古代史探訪

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王統系譜

2016年 あけましておめでとうございます!
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 京都市上京区幸神町(さいのかみちょう)の「幸神社」(さいのかみのやしろ)絵馬。
 主祭神は猿田彦神で、平安遷都の時に御所の鬼門除けとして鎮座。それ以前は400m東の賀茂川(鴨川)沿いの道祖神であった。「塞(さい)の神」が「幸(さい)の神」に転じたか。

 話は変わりますが、古代史を研究しておられる皆様の中には戦前の「皇国史観」にも、戦後の「戦後史学」や「マルクス主義史観」、「自虐史観」、「GHQ規制」にも共感できない方がいらっしゃると思います。
 その戦後史学も1970年代には批判を受けるようになるが、いまだに健在です。古事記・日本書紀・古代の伝承などは否定され、教科書に記載することは禁止されました。

 「記紀を読むと科学者の資格を喪失する」という戦後史学のピークの昭和30年代に、考古学者の故・森浩一先生(1928年-2013年)は、考古学資料と文献史料を総合することの重要性を成果として示された。この考え方は歴史研究の姿勢であるべきだと説かれた。また先生は、「伝説から歴史(考古学)を読む」ことが面白いとも言われた。

 戦後は、「欠史8代」とか「神功皇后はいなかった」とか「神には生没年や墓はない」などと述べる人が多いですが、私は記紀などの文献史料、考古学、神社の伝承、各地の伝承などを総合して古代史を研究しなければならないと考えてきました。
 ある国文科の大学生が卒論のテーマに「神功皇后」を選びました。その学生と話をしたときに、「神功皇后はいなかったと云う説がありますが、どう思われますか?」と質問されたので、神功皇后の父方、母方の系図を示し、それぞれの推定生年も示して説明しました。

 古事記・日本書紀は8世紀に成立し、紀元前1世紀からの歴史を古代人の表現方法で記しています。尚且つ、7世紀から8世紀に流行った「春秋の筆法」(孔子の筆法)で記されている箇所も多くあり、現代人には難しい内容になっています。
 これらの難しい部分を現代人向けの表現方法で分かり易く解説する必要があります。

 また、古代史も歴史ですから年代を特定する努力が必要です。古代の多くの記事は年代特定が困難ですが、少なくとも「何年頃」と記すことは必要です。
 下図は私見により生没年を想定した古代のマレビトと初期天皇の一覧です。ほぼ特定できている生没年はオレンジ色で記していますが、多くが「何年頃」になっています。新しい発見があるたびに生没年を修正していますが、今後も修正を続けていく予定です。
 現在の私見として下図に示します。図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。
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 神武天皇については、2015年8月24日投稿の「日本書紀の神武天皇年」をご参照ください。
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 古代史と関係ありませんが、文部科学省は、原子番号113番の新元素を発見したのが理化学研究所だと国際的に認定され、元素の命名権を獲得したと明らかにした。「ジャポニウム」、「ワコニウム」、「ニシナニウム」などの名前が候補に挙がっており、新元素の発見は日本初です。元素の名前は、「元素の周期表」に記載され後世に残ります。
 新元素は、原子核に陽子が113個ある。理研の仁科加速器研究センター(埼玉県和光市)で実験していた森田浩介博士(現・九州大教授)らのチームが2004年、2005年、2012年にそれぞれ1個の計3個を合成した。
 アメリカとロシアの合同研究チームと競争が続いていたが、理研が2012年9月に3回目の合成を確認した。森田浩介博士らが原子番号30番の「亜鉛」の原子核を加速器で加速し、原子番号83番の「ビスマス」を衝突させて人工的に造り出した。
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by enki-eden | 2016-01-02 00:30