2014年 04月 15日
神武天皇社(御所市柏原)
奈良県御所市(ごせし)柏原字屋舗 水平社博物館(0745-62-2288)の東隣
祭神: 神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)
境内社: 火産霊社、厳島社
境外摂社: 嗛間神社(ほほまじんじゃ、ホンダワラの宮、祭神は吾平津媛)
神武天皇社の南50m。
神武天皇妃の吾平津媛は東遷せずに日向に残ったと云われますが、一緒に来てこの地に住んだとも云われます。
吾平津媛は「さわりの神」と称され、伝承によると、神武天皇が大和を平定した後、三輪の大物主神の娘・媛蹈鞴五十鈴媛命を皇后に迎えたために、吾平津媛はやむなくこの地に侘び住まいしたと伝えられています。 その怨念が夫婦の縁を呪うと云われ、当地では昔から嫁入りの行列はこの神社の前を通ってはならないとされていた。
神武天皇が東遷して大和で最初に住んだのは御所市柏原の当地でしょうか。その後、媛蹈鞴五十鈴媛を皇后として、4km北東の橿原に移って大君として即位したか。
神武天皇は御所市柏原で即位したという説もあります。畝傍山がある橿原市は江戸時代には「橿原」という地名はなかったようです。明治政府によって橿原神宮が1890年(明治23年)に創建されました。
橿原市は、1956年(昭和31年)2月11日に高市郡八木町、今井町、畝傍町、鴨公村、真菅村、磯城郡耳成村が合併し橿原市となりました。
昔は、御所市から橿原市に流れてくる曾我川の水で禊(みそぎ)が行われていたようです。
神武天皇社の北にある本馬山(143m)は、神武天皇が国見をしたといわれています。日本書紀の神武天皇31年4月1日、天皇は腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘に登られ、国のかたちを見ていわれるのに、「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国ではあるけれども、蜻蛉(あきつ)がトナメしているように、山々が連なり囲んでいる国だなあ」と。これによって始めて秋津洲(あきつしま)の名ができた。
「ほほ」は火の穂、波の穂の「ほ」と同じで、「まほろば」の「まほ」も同じ。「ほほまの丘」は美しい丘という意味です。現在は本馬山と云うが、頂上にハライタ山という土壇があり、吾平津媛を祀った跡だと伝えられています。本馬山の西の麓には本馬村があります。
1736年の大和誌には、「橿原宮、柏原村にあり」と記し、本居宣長も1772年の「菅笠日記」に「畝傍山の近くに橿原という地名はなく、1里あまり西南にあることを里人から聞いた」と記している。
神武天皇社入り口の鳥居と拝殿、後方の山は本馬山


拝殿



境内西に王城院と地蔵堂があります。


境外摂社の嗛間神社、吾平津媛が住んでいたといわれる。


嗛間神社前の町並みは趣があります。

本馬山

私見になりますが、初代神武天皇の生年は西暦180年頃、筑紫から大和への東遷開始は204年頃、大和での即位は211年頃、崩御は245年頃と見ています。ほぼ、卑弥呼と同じ時代です。
神武天皇よりも後の時代になりますが、大和における有力豪族の本拠地を次に示します。

印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
祭神: 神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)
境内社: 火産霊社、厳島社
境外摂社: 嗛間神社(ほほまじんじゃ、ホンダワラの宮、祭神は吾平津媛)
神武天皇社の南50m。
神武天皇妃の吾平津媛は東遷せずに日向に残ったと云われますが、一緒に来てこの地に住んだとも云われます。
吾平津媛は「さわりの神」と称され、伝承によると、神武天皇が大和を平定した後、三輪の大物主神の娘・媛蹈鞴五十鈴媛命を皇后に迎えたために、吾平津媛はやむなくこの地に侘び住まいしたと伝えられています。 その怨念が夫婦の縁を呪うと云われ、当地では昔から嫁入りの行列はこの神社の前を通ってはならないとされていた。
神武天皇が東遷して大和で最初に住んだのは御所市柏原の当地でしょうか。その後、媛蹈鞴五十鈴媛を皇后として、4km北東の橿原に移って大君として即位したか。
神武天皇は御所市柏原で即位したという説もあります。畝傍山がある橿原市は江戸時代には「橿原」という地名はなかったようです。明治政府によって橿原神宮が1890年(明治23年)に創建されました。
橿原市は、1956年(昭和31年)2月11日に高市郡八木町、今井町、畝傍町、鴨公村、真菅村、磯城郡耳成村が合併し橿原市となりました。
昔は、御所市から橿原市に流れてくる曾我川の水で禊(みそぎ)が行われていたようです。
神武天皇社の北にある本馬山(143m)は、神武天皇が国見をしたといわれています。日本書紀の神武天皇31年4月1日、天皇は腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘に登られ、国のかたちを見ていわれるのに、「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国ではあるけれども、蜻蛉(あきつ)がトナメしているように、山々が連なり囲んでいる国だなあ」と。これによって始めて秋津洲(あきつしま)の名ができた。
「ほほ」は火の穂、波の穂の「ほ」と同じで、「まほろば」の「まほ」も同じ。「ほほまの丘」は美しい丘という意味です。現在は本馬山と云うが、頂上にハライタ山という土壇があり、吾平津媛を祀った跡だと伝えられています。本馬山の西の麓には本馬村があります。
1736年の大和誌には、「橿原宮、柏原村にあり」と記し、本居宣長も1772年の「菅笠日記」に「畝傍山の近くに橿原という地名はなく、1里あまり西南にあることを里人から聞いた」と記している。
神武天皇社入り口の鳥居と拝殿、後方の山は本馬山


拝殿



境内西に王城院と地蔵堂があります。


境外摂社の嗛間神社、吾平津媛が住んでいたといわれる。


嗛間神社前の町並みは趣があります。

本馬山

私見になりますが、初代神武天皇の生年は西暦180年頃、筑紫から大和への東遷開始は204年頃、大和での即位は211年頃、崩御は245年頃と見ています。ほぼ、卑弥呼と同じ時代です。
神武天皇よりも後の時代になりますが、大和における有力豪族の本拠地を次に示します。

by enki-eden
| 2014-04-15 00:15

