古代史探訪

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高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)

 高天原の三柱の神(造化の三神)は天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊で、次に二柱の神が現れた。可美葦牙彦舅(うましあしかびひこじ)尊と天常立(あめのとこたち)尊で、五柱の神を別天津神(ことあまつかみ)と云う。
 五柱の神は独神(ひとりがみ)で、私見による時代はBC1世紀と考えられる。神話と歴史を混ぜるなと言われる方々にはご容赦願いますね。私は神話を古代人なりの歴史だと捉え、現代人が理解できるように復元を試みているのです。

 天照大神と共に高天原(たかまのはら)と葦原中国(あしはらのなかつくに)を支配した高皇産霊尊(高木神)は2世紀から3世紀前半に活躍した神だから、別天津神の高皇産霊尊と名は同じでも別の神です。同じ血統かもしれません。私見では、高皇産霊尊は素戔嗚尊と同じ西暦140年頃の出生と見ています。

 次の地図の赤い囲いは私見による高皇産霊尊の版図ですが、高天原は朝倉市の山沿いでしょうか。
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高皇産霊神を祀る神社
 春日神社(福岡県田川市宮尾町6‐13)、この地は饒速日尊降臨伝承地。
 祭神 豊櫛弓削遠祖高魂産霊命(とよくしゆげのとうそたかみむすびのみこと)他
     物部氏との関係も深い。

 高木神社(福岡県嘉麻市小野谷1580番) 
 祭神 高御産巣日神。
 神武天皇が東遷時(西暦204年頃)ここに高皇産霊神を祀った。高木神社は多く、
 福岡県嘉麻市、福岡県田川郡、福岡県朝倉市、福岡県久留米市、福岡県筑紫野市など
 に30社ほど鎮座している。 
 神武天皇は大和に来ても高皇産霊神を祀っている。

 高良大社(福岡県久留米市御井町1番地) 式内社・名神大社で筑後国一宮
 主祭神の高良玉垂命は元の祭神・高木神に取って代わったと云われる。

 日本書紀によると、高皇産霊尊の子は1,500人程と云うが、思兼命(信濃国阿智氏の祖)、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ、天忍穂耳命妃)、天忍日命(大伴氏の祖)、三穂津姫(大国主命妃)、天太玉命(忌部氏の祖)、天活玉命(倭久連等祖)、天明玉命(伊弉諾尊の子とも云う)、少彦名命(神皇産霊神の子とも云う)などがいる。
 その中で天太玉命・天活玉命・天明玉命は饒速日命と共に185年頃に大和へ東遷している。思兼命の子・天表春命と天下春命、天活玉命の子・天三降命、少彦名命の子・少彦根命も随伴している。
 高皇産霊尊と饒速日尊は関係が深い。

 高皇産霊尊は高天原の主(あるじ)で政治力、軍事力、経済力が強かった。祭祀は天照大神が司り、政治は高皇産霊尊が執り行った。
 天照大神と素戔嗚尊の子・天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の娘・栲幡千千姫命を娶って、瓊瓊杵(ににぎ)尊を産んだ。それで高皇産霊尊は皇祖となった。後代に大和で葛城氏、物部氏、蘇我氏、藤原氏などが娘を皇室に嫁がせて権力を握ったやり方です。
 記紀による系図では次のようになっています。
 図をクリックしてからプラスマークをクリックすると拡大します。
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 私見では、神武天皇(西暦180年頃出生)は素戔嗚や高皇産霊の孫の世代だと考えています。

 本来の皇祖は素戔嗚尊ですが、高天原を追い出され、天津神から国津神に変えられてしまいました。2世紀終わりの倭国大乱の責任を取って、倭王の伊弉諾尊は淡路島に隠遁してしまう。倭国大乱は、倭王の伊弉諾尊に対して出雲の製鉄王の伊弉冉尊と素戔嗚尊が対抗した争いだったのでしょうか。
 大己貴神(おおなむちのかみ、大国主命)の支配する葦原中国は200年頃、高皇産霊尊に国譲りを強制される。倭国は高皇産霊尊が政治を司り、天照大神が祭祀を司ることになる。これは卑弥呼が倭国の女王に就任した頃(西暦201年頃)の北部九州の情勢です。

 私見ですが、天照大神は卑弥呼と臺與の集合体で、高皇産霊尊も2代から3代の集合体だと見ています。そして2代目女王の臺與は270年頃にミマキイリヒコ(10代崇神天皇)と共に大和へ東遷したのではないでしょうか。

 高皇産霊尊は天孫降臨、饒速日東遷(185年頃)、神武天皇東遷(204年頃開始)にも力を入れた。これ以降は(老齢のため)天忍穂耳尊を高木神として2代目高皇産霊尊に就任させたと考えられる。
 英彦山(ひこさん、1,199m)に英彦山神宮(福岡県田川郡添田町大字英彦山1)が鎮座。主神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)です。

 高皇産霊尊由来の神社名や地名に高(たか)、鷹(たか)がよく使われている。「鷹羽の紋」も使われる。たかとり(高取、鷹取)、たかす(高須、高巣、高祖、高住、鷹須、鷹巣、鷹栖)、たかみ(高見、鷹見)、ひたか(日高)などたくさんあります。

 地名の大分県日田市も日高・日鷹が由来かもしれない。日田市日高町のダンワラ古墳出土とされる金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう、後漢製、国の重要文化財)は鉄鏡に金メッキと宝飾を施し「長宜子孫」銘入りで、漢や魏では皇帝だけが所持していた。倭国では高天原の主が所持していたのでしょうか。
 日田市は大分県であるが、方言は福岡県・熊本県に近いようです。久留米とは筑後川の水運で繋がっていた。

 高皇産霊尊は宮中八神殿の第二殿で大御巫(おおみかんなぎ)によって奉斎されていたが、現在の八神は宮中三殿の向かって右の「神殿」に天神地祇と共に祀られている。天照大神(八咫鏡)は中央の「賢所、かしこどころ」に祀られており、向かって左は「皇霊殿」です。
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 高皇産霊尊は皇室の最高神であったが、7世紀後半から8世紀初め(40代天武天皇、41代持統天皇の時代)に天照大神が最高神となり、持統天皇(高天原広野姫天皇)は自らを天照大神に重ね合わせていく。

 高皇産霊尊の子孫は葛城氏、紀氏、大伴氏、忌部氏、賀茂氏など多くの豪族に分かれ、それぞれ系図が整っている。現在までで約1,900年間、85代前後になります。
 我が家にも家系図がありますが、最初に記されている人は西暦1,600年頃の出生で、私の孫の出生まで400年間に16代です。豪族系図の五分の一の期間・世代しかありません。
 系図や伝承は間違いも多いですが、85代も先祖を遡れる家系はすごいものです。
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by enki-eden | 2014-11-23 00:10