代の装束による行列が行われます。
 葵祭は京都最古の祭で、行列のすべてに葵の葉(双葉葵)が飾られます。主役は斎王代で、京都ゆかりの未婚女性から毎年選ばれます。7世紀に下鴨・上賀茂両神社の「賀茂祭」として始まり、17世紀終わり以降は「葵祭」と呼ばれています。平安時代には祭りといえば賀茂祭(葵祭)のことで、紫式部の源氏物語第九帖「葵」には賀茂祭のことを「祭(まつり)」と述べています。清少納言の枕草子第五段に「四月、(賀茂神社の)祭りのころいとをかし。」と述べています。
 そして「祭」と「の御紋」の徳川家の縁からでしょうか、幕府からの援助を受けています。
 下鴨神社については昨年1月6日の投稿、八坂神社については1月8日の投稿をご覧ください。

     社号標(賀茂大社)
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     一の鳥居を入り、振り返る。
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     二の鳥居
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     境内案内図
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     西の鳥居前の美しい紅葉。
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     西の鳥居
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 細殿(ほそどの)、1628年造替え、重要文化財。
 一対の大きな円錐形の盛り砂(立て砂)が印象的。立て砂は向かって左が陽で3本の松葉、右が陰で2本の松葉が上に挿してあります。立て砂は「神の依り代」です。
 立て砂は賀茂別雷大神が降臨した神山(こうやま、2km北)をイメージしているようです。
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 ユニークな手水舎。神山からの神聖な湧水で、「神山湧水(こうやまゆうすい)」と説明板があります。
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 御物忌川(おものいがわ、みものいみがわ)の向こうに赤い玉橋(重要文化財の太鼓橋)と楼門(重要文化財)が見えます。全て朱塗りです。
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 拝殿は工事中でした。本殿と権殿(ごんでん)は国宝で1863年に造替された三間社流造です。権殿は本殿が非常の場合に神儀を遷す御殿です。
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    由来の説明板(京都謡曲史跡保存会)
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by enki-eden | 2014-01-04 00:08