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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ、橿原市)

奈良県橿原市忌部町153  電0744-21-3215  駐車場なし。
大和国高市郡忌部村、曽我川の西に鎮座。
祭神 天太玉命、大宮売命、豊石窓命、櫛石窓命

 当地は現在でも忌部町の名が示すように忌部氏(斎部氏)の本拠地であり、当社は忌部氏の祖神である天太玉命を祀る氏神であった。
 古語拾遺と先代旧事本紀によると、天太玉命は高皇産霊尊の子となっている。
 西暦185年頃の饒速日尊東遷に随伴して大和国にやってきた。

 橿原市曽我町にある曽我遺跡は、畿内を代表する古墳時代の玉作り工房跡である。5世紀後半から6世紀前半にかけて、勾玉、管玉、丸玉、小玉などの玉製品が生産された。
 発掘で出土した玉類は約80万点もあり、原材料の滑石や碧玉、緑色凝灰岩、琥珀、水晶などのほとんどが、遠方の地から大和国に搬入されたものである。玉を磨く砥石も出土している。
 この朝廷直属の玉作り工房を運営していたのは大和朝廷の祭祀を司った忌部氏で、遺跡は天太玉命神社の500m北にある。バイパス工事で見つかった。

   



 中世には天太玉社として興福寺の配下にあったので春日神社と称していたが、近世に今の社名に戻した。

 大和朝廷の祭祀を司っていた忌部氏は中臣氏の勢力に押され衰退していったので、これを嘆いた斎部広成が忌部氏の伝承を807年に記し、51代平城天皇(774年-824年)に「古語拾遺」として奉った。

 祭神の大宮売神(おおみやめのかみ)は宮中八神殿の第六殿に祀られていた神で、古語拾遺によると天太玉命の子(天細女命)とある。市の神、食物の神で稲荷神社との関係が深い。
 豊石窓命(とよいわまど)と櫛石窓命(くしいわまど)も古語拾遺によると天太玉命の子で、門を守る天石門別神(あめのいわとわけのかみ)と云われる。
 天照大神が天岩戸を少し開けた時に岩戸を押し広げ、天照大神を引き出した手力雄命と同神という説もある。

 忌部氏については8月20日投稿の「忌部氏」をごらんください。

     鳥居と社号標
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     手水舎
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     二の鳥居と拝殿
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   拝殿から本殿を望む。 拝殿の後ろに太い楠の神木が見える。
   本殿右の境内社が玉依姫命神社(玉依姫命)、左は春日神社(天児屋根命)。
   拝殿の壁には大きな絵馬が掛かっており、天照大神が天の岩屋から出てくる場面。
天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ、橿原市)_d0287413_1530282.jpg

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     外からは本殿の屋根が少しだけ見える。
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 拝殿の左手前に境内社の杵築神社(素戔嗚尊)。石灯篭に岡本天王社と記されているので、曽我川の東から当社境内に遷座してくる前の社名か。
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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp


by enki-eden | 2014-12-14 00:22