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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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明日香村埋蔵文化財展示室

 古代文化の香り豊な郷・明日香村
 奈良県高市郡明日香村飛鳥112  電話0744-54-5600
 甘樫丘の東向かいにあります。 「あすか夢の楽市」(地元の産物販売)が隣にあり、どちらも旧飛鳥小学校の校舎を利用しています。
 明日香村文化財課が発掘調査を行ってきた遺跡の出土品を中心に展示、入場料は無料、駐車場も無料です。駐車場の南には水落遺跡(みずおちいせき)があります。


     展示室入り口
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 牽牛子塚(けんごしづか)古墳は明日香村大字越にある7世紀中頃の古墳で、別名は御前塚、あさがお塚(牽牛子は朝顔の漢名)とも呼ばれています。
 被葬者は37代斉明天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ、36代孝徳天皇皇后)と考えられています。宮内庁治定の斉明天皇陵は2.5km南西の越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)になっています。宮内庁は一旦決まったことは変更しません。


 墳丘は八角形で石敷きと砂利敷きを含むと長さ32mほど、高さ約4.5mで、版築による三段築成になっています。また、三角柱状に削った白色凝灰岩の切り石やその破片が数百個以上出土しており、これらの切り石はピラミッド状に積み上げて墳丘斜面を装飾していたらしく、その総数は約7,200個に及ぶと推定されています。
 石材は15km北西の二上山西麓の凝灰岩を使用しています。
 西暦587年に物部守屋が滅ぼされ、物部氏が関わって300年続いた定型式前方後円墳は新たに築造されなくなり、皇族の陵墓は八角墳となりました。

      牽牛子塚古墳復元模型(八角形)
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 牽牛子塚古墳石槨の写真パネル。巨石をくり抜いた横口式石槨が南側を向き、中央に間仕切りの壁があります。左右に長さ2mの墓室があり、壁は漆喰が塗られていた。
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     牽牛子塚古墳石槨模型
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     牽牛子塚古墳石槨名称図
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 牽牛子塚古墳の凝灰岩の内扉(閉塞石、高さ約112cm、幅約147cm、厚さ約62cm)(外扉は安山岩系の石材を用い、高さ約240cm、幅約269cm、厚さ約63cmの大きさであった。)
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 キトラ古墳は明日香村南西部の阿部山に7世紀末頃に築かれた2段築成の円墳で、石室内に壁画があります。当時の明日香は「飛ぶ鳥の明日香」と言われたように湿地帯で、「キトラ」は「北浦」が訛ったものと考えられます。
 被葬者は諸説ありますが、私見では天武天皇の皇子・高市皇子(696年没、暗殺か)の可能性を考えています。同じような壁画のある高松塚古墳の被葬者は天武天皇の皇子・弓削皇子(699年没、暗殺か)ではないかと見ています。高松塚古墳はキトラ古墳の北1.2kmにあります。
   キトラ古墳の石槨模型(実物大、飛鳥時代)
   星座、玄武、青龍、朱雀、白虎、十二支が描かれています。
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    キトラ古墳天井石の星座
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    高松塚古墳
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    日本書紀の写本
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    これ以外にも多くの展示物があります。
by enki-eden | 2014-03-16 00:16