古代史探訪

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七宮神社(しちのみやじんじゃ、神戸市)

 兵庫県神戸市兵庫区七宮町2丁目3-21 電078-671-3338 無料駐車場あります。
 祭神 大己貴命
 相殿 大日霊貴命、天児屋根命

 創建は、神功皇后が新羅遠征の帰途、生田神社の裔神八柱の神を八ヶ所に奉斎、7番目に兵庫津に大己貴命を祀ったと云われる。12世紀半ばに平清盛の兵庫津整備に際し、産土神として社殿を整備拡充した。
 兵庫の津を管理していた北風家が会下山(えげやま、神戸市兵庫区会下山町)の邸宅で祖神の天児屋根命を祀っていたが、七宮神社に合祀した。
 北風家は明治時代に66代目で途絶えた兵庫県の旧家で、兵庫廻船問屋として北前船や兵庫津の発展に貢献した大富豪であった。先祖の家系は3世紀の皇族由来で、4世紀には神功皇后の新羅遠征に従い功績を残した。神功皇后から鎧を賜り、兵庫津などの管理を一任される。
 北風家は身分に関わらず人を非常に大切にしたが、南北朝時代にできた家訓は現代人にも必要な教えだと思います。家訓の一部を現代語で。
   『境遇に耐え、人を増やし、財産も増やして、時を待ち、再び公に奉仕せよ。
   人が増えても、わが人と思うな。財産が増えても、わが財産と思うな。
   それは全て公に奉仕する為にそなたたちに一時預けられているものである。』



     由緒
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 神社の東の道路。地名が神社由来の七宮町になっており、横断歩道にも七宮歩道橋とあります。神社の北は国道2号線と阪神高速3号神戸線が走っています。
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 神戸市中央区の生田神社を守るように取り囲む八社を「生田裔神八社、いくたえいしんはちしゃ」と呼び、一宮から八宮まであります。当社は七宮です。
 生田神社については2013年4月17日(水)の投稿を、三宮神社については2013年4月20日(土)の投稿をご覧ください。
     神社の説明板には「港神戸守護神 厄除八社」と記されています。
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     南からの入り口、鳥居と社号標。
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     東からの入り口、注連柱と社号標
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 平安遷都は奈良時代の寺院による政治への干渉を避けることが目的の一つでしたが、それから400年経った平家全盛の時代にも寺院勢力の圧力が強く、貴族社会も閉鎖的・保守的で政治・経済・社会は膠着状態にあった。
 平清盛(1118年-1181年)は1180年6月に国の制度改革のため、また宋との貿易拡大のために摂津国福原(神戸市兵庫区)に遷都を実行。清盛は福原遷都と共に守護神として当社を尊崇した。
 しかし、清盛の強引で横暴な進め方により寺院・貴族勢力の反発を受け、また武士階級の全国的な内乱状態が発生、清盛は11月末に京都に帰還、福原遷都は失敗となる。
 清盛は翌年に高熱で病死。1185年の壇ノ浦の戦いで平家は敗北し、鎌倉幕府の武士社会に移行することになる。

 当社は1945年に戦災で焼失、1995年の阪神淡路大震災でも被害を受けたが、2001年に再建された。
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     手水舎
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     再建された立派な社務所
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     拝殿前の狛犬
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     兵庫大神宮とあります。
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 拝殿前のイカリ。廻船問屋の象徴、港神戸の象徴です。
 六甲山系の碇山(いかりやま)にはイカリの電飾があり、東隣の市章山の神戸市章と共に神戸のランドマークとなっている。
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     拝殿
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     拝殿内、港神戸らしく操舵輪が見えます。
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     本殿、千木は外切り、鰹木は5本。
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by enki-eden | 2014-08-17 00:11