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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)

 奈良県高市郡明日香村飛鳥(甘樫丘のすぐ東に位置する。)

 水落遺跡


飛鳥資料館



 
 飛鳥は飛鳥時代(592年から710年、33代推古天皇から43代元明天皇)の日本の政治・経済・文化の中心でした。
 飛鳥の水落遺跡は特異な基壇を持つ大形の正方形建物遺構(水時計建物)です。基壇は1辺22.5mで4辺に石敷き溝がある。石敷き溝の底は石を並べ、方台側の縁には自然石を17度の傾斜で敷いている。基壇内には木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などがある。
 基壇内に飛鳥川から導水して基壇上へ人力で汲み上げる装置があり、中国の元・明・清代の漏刻の受水槽と同様に黒漆塗りの木箱の痕跡が検出されている。

 これらの遺構は660年、37代斉明天皇(594年-661年)6年の時、中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡と考えられている。 日本書紀の斉明天皇6年5月に「皇太子(中大兄皇子)が初めて漏刻(水時計)をつくり、人民に時を知らせるようにされた。」と記されています。
 基壇の中に二階建ての建物(4間四方総柱の時計塔)の地下に木樋や銅管を使って水時計を動かす水を取り込んでいます。一階に水時計、二階に時を知らせる鐘があったと考えられています。
 出土した土器から650年~660年代の間に造営され廃絶したと推定されている。中大兄皇子は白村江の敗戦後、667年に都を近江に遷し、翌年38代天智天皇となりました。そして671年、飛鳥から近江に移設した水時計により、鐘や太鼓で時を知らせました。
     水落遺跡の説明板
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    四間四方総柱の建物跡
    南から、後方の建物は明日香村埋蔵文化財展示室。
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    北から
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    南から溝の石敷きを見る
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    建物北の柱跡
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    のどかな明日香村の東方向を望む。
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 ここから50m東の石神遺跡から須弥山(しゅみせん)、道祖神(どうそしん)の石造物、水路などが出土。水落遺跡と関連があると考えられている。
 須弥山石作製については、日本書紀の推古天皇20年5月、斉明天皇の3年7月に記述があります。

 須弥山石(飛鳥資料館展示)、高さ2.3mの3段の石であるが、下段と中段の中のくり抜きが繋がらないため、間にもう一段あったと考えられている。噴水装置になっている。
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    飛鳥資料館前庭の須弥山石レプリカ、4段で復元。
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 石人像(飛鳥資料館展示)、高さ1.7m、7世紀の製作。噴水になっており、石人像は胡人と見られる。
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       飛鳥資料館前庭の石人像レプリカ
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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp


by enki-eden | 2014-03-13 00:12