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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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生矢神社(いくやじんじゃ、姫路市)

 兵庫県姫路市手柄91  電079-297-6749  無料駐車場あります。
 祭神 大国主命、須世理姫命(素戔嗚命の娘、大国主命の妃)。
 ご利益は諸願成就、商売繁盛、五穀豊穣、良縁祈願、病気平癒など。

 神功皇后(321年-389年)が新羅遠征の際(362年)に、麻生山(あそうさん、172m、別名小富士山)に登り、戦勝を大己貴命に祈った。事の始まりを告げるために放った3本の矢の2本目がこの地に落ちたと云う伝承により、平清盛(1118年-1181年)が大己貴命を生矢大明神としてお祀りした。

 麻生山は当初大己貴命に因んで醜男山(しこおやま)と云われていたが、神功皇后伝承後は麻生山と変わった。麻生山麓には麻生八幡宮(仲哀天皇、神功皇后、応神天皇)、住吉神社、大歳神社、大年神社、祖道神社、光大寺八幡宮(品陀別命=応神天皇)など神社が多い。

 祭神の大国主命(160年頃-220年頃)は出雲国を本拠地として、北部九州の宗像国及び周辺国(葦原中津国)の王であったが、200年頃に高皇産霊尊から国譲りを強制され出雲国に戻った。子の事代主命は国譲りを受け入れたので子孫は大和国で主要豪族となった。国譲りに反対した建御名方命(たけみなかた、母は越の沼河比売)は追放され諏訪へ逃れたとされており、諏訪大社に祀られている。
 須世理姫命(165年頃出生)の母は佐美良比売で祓戸神(はらえどのかみ)の速佐須良姫とも云われる。

 

   南の入り口の社号標と奥に鳥居。
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 東の入り口、右の石柱に神紋の「丸に並び矢」、左に「丸に三本杉」が刻まれている。
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   手水舎
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鳥居と後ろの階段を昇ると拝殿へ。灯篭の宝珠部分は剣(矛?)になっている。
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拝殿、注連縄の向きが反対になっている。祭神が大国主命だから出雲大社と同じか。
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 絵馬が多い。両部額に「手柄山三和社」と記されている。背後の手柄山は元は三和山(三輪山)とも云われ、当社も三和山社(三輪山社)とも云われた。
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   拝殿内
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   本殿
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境内社は右に狭井社(天細女命、あめのうずめ)と
老翁社(おきなしゃ、太魂命)。左は若宮社(菅原道真公)
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 右に荒魂社(あらたましゃ、奥津彦命)と左に稲荷社(稲荷大明神)。
 奥津彦命は竈の神で、大歳神と天知迦流美豆比売の第一子。
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 系図、図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。
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   社務所
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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp



by enki-eden | 2015-03-12 00:16