古代史探訪

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貝紫色(フェニキアの紫)

 ウィキペディアによると、貝紫色(かいむらさきいろ)とは澄んだ赤みの紫で、英語名はロイヤルパープル (Royal purple)。この色がアッキガイ科の巻貝のパープル腺から得られたプルプラという分泌液を化学反応させて染色に用いたことに由来する。分泌液を取り出して日光に当てると、黄色から紫に変色し、古代紫とも呼ばれる。

 貝紫染めは3,600年前のフェニキアで始まり、「フェニキアの紫」と呼ばれ、エジプト(クレオパトラ)やローマ(シーザー)、イスラエルに伝えられた。地中海の海洋貿易民フェニキア人はこの貝紫染めやレバノン杉を交易品としていた。

 貝紫染めは東アジアではあまり見られないが、日本ではイボニシやアカニシ(アッキガイ科の巻貝)が岩礁、磯や河口などの岩の多い所で大量に生息するので食用や貝紫染めに使われた。
 佐賀県神埼郡の吉野ヶ里遺跡で発見された弥生時代の絹布に貝の色素が発見され、大量のアカニシ貝も発掘されているので、漢や魏との交易に使われた倭錦(やまとにしき)は日本茜や貝紫を使用した美しい色の錦織だったのでしょう。
 吉野ヶ里遺蹟南方の有明海ではアカニシ貝が現在でも取れます。
 テニスの錦織圭(にしこり けい)選手のご先祖は出雲国の錦織職人だったのでしょうか。名字の錦織は本来「にしこおり」と読んでいたようですが、私の知っている島根県松江市の人は「にしごおり」さんです。

 弥生時代の日本でも貝紫が使われていたとなると、海洋民のフェニキア人がローマ帝国に滅ぼされ、奴隷にされるのを免れて逃亡した一部の避難民が日本にまで来ていたのかな? フェニキア人の都市国家カルタゴは紀元前146年に滅びました。
 ユダヤ人やペルシャ人が紀元前に陸路で日本にやってきたという説もあるので、海洋民のフェニキア人なら海路で日本に来たのかもしれない。そしてフェニキアの紫を伝えたか。

 虹の色の配置でも分かるように、紫色は色の中でも最も波長の短い色で、ホルモンの安定、神経痛・精神的ストレスに効果がある色とされており、感性を豊かにし、穏やかな気分を与える心理効果がある。貝紫で染色した紫色が最もその効果が強いとされている。
 紫よりも波長の短い電磁波は紫外線で、可視光線の外にあって人間の目には見えません。

 古代のアメリカ大陸中部にも貝紫染めがあったので、フェニキア人は中南米にまで行って交易していたのかな・・・古代の中南米人はインディオとは人種が違って縄文人に近いようです。
 縄文土器がポリネシアや中南米で発見されたり、縄文人と古代中南米人の骨のDNAが似ていたりするのは、古代でもそれだけの民族移動があったのでしょう。人類(新人、ホモサピエンス)の出アフリカは約10万年前に始まり、人類は世界に広がっていきました。
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by enki-eden | 2016-02-07 10:12