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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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奴国の紀元と西暦

 日本書紀の神武天皇の巻に、「天孫が降臨されてから、179万2,470余年になる。」とあります。私は神武天皇の生没年を西暦180年頃~245年頃と見ています。卑弥呼は175年頃~247年頃ですから2人とも同じ頃に生まれ、同じ頃に亡くなったと考えています。
 日本書紀の神武天皇の巻ですから、「179万2,470余年」という極端に長い年限は神武天皇の生没年を示唆していると見れば、「179万」が神武天皇の生年で西暦179年生まれ、「2,470余年」が崩御年で西暦247年か248年と考えられます。日本書紀には随所に「春秋の筆法」が使われており、異常な表記があれば「ここを注意しなさいよ!」という暗示だと考えられます。春秋の筆法については、2012年12月27日(木)投稿の「日本書紀の筆法」をご覧ください。

 日本書紀の神功皇后の巻に、魏志倭人伝の記事が記されています。「神功皇后39年、己未(景初3年、西暦239年)に倭女王は大夫難斗米(難升米)らを洛陽に遣わせた。43年(正始4年、243年)、大夫伊声者掖耶らを遣わせた。」(卑弥呼の記事)
 晋の起居注の記事も引用されており、「66年(泰初2年、西暦266年)、倭の女王が朝貢した。」(臺與の記事)

 神武天皇の年限が西暦と関係があるように見える事と、神功皇后年に200年を足すと西暦年になる事から、記紀成立の8世紀には日本に西暦の知識があったという説があります。

 西暦に関しては、西暦731年にイギリス教会史をキリスト紀元で著して以降、10世紀頃にヨーロッパの一部の国で西暦が使われ始め、ヨーロッパで一般化したのは15世紀頃であるという。西暦が国際社会でもっとも使われる年号となった理由は、キリスト教国であるヨーロッパ各国の世界進出により、非キリスト教国でも西暦が普及したからで、それは大航海時代(15世紀から17世紀)によるものです。(ウィキペディアより要約)

 従って、記紀成立の8世紀初めの日本に西暦の知識があったわけではありません。これは偶然に西暦の紀元と漢委奴国の紀元が一致しているからだと私は考えています。
 更に私見になりますが、初代の漢委奴国王は国常立尊(くにのとこたちのみこと、西暦57年に後漢に朝貢、漢委奴国王金印)で、国常立尊の出生年が漢委奴国の元年となったのではないか。
 その元年が偶然に西暦元年と一致したと私は見ています。4代目の漢委奴国王が角杙尊(つのくいのみこと)で、107年に後漢に朝貢、倭王を兼任して倭王帥升(すいしょう)となります。7代目の奴国王兼倭王は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)で西暦125年頃の出生と見ています。(神世7代、かみよななよ)

 奴国から倭国へ、更に邪馬台国から大和朝廷へと王統は連綿と続き、神話の時代(弥生時代後期、1世紀から3世紀)から古墳時代(3世紀から6世紀)へと移っていったのではないでしょうか。連綿と続く王統であっても、皇室には別の系統が何度か入ってきます。その場合でも皇室のシムテムはそのまま継承され、王妃は皇室から出ていますので王統は守られたと考えられます。従って、神話の時代の年限もある程度正確に近い「当たらずと言えども遠からず」の年限推定が可能だと考えています。

 歴代天皇の中で、21代雄略天皇から暦がはっきりしてきますので、そこから逆算して初代神武天皇までの生没年概算を求めることができます。ただ、17代履中天皇からは同世代の兄弟や皇族で天皇職を継承していきますが、初代から16代までは全て親子による継承となっていますから、これは修正が必要です。
 天皇家に仕えた物部氏、葛城氏、和珥氏(和邇)、海部氏、尾張氏、紀伊氏、倭氏、三輪氏などの系譜には誰がどの天皇に仕えたかの記録が残っています。系譜をつき合わせることで、例えば初代神武天皇から10代崇神天皇までは5世代か6世代だと分かります。
 更に、それ以前の神話の時代(弥生時代後期、1世紀初めから3世紀中頃)の年限推定もある程度可能です。いつも言っていることですが、神話と歴史を混ぜるなとおっしゃる方にはご容赦願いますね。

 日本書紀の神功皇后の巻では、魏志倭人伝と起居注の年代を神功皇后年に200年を足していますが、神功皇后自身の記事に関しては神功皇后年に320年(200年+120年)を足しています。120年の違いは卑弥呼と神功皇后の時代の差です。
 神功皇后49年西暦369年)に千熊長彦が新羅討伐に行った。神功皇后52年(372年)に百済が久氐を日本に派遣し、千熊長彦と共に七支刀を献上しました。現在七支刀は奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)に所蔵されています。
 神功皇后55年(375年)に百済の肖古王(正しくは近肖古王、375年没)が亡くなった。
 神功皇后56年(376年)に百済の貴須(くるす)が王となる。百済では375年になっている。貴須王が神功皇后64年(384年)に亡くなる。百済でも384年になっている。
 神功皇后62年(382年)に葛城襲津彦が新羅を討つ。
 神功皇后65年(385年)に百済の枕流王(とむるおう)が亡くなる。
 神功皇后69年(389年)に神功皇后崩御。私見ですが、神功皇后の生年は330年頃と見ており、仲哀天皇より10年ほど若いです。

 神功皇后の活躍時期は卑弥呼と臺與の活躍時期とは100年前後の違いがありますが、神功皇后が筑紫に遠征した時に、必ず2人の女王(卑弥呼と臺與)の宮があった所に行って祈祷し、祠を造らせていると思います。
 日本書紀によりますと、「仲哀天皇が香椎宮で亡くなったので、神功皇后は斎宮(いわいのみや)を小山田邑に造らせた。そして自ら神主となり神託を伺い、神を祀った。」とあります。
 香椎宮の東3.3kmの福岡県糟屋郡久山町山田1863に若宮八幡宮が鎮座しており、裏山に古墳があるそうですが、斎宮はこの山田地区近辺でしょう。若宮八幡宮から2.8km北東の糟屋郡久山町猪野604に天照皇大神宮(通称は伊野皇大神宮)が鎮座。糟屋郡久山町は福岡平野のすぐ隣にあり、周りを山で囲まれていますから、奴国王の宮を造るには条件が良いと思います。卑弥呼の奴国での宮は、平野部の香椎宮から山沿いの久山町あたりにあったのではないでしょうか。

  香椎宮



  若宮八幡宮



  伊野皇大神宮



 有名なブログ 「ひもろぎ逍遥」に「小山田斎宮」が載っています。小山田斎宮は古賀市にあることが分かりました。
     
 卑弥呼の墳墓は奴国ではなく、伊都国に造られたと推測しています。奴国には大王墓に匹敵するような墳墓は今までのところ発見されていません。伊都国には、三雲南小路王墓、井原鑓溝王墓、原田大六氏で有名な平原王墓など多くの大王墓があります。奴国と伊都国は姉妹国家のような間柄だったのか、あるいは2世紀以前は合体していたのかもしれません。
奴国の紀元と西暦_d0287413_121114.jpg


 また、神功皇后は新羅遠征の帰りに穴門(山口県下関市)の山田邑に住吉大神の荒魂(あらみたま)を祀ったとあります。下関市一の宮住吉1-11-1に鎮座の住吉神社(長門一宮)です。
 神功皇后は穴門に豊浦宮を造らせています。下関市大字豊浦村(とよらむら)として地名が残っています。  近くの下関市長府宮の内には忌宮神社(いみのみやじんじゃ、長門二宮、豊浦宮跡)が鎮座しています。

  住吉神社


  忌宮神社




 このあたりが臺與の宮があった所ではないかと私は考えています。臺與は266年に西晋に朝貢してからは、大陸内乱と列島の中心地域が筑紫から大和に移ったことで、270年頃に大挙して大和へ東遷したのではないかと考えています。その場合は狗奴国が筑紫を支配することになったでしょう。
 臺與は295年頃に大和で亡くなり、箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫)に葬られたのではと考えています。しかし、文献には臺與東遷の記述はありませんので、私見です。大和での今後の発掘報告に期待をしています。


 10代崇神天皇陵の向かいにある黒塚古墳の出土物に難升米の黄幢かもしれない出土物があります。正始8年(248年)に邪馬台国と狗奴国の和平を仲介するために帯方郡の塞曹掾史張政が倭国に渡り、難升米に黄幢(軍旗)と詔書を手渡しています。「黒塚古墳」については、2012年12月25日(火)の投稿をご覧ください。
 文献資料や神社伝承と考古学などを綜合して古代史を考える必要があると私は考えています。

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女子フィギュアスケート、浅田真央が世界中から賞賛!
 ショートプログラムで浅田真央の体が動かなくて、思いもかけない不調で皆が心配していました。私も気分が沈み、寝不足もあって落ち着きませんでした。
 ところが、フリーの演技で渾身のパフォーマンスを世界に発信できて、世界中から賞賛の温かいコメントが寄せられました。メダル以上の感動と涙を世界中に与えてくれましたよ! 私も家内も幸せな気分に戻りました。
 ロシアのプルシェンコは引退する予定ですが、4年後に体調が戻ればオリンピックに復活するかもしれませんね。プルシェンコはツイッターで浅田真央に「君は偉大だ! ありがとう! 君は真の戦士だ!」と英語で絶賛しています。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp

by enki-eden | 2014-02-23 00:07