2015年 08月 06日
英賀神社(あがじんじゃ、姫路市)
播磨国飾磨郡英賀(しかまぐんあが)の里に鎮座、国史見在社。
兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2丁目70 電079-239-6921
駐車スペースあります。
祭神 英賀彦神(あがひこ、伊和大神の御子)、英賀姫神(妃神)、
天満大神(菅原道真公、学問の神様、雷神)、
八幡大神(誉田別尊、15代応神天皇、武神、海の神様)、
春日大神(天児屋根命、藤原氏の氏神)。
英賀(あが)の地名由来は祭神の英賀彦神による。
祭神の菅原道真公(845年~903年)、誉田別尊(362年~403年)、天児屋根命(3世紀)は1443年に合祀し、当時の社名は英賀天満宮と称した。
播磨国風土記の飾磨郡英賀里に記載があるので、創建は7世紀の飛鳥時代と考えられる。
英賀彦神と英賀姫神の夫婦は伊和大神(いわのおおかみ)の播磨経営に当たり、当地を拠点として播磨灘沿岸地域を開拓し、英賀国を創り固めた。従って、英賀国主大神として祀り、夫婦和合、創業経営の神として信仰されている。
伊和大神は播磨国一宮の伊和神社(宍粟市)の祭神です。伊和大神は大汝命、葦原志許乎命とも記されているので、大国主神と同一神と考えられていますが、私見では伊和大神は大国主神(160年頃出生)の4代ほど後の子孫で230年頃出生、針間国西部(3世紀当時は吉備国東部であった)を開拓統治したと考えています。
7代孝霊天皇(230年頃出生)から12代景行天皇(285年頃出生)にかけて、強大な吉備国は大和朝廷に侵食され、東部を針間国に割譲されたと考えられます。
鳥居と神門、神額は両部額になっている。
説明板
拝殿
本殿
遥拝所、各自の崇敬する全国各神社を遥拝する所。
手水舎
本殿右に神木の竹伯(なぎ)、根周り3.8m、高さ14.5m、樹齢千年以上の天然記念物であったが、50年ほど前に枯れて、現在は二世が育ちつつある。
神木の右には司馬遼太郎の歴史小説「播磨灘物語」の文学碑がある。黒田官兵衛の生涯を描いた。
末社の一宮社(大己貴神、素戔嗚神)、塩竈社(猿田彦神、塩椎神)、
琴平社(大物主神、月夜見神)。
英賀城土塁跡
恵美須社(事代主大神、えべっさん)
厳島社(市杵島姫神)
*****
先日の神戸新聞によると、神戸市中央区の生田神社正門にある二の鳥居が9月に引退する。木造で高さ7.5mの檜造り、もともとは1929年に伊勢神宮内宮の本殿の棟持柱(むなもちばしら)として設置された。
それが内宮の宇治橋の鳥居になり、1975年には三重県亀山市に神宮への参道を示す鳥居として設置された。
1995年の阪神淡路大震災で生田神社の石の鳥居が倒壊したので、復興のためにこの鳥居が三重県から生田神社に移設され、それから20年経った今回の引退となった。
1929年の棟持柱から86年の歴史に幕が下りる。
生田神社が神宮に再び鳥居を譲り受けたいと依頼したところ、認められた。すでに60年間使用された鳥居なので、神戸市で鳥居の内部に鉄骨や樹脂を入れる補強をし、表面を削って化粧直しをしている。9月の秋祭りに披露される予定。
正門前の鳥居2013年4月撮影
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2丁目70 電079-239-6921
駐車スペースあります。
祭神 英賀彦神(あがひこ、伊和大神の御子)、英賀姫神(妃神)、
天満大神(菅原道真公、学問の神様、雷神)、
八幡大神(誉田別尊、15代応神天皇、武神、海の神様)、
春日大神(天児屋根命、藤原氏の氏神)。
英賀(あが)の地名由来は祭神の英賀彦神による。
祭神の菅原道真公(845年~903年)、誉田別尊(362年~403年)、天児屋根命(3世紀)は1443年に合祀し、当時の社名は英賀天満宮と称した。
播磨国風土記の飾磨郡英賀里に記載があるので、創建は7世紀の飛鳥時代と考えられる。
英賀彦神と英賀姫神の夫婦は伊和大神(いわのおおかみ)の播磨経営に当たり、当地を拠点として播磨灘沿岸地域を開拓し、英賀国を創り固めた。従って、英賀国主大神として祀り、夫婦和合、創業経営の神として信仰されている。
伊和大神は播磨国一宮の伊和神社(宍粟市)の祭神です。伊和大神は大汝命、葦原志許乎命とも記されているので、大国主神と同一神と考えられていますが、私見では伊和大神は大国主神(160年頃出生)の4代ほど後の子孫で230年頃出生、針間国西部(3世紀当時は吉備国東部であった)を開拓統治したと考えています。
7代孝霊天皇(230年頃出生)から12代景行天皇(285年頃出生)にかけて、強大な吉備国は大和朝廷に侵食され、東部を針間国に割譲されたと考えられます。
鳥居と神門、神額は両部額になっている。
説明板
拝殿
本殿
遥拝所、各自の崇敬する全国各神社を遥拝する所。
手水舎
本殿右に神木の竹伯(なぎ)、根周り3.8m、高さ14.5m、樹齢千年以上の天然記念物であったが、50年ほど前に枯れて、現在は二世が育ちつつある。
神木の右には司馬遼太郎の歴史小説「播磨灘物語」の文学碑がある。黒田官兵衛の生涯を描いた。
末社の一宮社(大己貴神、素戔嗚神)、塩竈社(猿田彦神、塩椎神)、
琴平社(大物主神、月夜見神)。
英賀城土塁跡
恵美須社(事代主大神、えべっさん)
厳島社(市杵島姫神)
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先日の神戸新聞によると、神戸市中央区の生田神社正門にある二の鳥居が9月に引退する。木造で高さ7.5mの檜造り、もともとは1929年に伊勢神宮内宮の本殿の棟持柱(むなもちばしら)として設置された。
それが内宮の宇治橋の鳥居になり、1975年には三重県亀山市に神宮への参道を示す鳥居として設置された。
1995年の阪神淡路大震災で生田神社の石の鳥居が倒壊したので、復興のためにこの鳥居が三重県から生田神社に移設され、それから20年経った今回の引退となった。
1929年の棟持柱から86年の歴史に幕が下りる。
生田神社が神宮に再び鳥居を譲り受けたいと依頼したところ、認められた。すでに60年間使用された鳥居なので、神戸市で鳥居の内部に鉄骨や樹脂を入れる補強をし、表面を削って化粧直しをしている。9月の秋祭りに披露される予定。
正門前の鳥居2013年4月撮影
by enki-eden
| 2015-08-06 06:49